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さよならを、待ってる

 三袋でいくらのゆでうどんを出汁で温めて、適当に醤油をかけて天かすと小口ネギをどっさり、しょうがを少し添えてどんぶりをテーブルに置く。  テレビを眺めながらもどこかそわそわしていた豪がその前に座り、不思議そうにした。 「食えよ」 「あー……ええと、さんきゅ。料理なんかするんだ」 「こんなん料理って呼ぶな。おこがましい」  発酵麦酒をぐびりとやってから箸を取ると、おっかなびっくり豪もうどんに手を着ける。 「うん、普通に美味い。こんなんって言ったって、これだってうどん屋のメニューにあるじゃん」  ずるずる、もきゅもきゅ。咀嚼して、飲み込んで。食事の様子って、なんでこんなにエロいんだろう。くん、と動く喉仏に舌を這わせたい。汁の付いた唇にかぶりつきたい。それを舐め取る舌先に食いつきたい。  あー、終わってるわ、俺。 「あれは手打ちだろ。そこに意味がある」 「まあそうかもしれないけど」  それでもたいしたもんだと誉める豪が綺麗に微笑んでいて、なんかもういいやって、なにがいいのか解んないけど、心の中で何かが落ち着いた気がする。  あっと言う間にふたりとも食べ終えて、洗い物だって少ないから、間が持たない。  ニコチン切れなのか、またそわそわし始めた豪が、ちらりと視線を投げかけてくる。それでようやく、シャワーの前に豪に言った言葉を思い出した。  妙に腰が据わっちまったというか、すっかり忘れそうになってた。大事なことなのに。 「煙草、ベランダで吸ってきたら」  指先だけで促すと、豪は一瞬目を見開いてからテーブルの上の煙草とライターを握り、やっぱりいいやと手を引っ込めた。  互いに胡坐をかいて、小さい折りたたみテーブルを挟んで向かい合って。視線が探るように俺の顔をさまよっている。 「あのな、豪」  真っ直ぐに見つめると、くっと豪が喉を引くように唾を飲んだ。 「日祝のバイト、辞められないか」 「は……?」  素っ頓狂な高い声を上げて、切れ長の目が丸くなる。開いた口に突っ込みたい。何をとか訊くな。って、誰に弁解してるんだ俺。これから真面目な話しようとしてるっつーのに。 「スタンドのことだよな」  恐る恐るという感じで、顎を引いた豪が上目に俺を見る。足を組んだところを両手で持って、ゆらゆらと体を揺すってる。かなり動揺してるらしい。  確かに脈絡ないこと尋ねたけど、そこまで驚くことか? 「そう。車の手入れも出来るし、スタンドじゃねえとホイール交換出来ないから、やっぱ続けたいよな」  家業を手伝っているのにわざわざバイトをしてるのは、ただひたすら車のメンテナンスのためだ。機械が使い放題だし、下手すりゃオイルだってただで手に入る。一石何鳥だろう。  そんな豪を、どうやって口説こうか。車と俺と、どっちを選ぶ? 女と付き合うのはやめない。それなのに俺には、豪を好きでいるのを諦めるななんてしゃあしゃあと言う。  それって――俺のこと、手放したくないってこと、なんだろ? 「豪」  テーブルを挟んだまま、全ての想いを込めて。笑えているだろうか。イメージ通りに、ふんわり優しく見えているだろうか。  体の揺れがやんで、豪が目を細めた。少し開いたままの唇が震えているように見える。 「ここに、住まないか。同じ職場に通って、一緒に飯食って。それから――毎晩セックスしよう」 「は……?」  今度は、掠れるような驚きの声だった。 「豪が欲しい」  この気持ちに気付いてから、何年経っただろう。  全てを手に入れたい欲求を抑え込んで、ただひたすらに諦めようとしてきた。でもそれって……間違ってやしないか。  豪は、俺のことなんて幼なじみとしか思ってない。セフレにもなれなくて、それじゃ俺っていったい何なんだ。理屈で、知っている言葉の範疇に収まらないから、ただ逃げることしか考えられなかった。  友達の中の一人にはなりたくなくて。だけど特別なんて有り得ないと頑なだった。  それなのに、どんなに離れようとしても向こうからやってきて、離さないって豪語する。離れるな、諦めるなって引き留めて、でも束縛はしてくれない。  俺が欲しい、恋人ってポジションには置いてくれない。  ならさ……もういいじゃないか。  離れられなくて、引き寄せられて、傍にいるしかないのなら。いっそのこともっとぴたりと傍にいればいい。 「愛してるよ、豪」  お前が、嫌がって離れるくらいに、近くにいればいい。 「なっ……なん、で……でも、仕事、」  口をはくはくと開閉している豪は、なかなか俺の思惑が認識できないらしい。ただ、表面上の意味だけ受け取って、バイトと実家のことを考えているようだ。 「だな。バイトしねえと走りに行く金なくなるもんな」  精密機械を作っている豪の家は、作業自体は雇った社員で賄えても、ロボット工学を極めた豪の知識なしには、新商品を作ることが出来ない。本社からの派遣という体裁でならともかく、ここに住むというのは無謀だ。 「週末だけでもいいよ。繁忙日だけこっち手伝ってくれたら助かる」 「バイトが欲しいだけ……? 俺じゃなくても、こっちで募集すれば、」 「それでもいいけど、ちょっと今急いでる」  問いに応えれば、戸惑いの大きかった顔が、複雑そうに歪んだ。胡坐のまま膝の上に肘を置いて、胡乱に見上げられる。 「無理だって解ってるよ」  だから、逃げるんじゃなくて、向かっていって引き寄せようとして、離れてくれるのを待ってる。  さよならを、待ってる。 「琉真……極端なんだよ、お前」  肘を突いたままがしがしと頭を掻くから、俯いた豪の表情が読めなくなる。  就職して、研修期間が済んだら、二週間くらいの短期からとはいえ、出張続きになった。大学生の頃から借りているアパートに帰るといつも見計らったように豪がいて、当たり前のように体だけ求められた。  豪にはいつだって彼女がいたのに――。  今は? こないだ部屋に連れ込んでいたのは、一度限りかセフレか。長く続かないからもう名前も顔も憶えられやしない。  だけど、どれだけ変わっても、俺のところには必ずやってくるんだ。ホームみたいな、実家の次くらいに安心できる場所なのかもしれない。  それはいつまで続くんだ?  流石に結婚すれば終わりだろう?  或いは、本当に好きな女が出来てしまえば……もう、俺のところにはこなくなるだろう。  いつになるか判らないその時を構えて待って、不意に去っていくお前を見送るくらいなら、いっそ今の内に離れて欲しい。

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