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第5話

 ソファに座って恭治を待つことにした。今日瑞希さんと話したことで、色々なことが少し見えてきたように思う。僕たちは何も言わなくなった、そして諦めた。諦めの先には終わりがくるけれど、決断しないと終わりはこないと知った。  少しだけ足掻いてもいいんじゃないか?そうだよね、恭治。そんなことを考えながらウトウトし始めた頃気配を感じた。  目を開けると恭治が床のクッションに座って僕を見ている視線とぶつかる。 「よっぽど疲れてるんだな、全然起きなかった」 「ああ、昨日寝ていなくて」 「そうか」  僕らの会話は途切れた。でもここでまた終わってしまったら、恭治は目を覚まさないだろう。僕は恭治をしっかり見て口を開く。 「恭治は僕が君から離れる。そう思って毎日一緒にいたの?」  視線を床に落として膝の間に顎を乗せていた恭治は、クッションを枕にして横になった。 「そうだな、漠然とだけど離れていくとしたら、諭だと思っていた」 「それはなんで?」  理由を知りたい、そうだよ、なんでそう思うんだ? 「諭が考えているより俺はお前のことが好きなんだよ。俺の気持ちのほうが大きいから、俺が諭から離れることはない」  きっぱり言い切る言葉に僕は正直驚いた。だって君は僕に流されて、流されて僕のもとに堕ちてきた。それなのに恭治のほうが強い気持ちを持っている?そんなことはない。 「君は僕にしつこく言い寄られて、口説かれて僕と一緒にいるんだよ。恭治はもともとゲイじゃないんだし。それなのに僕よりも想っているなんて言うんだ」  僕は少し嘲るような顔をしていたかもしれない。恭治の顔が意地悪そうに変わったから。目を少し細めて口の端があがる。 「もしもだ、お前が女の人を好きになったとする」 「何を言い出すんだ、生粋のゲイの僕にむかって。そんなことはありえない、あったこともない」 「もしもの話だよ。そんなお前が女性を好きになったら、本当にその人に心を奪われたってことになるよな」 「そうかもね、でもそんなこと起こらないよ」  できるならとっくにそうしている。なんだかんだで同性愛者は生きにくいのだから。 「諭、俺にはそれが起った。性別を超えてお前を好きになってしまった」 「え……」  確かにそうだ、そう言われたら理解できる。 「だからだ、俺のほうがお前を好きなんだよ。たぶん」  恭治が照れくさそうな顔をしたあと横を向いたから、表情が見えなくなった。少し気恥ずかしくて僕は顔が赤くなったに違いない。互いに顔を逸らしたまま沈黙だけが流れていく。でもこの沈黙は気まずいものではなかった。なんだか優しい静けさ。 「でも変だね僕たち。お互いにどっちの好きが強いかを比べるなんて」  おかしくなって僕はクスクス笑いだした。 「諭は笑ってるほうがずっといい」 「そんな顔して言うなよ、襲うぞ」  恭治の優しい笑顔に僕の胸はざわめいた。僕の欲しい恭治だ。 「いつもそんなことばっかり言うんだな。でも時々怖くなるんだ。諭と別れたあと自分はどうするんだろうかって」 『キョウは怖かったのね』と言った瑞希さんを思い出す。僕が考えもしなかった言葉だけれど瑞希さんはわかっていた。姉弟の絆は、僕が築いたものとは異質で強い。 「怖いって?」 「他の男と寝るなんて想像もできない。でも今更女性を抱けるのかもわからない。俺はひとりなんだよ、文字通りさ」  何て言っていいのかわからなかった。ただ一つだけ確かなことがある。 「君をそんなふうにしたのは、僕なんだね。僕が引きずり堕ろした」  恭治は枕にしているクッションを右手で抱えるようにして僕のほうを見上げた。 「いや、諭と一緒だったら堕ちようが昇ろうが、どっちでも構わないよ」  僕の心臓が痛いと悲鳴をあげた。本当に痛かった、そして幸せだった。何故僕はもう互いの気持ちが失くなってしまったと思った?心の底に仕舞い込みすぎてわからなくなっていただけじゃないのか? 「恭治、僕たちはどうしようもないね」  いぶかしげに眉間にしわがよる。そうじゃないよ、恭治。 「もう駄目だねっていうことではないよ。今まで好きだってことを何回も言い合ってきたのに、どのくらいかを相手に伝わるように言ったことがなかったね。 僕は初めて君をみたあの日、自分のものにすると決めた。抱え込んでがんじがらめにして逃がしてやらないって思った。今もそんなとこに寝そべって僕を見上げる君を見ると欲しくてたまらなくなる。嫌だといっても、逃がしてやるつもりはない」  一瞬口をポカンと開けたあと真っ赤になってクッションに顔をうずめる姿は僕を煽るだけなのに。 「勝手にしろよ、俺はどこにも行くところがないんだから」  くぐもった声が僕に届いてすぐ、突然恭治の姿が消えた。いきなりなんの前触れもなく消えてしまって少なからずショックを受けた僕は、もつれるようにソファからおりて、テーブルの向こうにあるクッションに手を伸ばす。  それはつぶれているのに、まったく温かくなかった。今までの時間は夢だったといわれても信じてしまうかもしれない。  さっきまで僕と恭治は近くにいたのに、ものすごく遠く感じる。心が触れ合ったあとだけに、一人だと実感する部屋は寒々しいただの箱みたいに感じた。 「おはようございます」 『おはよう、諭君、キョウは元気だった?』  この人の適応能力に驚く。 「ええ。違う話しをしました」 『そう』  電話の向こうで瑞希さんは微笑んでいるだろう。僕は昨晩から溢れそうになっていた自分の心を制御できなかった。 「瑞希さんなら好きになれたかもしれない……ですね」  恭治が言うからだよ、女性がどうしたとかなんとかって。 『違うわね』  クスクス笑いながら瑞希さんは言う。 『それはね、キョウの姉だから感じるのよ。私にではないわ、諭君』 「は……い」  僕は返事しかできなかった。

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