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第4話
午前中しか休めなかった僕は、病院をあとにして仕事先に向かった。昨日電話をしていなかったら、恭治の状態をわからないまま、まだ一人で家にいただろう。
予想していなかった現実から逃げる為に仕事はうってつけだった。集中して業務をこなし、のめり込む。そうでもしないと眠ったままの恭治の姿が甦り、僕を縛りつけることに抵抗できなかった。
一日をなんとかやり過ごし、家に着いたけれど何かを食べる気にならない。何を作ろうかと悩むことのない生活は素敵にみえた。でも「うまいな」と嬉しそうに食べる相手がいないのは幸せでも何でもないんじゃないか?
恭治がおいしそうに食べる顔を見たいから、色々料理をした。それなのに「作ってやっている」と思い始めた僕は何を忘れたのだろう。「作ってもらうのが当たり前だと思ってない?」そんな事を恭治に言ったから喧嘩になった。台所に行く気もしなくなって、風呂に入ることにした。
湯船の中で目を閉じる。何度もウツラウツラしているうちに、お湯が冷たくなる。その度に熱いお湯をたし、また目を閉じる。何度か繰り返し自分の無意味な行動に呆れて湯船から出た。
「風呂の中で寝るなよ?」そんな恭治の声が聞こえてこない。そう言われるたびに、風呂ぐらい勝手にさせてくれよとイライラしたんだ。恭治、僕はなんであんなに毎日イライラしていたのかな?答えはもちろん返ってこない。一人ってこういうこと……なんだ。
テレビをつけてみたけれど、そこに映る映像は脳に届かない。静かに眠る恭治が頭の中に居座っているから。
僕か恭治どちらかが消えてしまった方が互いに楽だろう、そんな事を考えたこともあった。でも実際にその可能性がでてきた現実は重すぎた。
恭治がいなくなるかもしれない。あの黒い瞳がもう見られない?「諭」と名前を呼ぶ声も記憶の中にしか存在しなくなる?
意味がわからない。
一緒にいた時には感じなかったものが沢山見えてしまう。片方の空いたソファ。ひとつだけ床においてある潰れたクッション。マガジンラックから覗くやりかけのクロスワードの本。この部屋には恭治だらけなのに、本人がいない。
堪らなくなって目を閉じた。まだ暗闇の方がいい。
肌寒くて目が覚めた。乾かさずに寝てしまったから髪がごわごわしている。テレビの画面は見たことのない映画に変わっている。時計をみたら1:30。このままだと風邪をひきそうだ。立ち上がって寝室に行こうとした僕の体は固まった。
ドアノブに手をのばそうとした瞬間、恭治がドアをあけて出てきた。
「ちょっと、恭治、え?」
なんで?ずっと寝室にいたの?なぜ僕が帰ってきたのに出てこなかった?もうそんな気もしなかったか?退院したことを黙ってた?
瑞希さんも瑞希さんだ、なぜ教えてくれないんだ。いや違う、恭治、電話ぐらいできただろう。なんで黙って帰ってきた!
「なんで黙っていたんだ!」
混乱と怒りで僕の声は震えている。恭治は僕をぼんやり見つめながら床に座った。お気に入りの潰れたクッションの上に。
少し何かを言いかけたまま、口を開かない。頭に血が昇る。
「僕がどんな思いで君を!ねえ、なぜ黙っていたの?意味がわかんないよ!」
君が消えてしまうことが、どれだけ怖いことなのか気がついてしまったんだよ?その姿を寝室から見ていた?掴みかからんばかりの僕を静かに見つめがら恭治が口を開いた。
「だって。お前に言ってもプレッシャーになるだけだろう。それが嫌だった」
は?意味がわからない。何を言っている?
