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第7話 闖入者は容易く逆鱗に触れる

 倉庫の事件から一週間後、律と烈は山岡が率いる第二性管理局へと呼び出された。  通された部屋はいつもの緊急特務対策室で、自分達が前例のない特殊な混合型であると知らされたあの日から顔馴染みの職員達がにこやかに話しかけてくる。  緊急特務対策室の執務室はイヤミで別名・マル特カフェとも言われている。  職務がら相手は心身共に傷を負ったオメガ性ばかりだ。アルファ性を極度に恐れ、ベータ性を信じられず、傷つけられ犯され捨てられ、そして殺されかけたオメガ性の者が最後の勇気を振り絞ってコンタクトを取る場所――それが緊急特務対策室であり仕事だ。  明るすぎない照明に柔らかな印象の木製のデスク。配属されている職員は男女問わず第二性はオメガ性。  相談者や保護された者には座り心地の良いソファと、望めば喫茶店にも引けをとらないコーヒーや紅茶が提供されるのだ。  なんと揶揄されようとも、この清潔で居心地の良い空間の維持を頑なに守ったのは室長の山岡と佐久間であった。 「美味しいケーキ、奮発しちゃった!」  そう嬉しそうに笑うのは一番歳の若い加瀬という女性職員だ。 「奮発しちゃった、とか恩着せがましく言うなよなー! 俺ら全員の買ってあるんだから二人が変に遠慮するような言い方はすんなよな。どうせ経費で落とすくせに……俺、シュークリームが良い」 「ぐっ……さすが榎本先輩、このお店のシュークリームも逸品だとよくご存知で……っていうか、どれが良いか選ぶのは律くんと烈くんからってさっき決めたじゃないですか! この食いしん坊! 我慢知らず!」 「まぁまぁ、榎本さんも加瀬さんも落ち着いて……俺達はどれにしよう? 烈は? どれが良い?」 「んー、フルーツのミルフィーユも美味しそうだし、チョコのもヤバそうだし、チーズケーキも捨てがたいし、これは期末テストのヤマ張るのより迷う!」 「主役が迷ってるうちに、最大限美味いコーヒーでも淹れようかねぇ……」  やれやれといった様子の苦笑いを浮かべて、山岡が対策室を出ると榎本が二人の前に腰を下ろした。ニンマリと裏のありそうな笑顔の榎本に首を傾げる律と、榎本すら無視してじーっと色とりどりのケーキから視線を外さない烈に榎本はついに耐えきれなくなったのか吹き出してしまった。 「やめて〜榎本さん、きちゃない」 「きちゃないは失礼だろ、烈くん」 「……ね、榎本さん。アイツらどうなった?」  声を顰めた律の言葉に一瞬烈の目蓋がぴくりと引きつった。 「見事にアルファは全滅……って言ってもアルファフェロモンは極々微量ながら検出されてるから――」 「貴方達の思惑通り、余罪多数でアルファ専用の刑務所に収容されたわ。井上署長は懲戒免職の上で逮捕。当然よね。今頃塀の中で息子共々頭抱えてるんじゃないかしら?」 「ふぅん……学園長は?」 「あのおじさんは侮辱罪と井上元署長と組んで甘い蜜吸ってたのがバレたから同じく塀の中!」 「散々アルファが守ってくれるって言ってたけどダメだったんだ? まじザマァだけど甘くない?」  不満そうな烈の目はミルフィーユで止まったままだ。  律はそっとオシャレな高級菓子店の紙箱を開くと、烈の熱い視線を浴び続けているミルフィーユとパウダーシュガーで飾られたガトーショコラをそれぞれ目の前に置かれた皿に載せた。 「……処分だけ聞くと甘く聞こえるかもしれないけど、不思議とああいう世界では何をしでかして入所したかがあっという間に広まるんだよ……今回は大きく分けても性犯罪と人身売買。ただでさえ性犯罪者には当たりがキツいのに身内に警察関係者とくれば、ねぇ。