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第5話

扉を叩く音に、ビクッとする。 やがて開いた扉の向こうには、戸口が窮屈に見えるほどの、厳つい大男が立っていた。 縦にも大きく、幅もあるが、太っている感じは全くしない。鍛え上げられた筋肉によって、幅が増しているのだ。 「起きたか。……大丈夫か?」 大男からは、その体格に似合った、けれどもひどく優しい低音がした。 変に、ぞくぞくする。 「……まだ体調が悪いなら、寝てろ。どうせ今日明日は休みにしてある」 大男は部屋の入り口にたったまま、情けなさそうな顔をして、そんなことを伝えた。 「……あ……ありがとう、ございます……」 俺としては、それどころではない。 誰だっけ!? よく知っているはずの、目の前の男が、誰なのかわからないのだ。 思えば、王太子も、親友なはずなのに名前が出てこない。いつも、名前を呼びあっていたはずなのに。 冷や汗をかいて、その場で固まっていたらしい俺を見て、男が近付いてきた。 「寝てろ。まずは休め」 命令形だが、あまりにも気遣いに満ちた、優しい声色に泣きそうだ。 もう、言おう。正直に、言おう。 「あの……」 「どうした、ヴァールグレーン」 ああ、この人俺のこと、苗字で呼ぶ人なんだ。じゃなくて。 「俺、記憶が曖昧になってます」 大男は、固まった。 「あなたの、名前がわかりません。それどころか、自分の名前以外、人の顔も名前も、あんまり思い出せないんです。すごくよく知っている人だというのは分かるのに。すみません」 言った。正直に。涙はこらえる。 こんな記憶喪失とか、アリか? 人物の顔と名前だけ忘れたとか。おかしいだろ。 怪しまれるだろうな、と見上げたら、大男は悲壮な表情で俺を見ていた。そして。 「ぁ、わぷ」 抱き締められた。 「わかった。そうか……」 泣きそうな声で、ギュッと抱き締められる。 すごい苦しいが、俺のために涙を流してくれる人なのだと思うと、すごく安心した。 前世の母がよく、こうして抱き締めてくれたな。 そっと目を閉じて、身を任せていると。 ぐぅぅ。 俺の、腹が鳴いた。 ものすごく、いたたまれない。 「そうか。ちゃんと腹は減るんだな、良かった。なにか軽いものを頼んでこよう」 「すみません……」 彼は全くそんなことは気にせずに、逆に安心したような顔をして、部屋から出ていった。

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