次の瞬間、僕は言葉を飲み込んだ
「諭。お前を選んだのは俺の選択だった。その選択に後悔はないよ。ただ。自分が思っていたよりも結果が最悪だっただけだ。両親は受け入れることができなかった」
これって瑞希さん病室で僕に話したことじゃないか。混乱と不安で訳がわからなくなった。自分と恭治の会話がずれてるし、眠りから覚めた恭治は質問に答えず違う話しをしている。
「俺はそんな顔をさせたくなかったから、言わなかっただけだ。黙っていて……ごめん」
「いや……それは」
「この際だから言っておくよ。俺、お前と住むって決めた時両親に言ったんだ。好きな相手がいて同性だってことをさ。両親は受け入れることができなくて、俺の存在自体を無かったことにすることにしたんだ。あそこの家に俺はいないんだよ、この先もずっと」
「でも引っ越しの時に、荷物を送ってきてくれたじゃないか」
「ああ、あれはね。俺が見えるものすべてを捨てる作業を始めてね、生活に必要なものだけ送ってきたんだ。写真もあったから、アルバムからはがしたんだろうね。送り状は姉ちゃんが書いた。俺の住所は知りたくなかったみたい。でも大学は卒業させてくれたから感謝しないと」
僕は両親に何も言えてないよ。ずっと避けてきた。何も知らなかったとはいえ、話題の中に両親がでてきたことは何度もあった。僕は君を随分傷つけたのだろう。居た堪れない気持ちって、こういうことをいうんだね。
「だから、そういう顔をしないでくれよ頼むから。俺の選択の結果、両親との間に溝ができた。でも諭のせいじゃない」
笑顔を見せる恭治。君のそんな綺麗な笑顔をみたのは久しぶりだ、ほんとに。
「俺は諭と生きていきたい。だからいいんだ」
僕のイラ立ちが甦る。止められなかった。
「でも、恭治は言った、「引っ越しする金があるか?」って」
恭治が眉間にしわを寄せて僕を見る。だって君が言ったんだよ。
「それってどういう意味だよ!」
どういう意味って。それを僕の口から言わせたい?君が言ったことなのに?やりきれない思いで言葉にする。
「別れたいって……こと……なんじゃない?」
僕の声は思ったよりも随分小さくなってしまった。
「俺はそんなこと絶対いわない!言うとしたら、諭のほうだろう?俺じゃない!諭、他に好きなヤツでもできたか?」
僕は恭治の目をみて後悔した。その眼は僕への愛で溢れてから。
「諭がいなくなるのは予想してたんだ」
恭治?何を言っている?
「もう。こんな俺はいやか?」
痛い、体が痛い!恭治が、僕から遠ざかろうとしている!断りもなしに!
「恭治!」
僕は叫んだ。叫ばないと、いなくなってしまいそうで。
「許さない、僕だけをほっておくなんて許さない!ここにきて、ここに!!」
言葉はむなしく空を漂った。僕は恭治のあとを追いかけて寝室のドアを引きあける。
そこで再び僕の体は固まった……そこには、誰もいなかったから。
一睡もできないままに朝を迎えた。
恭治を追って寝室に行って空っぽの部屋を見た時、恭治はまだ病院で寝ていると確信した。そんなことを説明するために瑞希さんに深夜電話をする気にもなれず、結局ソファにまるくなったまま考え続けていた、恭治が来た意味を。
のろのろと起き上がってシャワーを浴びると、少し気分がすっきりしたから意を決して、携帯を握る。朝の7:00すぎ……一度しか会ったことのない人に電話するには失礼な時間かもしれないけれど、瑞希さんにも言っておくべきだと思った。
「おはようございます。すいません、朝早くに」
「おはよう、どうしたの諭くん」
「あの……恭治の様子は?」
「病院から何も連絡がないから変わりないと思うわ」
なんでそんなことを改めて聞くの?と咎められたような気になる。
「あの。昨日恭治が僕のところに来たんです」
「え?」
「瑞希さんに言うべきだと思って。すいませんこんな時間に」
僕はまた謝ってしまった。
「諭君仕事は?」
「今日は午後からです」
「わかったわ、じゃあ後で」
唐突に電話が切れた。最後まで話しを聞かないで電話を切るなんて恭治とそっくりだ。病院で会うということなのだろう、僕は家を出た。
恭治は昨日と一緒で、眠ったままだった。念のため、ナースステーションで昨晩の様子を聞いたけど、変わったことはなかったようだ。
恭治、僕がいなくなることを予想していたってどういうこと?いつか僕がいなくなると思い続けながら一緒にいたの?それって、あまりにも苦しくないか?