自分達が今まで餌食にしていたオメガ性の子達の恐怖心とか嫌でも身を以て知るハメになると思うな……こんなことを言ったらセクハラになるけどね……彼らは若いしアルファとしてはとても弱い。ほら、あの金髪の。あの子なんかやっと雑誌の隅っこもらえるくらいのモデルのタマゴだったらしいから顔も良いしね……さぞや怖いアルファの皆さんに可愛がられてるだろうね……だからワザと完全に壊さなかったんだろう? 烈くん」 「んー? どうだろうね? 俺としてはあの案山子(カカシ)みたいなベータがどう壊れるか見たかったけど山岡さん来ちゃったからなぁ……」  榎本と加瀬の視線がぶつかった。  結果として筒井は生きてはいるものの、ごめんなさい、やめて、そして殺してを繰り返すだけの人形になってしまったのだ。それを自分達の口から伝えても良いものか考えあぐねていると、中途半端に閉じた扉の向こうから山岡の声が聞こえた。 「うわ、良い匂い!」 「全てにこだわって淹れてみたよ。まぁ、俺の趣味みたいなもんだ。職場でカンヅメになった時ほど美味いコーヒーが飲みたくてたまらなくなるからね」  来客用のコーヒーカップを律と烈の前に並べて置くと、山岡はトレイごとテーブルの上に置いた。  いただきます、と榎本が手を伸ばしマグカップを取ると次に加瀬が手を伸ばす。カップが二つ余ったということは、一つは山岡ので、もう一つはまだ姿を見ていない佐久間のものだろうと律はアタリをつけた。 「……佐久間さんは? 厄介事ですか?」 「ちょっと総務の方へ……」  いつになく歯切れの悪い山岡の反応に双子は間違いなく厄介事だと確信する。そもそも、二人が来るのに佐久間が離席していることなど今までなかったことなのだ。真っ先に柔らかい笑顔で体調を気遣い、喉は渇いていないかと聞いてくれていたのだ。 「いただきます! で、佐久間さんの厄介事ってさ、俺に関係あるんじゃない?」 「厄介事とは言っていないだろ?」 「山岡さんの淹れてくれたコーヒー、すごく良い匂い。なんだけどね? この建物に入った時から違う匂いがしてたよ……意味、解りますよね? 俺の勘違いってのは、ナシ。律だって言わないだけで解ってる」  角砂糖一つ、ミルクは少し多めが烈の好みだ。  こくん、と喉を上下させた烈は行儀良くフォークでフルーツを刺し、口元へと運ぶ。それに倣うように律もコクのあるコーヒーを味わい、ケーキを口に含んだ。  急かすわけではない二人の仕草に、山岡は諦めたように溜め息をついた。 「まぁ、この一週間であの日あの連中に起きたことについて、それらしい嘘と理屈をつけて報告書を他省へ回したりしていたわけだよ」 「ふむふむ……山岡さんの目の下のクマはそのせい、てか俺達のせいってことだね。ごめんなさい」 「お手間、かけさせてすみません……」  ひょこっと頭を下げる双子に山岡はゆるゆると首を振った。 「今回は彼らが犯罪の道具を持ち込んでいたから立件は簡単だったし、スマホや自宅のパソコンからも山のように証拠が出たからね。いくら父親が警察署長でも言い逃れはできないよ。その頼みの綱の署長もゲスト出演していたんだから、もはや助けようとしてくれる権力者なんてアルファ性じゃなくてもいやしなかったろう。問題は管理局だ。管理局(ココ)では君達の存在は秘密ではない……解る?」  あー、と行儀悪くフォークを咥えたままで生返事を返した烈の肘をそっと引いて下すと律が落ち着いた声音で山岡に問いかけた。 「俺も行った方が良いかも?」 「んー、いやー……できれば二人の出番はナシがありがたいだけどね」 「無理だと思うよ。気付いてないいかもだけど、匂いが強くなってる。これ以上は危険だと思う。だからね、律」  隣に座った律の耳に唇をつけて、こしょこしょと何か囁いた烈は再び視線を山岡に戻すと、何が起きても驚かず、いつも通りの対応をして欲しいと伝えた。  