1868 / 1868

しあわせ図鑑 55

 ログハウスが見えてくると、自然と足取りが速くなった。  お父さんとお母さんに、無性に会いたくなった。  この世で僕を支え、見守ってくれる人。  僕を愛してくれる人。  いくつになっても、子供として優しい眼差しで見つめてくれるのは、僕の両親だ。  ふたりは、あの世にいってしまった両親が僕に残してくれた幸せ。 「お父さん、お母さん、ただいま!」  明るい声でそう告げると、満面の笑みで僕たちを迎えてくれた。 「おかえり、瑞樹」  ふたりの、嬉しそうな声。  それを聞いただけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。 「おや、芽生坊は改めて見たら、また背が伸びたんだな、本当に大きくなったなぁ」 「うん! もうすぐお兄ちゃんを追い越すよ」 「え、ちょっと待って、もう少しだけ」  もう少しだけ、このままでいて欲しい。なんて願うのは贅沢なのかな? 「えへへ、じゃあ待つよ、5分だけ」 「えっ、5分だけ?」 「だって僕、もっと大きくなりたいって毎日願っているから」  芽生くんが背筋を伸ばして胸を張ると、皆が微笑んだ。  その輪の中に立っていることを、僕は少し不思議な気持ちで見つめていた。  ……帰ってきたんだ。  僕が帰る場所にちゃんと。  宗吾さんが、何も言わずに僕の背中に手を添えてくれた。  手のひらを通して、温もりが届く。  もう、それだけで十分だった。  過去の喪失も、寂しさも。  全部抱えたままでも、こうして笑っていていいのだと、ここにいる人たちが、教えてくれる。 ****  ログハウスの中は、出汁の美味しそうな香りで満ちていた。 「わぁ、もう夕ご飯なの? 良かったー ボク、お腹ペコペコ」 「芽生、まだ5時だぞ?」  宗吾さんが呆れたように言うと、芽生くんはニコッと笑う。 「だって、おばあちゃんちの台所って、いい匂いなんだもん。お腹空くの当たり前だよー」 「まぁ、芽生くんってば、そんなに褒めてくれるの? じゃあもう並べちゃいましょうか」 「やった〜 ボク、お手伝いするよ」  10分後には、テーブルの上に大皿に盛られた煮物、焼き魚、天ぷらと、お母さんが得意の手料理がずらりと並んでいた。 「さぁ、少し早いけど夕食にしましょ」 「いただきます!」 「いただきます」 「いっただきっす!」  芽生くんの声が、一番大きかった。  そして、あっという間に、おかわりの声。 「えっ、もう、おかわり?」 「うん!」  早い、とにかく早い。  芽生くん、すごいよ。すごすぎる。  お茶碗を抱えて、もぐもぐと口を動かし、次々におかずに箸を伸ばしている。 「おい、芽生、ちゃんと噛んで食え」 「かんでるよー! ほら!」  そう言いながら、もう一口。  見ているだけで気持ちがいいほどの食べっぷりだ。 「よく食べるなぁ」 「育ち盛りって、こういうことを言うのですね」 「こういう所は俺そっくりなようだ」  僕たちの会話に、くまさんが嬉しそうに頷いた。 「たくさん食べる子はいいぞ。元気の証拠だ」 「うん! ボクは大きくなりたいからね」 『いつか騎士になる』と宣言してくれたのは、いつのことだったかな。  もしかしてまだ覚えていてくれるのかな?  宗吾さんが、僕の茶碗をちらりと見て言った。 「瑞樹、全然食べてないぞ」 「……なんだか胸がいっぱいで……お腹が空きません」 「それじゃ意味ないだろ」  そう言って、僕のお皿にさり気なくおかずを乗せてくる。  あまりに自然で、当たり前の仕草だった。  芽生くんが、それを見逃すはずもなく。 「パパ、ナイスだね」 「だろ? 瑞樹は食が細いからな」 「うんうん、お兄ちゃん、もっと食べてね。美味しいよ」  芽生くんは再び自分の皿に向き直り、またもぐもぐ。 「本当に芽生は食いしん坊だな」 「お米足りるかしら?」 「流石にそこまでは……」 「パパ、ごはんもっとあるー?」 「もう食ったのか」 「うん!」 「はははっ!」  明るい声が、ログハウスに広がっていく。  いいな、こういう時間、懐かしい。  ずっと探していたものは、ちゃんとここにあった。  ただご飯を食べて笑う。  家族が同じ卓を囲む。  それだけでこんなに満たされるなんて。  幸せだな。  当たり前の幸せが一番だ。  僕は箸を持ち直して、静かにおかずを口に運んだ。  とても、あたたかい味がした。  母の愛情が溢れてきた。

ともだちにシェアしよう!