細い手頸にそっと触れる。僕の好きな細い手頸。
カタン
瑞希さんの音が後ろに聞こえた。
「おはようございます。僕が病院にこなかったらどうしてたんですか?瑞希さん」
失礼な物言いになってしまった。少し不思議そうな顔をした瑞希さん、恭治と一緒だ。
「だって、諭君はここに来ると思ったから」
「でも、時間も何も決めずに」
「来るってわかったから」
「恭治もそうなんですよ、今みたいに僕が言ったら『わかったんだよ、だからいいじゃないか』って言います」
「そう、キョウもなんだ。でもわかるから、そうね確かに変かもね」
「僕は最後まで聞いてほしいんです」
瑞希さんは窓の外を眺めたあと少し寂しそうな顔をした。
「自分にとって当たり前のことでも相手には違うことが多い。何が原因なのかわからないまま私は相手とすれ違っていくことが多いの。きっとこういうことなのね」
僕は何も言えなかった。そのとおりだから。
「言葉ってそういうときのためにあるものなのに、時間がたつと一番使わなくなる。不思議だわ」
「そうです……ね」
2回しかあったことのない瑞希さんと僕はこんな話をしている。6年間一緒にいた僕達は、こんな話をしたことがない。必要がないと思っていたから。
僕の毎日のイラ立ちは、恭治に対してではなく、僕達の間に言葉がなくなってしまったことなのかもしれない。言えないことを抱えたから、それを恭治のせいにしてしまった。
「キョウがあなたの所にいったの?」
そうだった。僕はこの話しをしたくて瑞希さんに会っている。
「ええ、昨日、いや今日になります。1:30頃寝室から出てきたから僕は怒った。帰ってきたのになぜ黙っていたんだって。そしたら恭治が僕に言っていなかった……あ、いや瑞希さんから昨日聞いた両親の話しをして。また寝室に戻ったから後を追ったら、部屋がカラッポだった」
しどろもどろの言葉は自分で聞いても恥ずかしくなるようなものだった。ただでさえ信じられないような内容だというのに、こんな説明では伝わるはずもない。
「……そう」
瑞希さんは恭治のおでこにそっと触れたあと手の甲で頬をなぞる。体温があることを確かめるように。
「怖くて聞けないことや言えないことが沢山あったのね、キョウ」
「瑞希さ……ん?」
瑞希さんは僕に真っ直ぐ目を向けて言った。
「あなたの言ったこと信じるわ。疑うより信じることのほうが楽な時があるもの」
頭を殴られたようなショックを受けた。毎日イラだっていた僕は、恭治を信じていた?そんな僕を恭治は疑った?
信じることが当たり前で、それが自然だった僕達だった。それが変わってしまったのはいつからだろう。
「たぶん、キョウはあなたと話したいことがあるのよ。でも普通だと無理だから、こんな形で貴方に会いにいったのよ。だから目を覚まさない」
瑞希さんの言葉はいつもの僕なら笑い飛ばしたかもしれない。でも今ならわかる。僕と話すために恭治は眠っている。
「いずれにせよ、キョウの目を覚ますことのできるのは諭君、あなたしかいない」
「恭治と話しをします、僕」
僕の目を見つめながらほほ笑えむ瑞希さんの瞳が、少し潤んでいた。
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