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第3話

「きよ……はる.」  病院という無機質な白い建物。そっけないくせに人の心が重く積み重なった場所――こんな所に君はいたの?眠ったままで。  事故にあったなんて嘘みたい。色々な管につながれて、機械に囲まれていることを想像したのに何もなかった。唯一点滴のチューブだけが病人っぽく見せている。  おそるおそる頬をさわるとフワリと温かい。抱いている時、恭治の頬に手を伸ばすと、熱くて優しい目で僕にキスをくれた。  今はなんの反応もなく、目をつむったままだ。僕の体温は君に届いていないの?僕達が抱き合ったのはいつだったかな。随分前だね。  カタン  振り向くとそこには綺麗な女性が立っていた。 「あ。あの……垣内と申します」 「あなたがユウ君なのね」  その人は恭治の枕もとに立って僕と向かい合った。点滴の針がささった腕を撫でさすりながら、恭治を優しく見つめる姿は愛情に溢れている。 「本当はあなたに連絡をしたかったけれど、携帯のアドレスで「ゆう」という名前を見つけられなかったの」 「ええ、諭って、「さとし」と読む人の方が多いですから」 「キョウもだわ。キヨハルって読めないわよね。私もキョウって呼んでいるもの」  何が起こっているのかを聞きたかった、知りたかった。僕達の名前なんてどうでもいい。 「何があったんですか?」  その人は恭治から僕に視線を合わせて、寂しそうにほほ笑みながら、話しはじめた。恭治が僕を見る目に似ている。最近君はそんな顔ばかりしていた、いや僕がさせていた。 「タクシーに乗っていて追突されたの。キョウは助手席の座席に頭を打って病院に運ばれた。それから目を覚まさないまま」 「え?脳波は?」 「異常はないの。植物状態ではないの、目が覚めないだけで。傷もない……のに」  彼女の目から涙が零れ落ちる。僕はベッドをぐるっと回って、彼女を抱きしめた。 「キョウ、キョウ……キ」  掠れた声で恭治を呼びながら、静かに泣き続ける彼女の背中を優しくさする。なんとなく恭治が喜ぶような、そんな気がしたから。  しばらくして彼女は落ち着きを取り戻し、僕の腕の中から一歩後ろに退いた。 「キョウの言ったとおりね」 「何がですか?」 「ユウは今まで会った中で一番優しいって、そう言っていたの」  僕は言葉がでなかった。最近の僕達の状態でも、そんなことを言える?最近は世界で一番君に優しくないのが僕だったよね? 「私ずっと一人でキョウのそばにいたから諭君を見て、我慢できなくなっちゃって。ごめんなさいね」 「いえ……そんな」 「私、名前も言ってなかったわね。キョウの姉で瑞希です」 「ご両親は?」  たぶん見舞いに来ているだろう。僕は会いたくなかった。何を言っていいのかわからない。友人ですという言葉は嘘でしかない。それに自然な態度でいられる自信がなかった。 「両親はキョウのことを無かった存在にしたの。だから私しかここには来ていない。あのこは何も言ってないのね、キョウらしいわ」 「瑞希さん、なかった存在ってどういうことですか?」 「両親に言ったの。好きな相手と一緒に住むからって。それが諭君だってことをね」 「えっ?」 「私はキョウが幸せならいいと思った。だけど両親は受け入れることができなくて。だから最初から存在しないことにしたの。キョウが見えない存在だと思い込もうとした」  メシでも食おうぜ、そんな軽い口調で「一緒に住もうか」と言った恭治。僕は本当にうれしかった。なのに、そんなことがあったなんて。  僕は一緒に住もうといった恭治の顔や、僕を好きだといった声、綺麗に笑う優しい目元を思い出していた。目の前にはベッドの上で何も言わない恭治。  視界が曇りどんどん滲んでいく。こらえようとしたけれど無理だった。溢れたものは次から次と頬を伝っていく。少しだけ離れていた瑞希さんが僕を抱きしめる。僕達は恭治を思って静かに泣いた。  誰かに抱かれて心をさらけだすのは久しぶりだった。

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