それはどんな意味かと問いただす前に対策室のドアが開き、先陣を切ってでっぷりと肥えた中年が意気揚々と顔をテカらせ室長に挨拶もなくズカズカと踏み入ってきた。  待ってください、と叫ぶような佐久間の声に掻き消されてしまいそうな鼻を啜る音は肥えた男の背後から聞こえた。  やはりね、と双子は視線を絡ませ、同時にフォークを皿に置いた。 「いやぁ、本当にそっくりだねぇ……ナマで見れば少しは区別がつくかと思ったんだが」  媚を含んだ粘い声を聞くと同時に律はそっとポケットに手を入れてボイスレコーダーの録音スイッチを押した。それに気付かない男は、山岡に向かって短く 「退け。邪魔だ」  と恫喝するように頭ごなしに言いつけ、ガッチリと掴んだままの女性を二人の前に座らせ、自分は彼女が逃げられないようにするためか背後に回って分厚い掌と芋虫のような太い指全てを使って彼女の肩を押さえていた。 「聞いてるよぉ〜、今回は大変な目に遭ったね」 「……はあ、どうも」 「それにしてもあれだけの数のアルファを無能にしてしまうなんて、素晴らしいというか恐ろしいというか! 私はアルファでね、私からしたら恐ろしい方が身近な感覚なんだがね……そんな強いアルファの更に上に立つアルファの話をしたら是非ともうちの娘がお会いしたいと言って聞かなくてね! いやぁ、すまないね、申し訳ないね!」  ガハハ、と豪快に笑う男の口から霧のような唾液が散り、真下に座っている娘の頭に降り注ぐ。その光景を見て烈はあからさまに眉を顰めた。 「誰だか知らないけど、見え見えの嘘は良くないと思うけど」  ボソッと呟いた烈の言葉に男は憮然とした表情になった。首だけで山岡を振り返ると、ネチネチと名刺は渡しておいたはずだとか規模縮小がどうだとか、律と烈には関係のあるようなないような方向へと話が飛び始めたのを落ち着いた口調で律がこちらへと引き戻す。 「それで、あの、ご用件は? 僕達は事件の結果報告を聞きに来ただけなんですが」 「えぇとキミはどっちだね?」 「どっち、とは?」 「私と娘が用があるのはアルファキメラの方なんだよ」 「渡辺部長!」  怒りで顔を赤くした佐久間がおおよそいつもとは違う声を張り上げた。若い加瀬は可哀想なくらいにオロオロとして、おそらくどのケーキを選ぶつもりだったかも忘れてしまっただろう。 「言い方……笑える。そんな風に言われてるんだ? アルファキメラとオメガキメラって?」 「すまないすまない、気に障ったのなら謝ろう。だが悪い話じゃないだろう? うちの娘は私に似ずオメガらしい美しさだし、習い事もたくさんさせた。それに私は総務部部長でね、君達が就職してくる頃にはもっと上のポジションにいるだろう。望む椅子を与えてあげられるんだ。何より娘がいたく興味を持ってしまってね! 親バカだとは思うけれどせめて顔合わせでも、と思ったわけだよ」 「えーと、部長さん? その肩書きは真実(ほんとう)なんだろうね。でもそれ以外は嘘ばっかりだ」  烈の口調で喋り出した律に気付いた山岡と佐久間は何事かと身構えたが、射抜くような烈の視線に慌てていつも通りを心がけた。その間も律は言葉を重ねてゆく。 「俺達に興味あるって、そんなわけないじゃん」 「そんなことはない! 本当にこの子は……」 「じゃあ、なんで泣いてんの? 番になってくれるアルファなら良いって思ってるならこんなベショベショ泣いてないって。しかも強制発情剤まで飲まされてさぁ……好きでもないヤツの前で、しかもたくさんの人がいる中で無理矢理フェロモン出さされて……あんたよく自分の娘にこんなことできるね? 引くわ」 「ねぇ、本当は好きな人いますよね?」  いつもの律の口調で問いかける烈に渡辺の娘は小さく頷いた。 「彼、べーた。オメガでも問題、ない、よって、言ってくれたのに……!」 