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彼女の味方になる決意

 月曜は俺も小野さんも休みだから、体調が整えばいいなと思いながら、また少しだけ調理をしたり、長く住むならと、欲しかったけれど今までは買うのを躊躇していたソファーを選びに家具屋に足を運んだりして過ごした。  モールの中にも、雑貨屋にソファーがあるけれど、その中に好みのものがなかったんだ。それに、職場ではあまり買い物をしたくない。自分の生活を覗き見られているようで、なんとなく気持ち悪い。誰もそこまで気にしてないって、理性では判っていても。  火、水とお互いに夕方からの出勤で、少なくとも日曜よりは元気そうに見えた。少し涼しくなってからの短時間勤務なのが良かったんだろう。このところ夜間作業に入ってもらう必要もなくなっていて、収入は減っただろうけれど、旦那さんがいるんだから前ほど無茶な働き方をして欲しくない。  俺が木曜に休み、小野さんが金曜に休み、二日会わなかった。  そして、土曜日。午後に出勤すると、先週と同じように鍋島さんの甘ったるい声が迎えてくれた。 「おはようございまーす、安原さーん」  控え室の中にはまたチョコの匂いが充満していて、鍋島さんの前には動物のフィギュアが並んでいる。事務机で卵の殻を手にして、市村が困ったように微笑んでいる。 「はいっ、どうぞ」  カラフルなアルミ箔の中に鎮座した卵形のチョコの破片を押し付けられ、苦笑しながら礼を言う。鍋島さんはいそいそと段ボール箱の中で発掘作業に勤しんでいる。 「ニキビが出るぞー」  からかい混じりに声を掛けると、「それが難点なんですよねえ」 と、左手を頬に当ててさする仕草をする。小野さんほどじゃないけどこの子も色白で、元々下がり眉なのが更に下がって悩ましそうだ。 「大人買いも大概にしときなよ」 「うーん、でもこのコレクター魂がくすぐられるというかですね、レア含めコンプしたくなるのが私のサガでして。あ、今回はチョコだけナイロンに入れて冷蔵庫に置いとくので、皆さんで摘んでくださいねっ」 「ああ、それならパートのおばちゃんたちが喜ぶだろ」  太るわ~とか言いながらも笑顔で口に運ぶ姿が目の前に浮かぶ。  俺と鍋島さんの掛け合いを見て、市村はくすくす笑っていた。  ふと見ると、ロッカーとの仕切りのカーテンが開いている。今日も俺と同じ時刻に出勤のはずなんだけど。訝しげにシフト表を見る俺に気付いて、市村が頷いた。 「小野さんなら、もう倉庫に行ったよ。先に備品管理するみたい」 「そっか。ちょっと俺も行ってくる」  もう少し書類仕事が残っている市村に電話番を任せると、俺も倉庫へ向かった。  スチールラック側の蛍光灯だけ点いた倉庫内には、ノートとシャーペンを持った小野さんが俯いていた。  出来るだけ静かに開けたけれど、俺が入ったのに気付いて顔を上げる。その顔色は、けして良いとは言えなかった。 「小野さん」  笑えない俺を見上げて、小野さんの狼狽が伝わってくる。 「おはようございます、安原さん」 「おはよう。って、暢気に挨拶してる場合じゃないだろ」  つかつかと寄っていく俺に怯み、縋るような眼差しが心をきしませる。 「なんで、そんな無茶するんだよ。もっと自分を大事にしてくれよ」 「でもっ」  今日も、小野さんがいてぎりぎりシフトが埋まっている。だけど日曜よりはイベントが少ないから、一人いなくてもどうにかなる。それに、今ならまだ市村に残ってもらうことが出来るんだ。社員が二人居ればどうとでもなる。確かに、社の売り文句は果たせなくなってしまうけれど。 「動けるうちに帰りなよ。それか、救護室で休んで、旦那さんに乗せて帰ってもらって」  日勤の小野の顔を思い出して伝えると、小野さんはふるふると首を振る。 「小野さん。倒れてからじゃ遅いんだ」  それとも、邪魔だから帰れってきつく言った方がいいのか。出来るだけ穏便に済ませたくてまっすぐに見つめていると、やがて小野さんが静かに目を伏せた。 「安原さん、今日仕事の後でお話出来ますか」  ワックスは平日に進めているから、今日無理して残ることはない。頷くと、小野さんは腕時計を確認してから、もう一度俺を見上げた。 「今日は、必ず休憩をとります。だから、お願いします」  潤んだ瞳から熱いものがこぼれ落ちそうで。  黙って頷くしか出来ない俺と、それを視認して黙礼した小野さんの頭上で、蛍光灯がジジジと明滅した。  根性で乗り切ったらしき小野さんだったけど、二人でゆっくりと歩きながら駐車場に向かう頃には、幾分すっきりした顔色になっていた。夜風が良かったのかもしれないし、俺に何かを告げると決めたことで気持ちが落ち着いたのかもしれない。  前に豪と待ち合わせたファミレスに着くと、案内された席は窓際の奥まった場所だった。話をするにはうってつけだろう。  オーダーをして、俺の前にアイスコーヒーが、そして小野さんの前にミックスジュースが届いた。長く居座るつもりもないし、気分の悪そうな小野さんの前で匂いのきつい食事をするわけにもいかない。  ミルクだけを入れてストローでかき混ぜる。真っ直ぐな円柱型のグラスを手元に引き寄せる仕草をなんとなく見ていた小野さんが、改めて姿勢を正した。  いつもすうっと伸びた背筋に芯が入り、真っ直ぐに俺を見つめる眼差しに迷いはない。凛とした中にも潜んでいた辛さをどこかに仕舞い込み、一度グラスに沿わせた手を膝の上に下ろした。  それに倣い、俺も静かに待った。今、周りには俺たちはどんな風に見えているんだろう。  別れ話をするカップル? それとも、これからどちらかが告白する恋人未満?  頭の片隅で冗談半分に囁いて、脳内だけで自嘲する。俺にも小野さんにも、色めいた雰囲気など皆無なのは、きっと誰が見ても明らかだろう。長袖のサマーニットとデニムパンツを身に付けた彼女と、作業着の俺は、どうみても同僚か友人か知り合いかだ。  その間にあるのはいつもよりちょっぴり緊張した空気だけど、それが堅苦しくは感じない。居心地悪くならない程度に、出来るだけリラックスして話して欲しくて、だからといって無駄話を振るでもなく、俺は小野さんに全てを委ねている。  俺の後ろにある壁の高い位置に取り付けられている液晶画面からは、有名なバンドのライブの様子が流れてくる。音だけに体を浸し、小野さんは一瞥することもなく、ただ俺を見つめて、それからようやくその小さな唇を開いた。 「約束、していただけませんか。これから何をお話ししても、私が納得するまでシフトから外さないと」 「いいよ、約束する」  間を置かずに応えたのが意外だったのか、小野さんは目を瞬いた。 「……いいんですか?」 「勿論」  ゆったりと笑うと、小野さんに合わせて伸ばしていた背筋から、少しだけ力を抜く。  最初に彼女が具合を悪くしているのを知ったときから、もしかしてと思っていた。いくつかの選択肢があり、どれだとしても、俺は彼女の味方になろうと決めていたんだ。  例えそれが、規則違反になろうとも。

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