「どんだけ強い薬飲ませたんですか、ホント呆れる」 「飲んでない、です。注射、されたの……排卵誘発剤も。怖い……アルファこわい……貴方に断られたら、部下のアルファ達の部屋に放り込むって……やだやだこわい……たすけて」 「ねぇ、しっかりして。助けてあげる。だから落ち着いて聞いて? すみません、水ください!」  一際大きな呼びかけに加瀬が弾かれたように動き、封の切られていないミニサイズのペットボトルが青い顔をした娘の前に置かれた。烈はそれを掴むとキャップをねじ開け、飲むようにと促す。  彼女はよほど緊張していたのか、助けるという言葉が嬉しかったのか、一気にボトルの半分を飲み干すと長く長く息を吐いた。   「お父さん、好きですか?」  一瞬きょとんとした娘は悲しそうに目を伏せて、ゆるりと首を振った。 「……オ、メガだから金がかかるって。嫁に出すからせいりゃ、政略結婚にしか使えないって、ベータは使い捨てだからダメだって。ずっと言ってた……もう嫌だ、聞きたくないの……身体も触られたくないの。嫌なの……」 「お嬢さんがオメガ性ってことは奥さんもオメガ性だと思うんですけど。自分が政略結婚だからこんなことしても胸も痛まないってこと?」 「うるさい! ちょっと希少種だからって口の利き方すら知らんのか? しょせんは突然変異の半端者のくせに。こいつと結婚さえすれば内閣府との縁ができるんだぞ? オメガキメラの方だって損はないだろう?」 「だから言い方……まじウケる。てかあんたと縁故とか損しかねぇわ。あんた、アルファなら母親はオメガだろ? あんたの母親もこんなことされたのかもとか考えない? ま、そこまでの想像力もないか。血を分けた娘でさえ出世の道具だもんな?」 「俺は彼女をどうにかする」  スッと立ち上がり怖がらせないようにそっと娘に近付くと、一声かけてから細い手首を優しく掴む。びくんと跳ねた身体を支えつつ、ネックガードの上から項に触れ、烈はそっと目を閉じた――大丈夫大丈夫と繰り返しながら。  強張った娘の肩から力が抜けてゆくのを確認して律はボイスレコーダーのスイッチをオフにした。 「部長さんさ、あんた、要らねぇわ」  甘い頬笑みと囁くような柔らかな口調とはそぐわない内容に渡辺は顔を烈火の如く赤く染め上げた。 「は? なんだとクソガキ! アルファでもオメガでもない、ましてやパーフェクトキメラでもない混ざりモノが私に向かって偉そうな口を叩くな! ここにいる連中だってお前らを使ってパーフェクトキメラを創ることしか考えちゃいな……え?」 「すごいな。アルファって下衆しかいないのかな? 残念だけど、山岡さん達はあんたとは違うよ。政府の方針を伝える時、いつも苦しそうだった。会えばいつだって心配してくれた。例え創るためだったとしても、その思いに嘘はないよ、あんたと違ってね」 「山岡さん! この人を医務室へ!」  突然の烈の指示にさすがの山岡もうろたえた。  相変わらず律は渡辺を汚物を見るような目で見ている。自分がこの場を離れてもいいものか? そもそも彼女は―― 「でもフェロモンが……」 「消した! 詳しいことはあとで説明するから、早く運んであげて」 「は? え、あ、あぁ……榎本、手伝ってくれ」 「俺は律を見てなきゃ。本気でキレたらヤバいのは律の方なんだって!」  止められるのは、俺しかいない。  そう言われてしまえば、あとはもう諾々と従うしかない山岡だった。 「ぜぇーぜぇー……苦し……助けろ、貴様らぁ!」  振り返ることもできず、佐久間と加瀬を脅すも、二人の前には場にそぐわぬ満面の笑みの烈が立ちはだかっていた。  ――さあ、掃除を始めようか――      

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