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でもそれ、結構カッコいいね

 曖昧に濁されたままのように見える俺たちの関係だったけど、俺にも豪にも、確実に何かが変化している気がする。  タイミングを失ったまま豪に告げなかったことすら、もう忘れたように振る舞われて、それに傷付くのもまたいつも通りだったけれど。  週が変わり、休みに本社に帰って上に打診してみる。スタッフの都合はつくとしても、夜間作業用の制服では地味だし女性スタッフと釣り合いがとれない。店内に出る以上揃える必要があるから説明すれば、やはり渋られてしまった。  新しいものを作るには、金が掛かる。他の現場はそうしなくても回っているのに、一カ所のためにだけ特別な何かをするには、相当なきっかけが必要だ。  いきいきと働く女性のための職場。そんな売り文句でやってきた本社を納得させるには、実績が必要ということも理解している。ただ、今回は緊急性があるため、取り敢えず自分の持ち出しでいいから、試作品を至急作ってもらえないかと頼んだ。  俺に裁縫の出来る知り合いでもいれば、勝手に進めたかったくらいだけど、生憎そういった伝手がなかったんだから仕方ない。豪の体型に合わせたイメージ画を渡して、会議にかけてもらえるところまで話はもっていった。  広告を出した先が良かったのか時期が良かったのか、土日に入ってくれるという大学生の子が面接に来てくれて、早速採用した。人手が足りている土曜の午前から、パートスタッフ一人と一緒にシフトに放り込む荒療治。これがここの現場のやり方だから仕方ないが、これによって個人の人となりがかなり浮き彫りになってくる。  昼に上がってしまうスタッフが殆どだから、市村と俺とで、今度は座学の時間を取ってみた。今まで、オープニングスタッフ以外にこういった研修はしたことがない。ただ、時間の都合が付けば、働き始めてから定期的に行われる研修とミーティングには参加してもらうようにしている。鍋島も学校との折り合いが付けば出席しているようだ。  午前には俺も付いて回ってそれとなく様子を見ていたけれど、取り敢えず静かに習う姿勢がある子だ。鍋島より小柄で線が細く、その割にはおっとりしているから、見た目がおっとりだけれどバタバタ騒がしい彼女とは逆の雰囲気かもしれない。ただ、自分から特に質問してくるわけでもなく、一人で回らせ始めてからは、それとなく動向を確認しないといけない。  大学生の夏休みは長い。前向きに考えれば、小野さんの件はタイミングが良かったのかもしれない。平日もかなり入ってくれるアルバイトの子たちの存在は大きい。  急ぐ必要がなくなったため、豪に転職の話を持ちかけたのは、あの一度だけだった。  言ったからといってすぐにあちらを辞めるわけもないだろうし、豪が近すぎる位置に来ることをどこか恐れている俺がいる。  ただ、小野さんだけのためじゃなく、そして俺の欲求のためでもなく、環境だけは整えておこうと思う。  しばらく短時間勤務に切り替えて体調が落ち着いたのか、小野さんから提案されていた食事会が開催された。こういうと大袈裟だけど、まあ要するにコンパみたいなノリの食事らしい。  当初飲み会と言っていたが、小野さんが飲めないのに飲み会と銘打つのもなんだかという感じで、場所も居酒屋ではなくダイニングキッチンという種類の洒落た店になった。  女性同士、またはカップルや家族が多いらしく、大きなホールの他に入り口に暖簾の仕切りがある半個室のような座席が沢山ある。店舗の外観は何とも言えず、洋風と言うには違和感のある南国チックなものだった。  今年出来たばかりなんですよ、と小野さんは嬉しそうに案内し、個室の奥に腰掛ける。旦那さんは少し遅れるみたいで、小野さんの向かいに押し込められた俺の隣に警備の植田さんが腰掛けた。  小野さんも低くはないが、植田さんはモデルと言っても頷けるような体型をしている。モール内ではアップにしている髪を下ろし、焦げ茶の艶やかな髪は腰まで真っ直ぐに背を覆っていた。 「ゆっこ、ごめーん。駆けつけ一杯!」 「いいって。二人とも飲んでね」  手刀で謝りながらも、植田さんは生中と共にどんどん料理を注文していく。悪阻が楽になってきたという小野さんも、油っけのないものとお茶を頼み、テーブルに載るのかと心配しながら、俺もそれなりに頼んでしまった。 「お疲れさまです」  突き出しと一緒に提供されたお手拭きを広げて、植田さんが隣から手を掲げる。 「おー、ありがと。お疲れさまです」  大学生の頃にそれなりに飲み会があったものの、これはされたことがない。面食らいながら受け取ると、熱くもなく温くもない程良い温度のハンドタオルからは、柑橘系の香りが漂ってきた。  正面の小野さんも一度広げてしばらくしてから手を包み込んでいたから、かなり熱々の状態だったのだろう。  いかにも美人でモテていそうで、それでいてバリバリのキャリアウーマンにも見える植田さんの気遣いが意外すぎて、でもなんだかほっこりする。  少しずつ間を置きながら料理が運ばれてきて、それを口に運ぶ姿はかなり豪快なイメージだった。小野さんが百合なら植田さんは牡丹のようにゴージャスだ。剛胆と言ってもいい。それでも粗雑な印象を与えない丁寧な動きと、同席する人への気配りも忘れない。一緒にいて楽なタイプだなと口元が緩んだ。 「ねえ、安原さんはホントに後悔してないの? ここに骨を埋める気?」  杯が進み、今は冷酒に冷や奴をつついている植田さんが、姿勢を崩さないままに、やや顔をこちらに向けて問う。  客足やイベントのことで三人和気藹々としていたのも終わりのようで、そろそろ本題というか好奇心のままに口が軽くなる時間なんだろう。 「ないなあ。今凄く充実してるよ。何処の現場にいても、ああ俺は外様だからってずっと感じてて。だけど今なら仲間って気がするんだ」  ふうん、と眼を瞬く植田さんに向けての答えだったけど、正面では小野さんが笑った。蕾が開く瞬間のように滑らかに、そして華やかに。 「市村さんもだけど、君らホントに仕事ジャンキーだねえ。まあ私だって誇り持って仕事してるけどさあ、やっぱり毎日『休み早く来い!』って思ってるもん。けど少なくとも安原さんは休み返上しても楽しそうなんだもんなあ。市村さんはぐったり疲れてたのに、飄々としてるし」  変な人ねえ、と笑う植田さんは、馬鹿にしているのではなく面白がっているようだ。少し茶色がかっている瞳がきらきらと俺を見つめている。 「まあ、これといって趣味もなし。そもそも好きだから続いてるんだろうな」  枝豆の鞘を口に運びながら、視線を植田さんに戻す。 「本心っぽいから怖い。でもそれ結構カッコいいね」  にんまりと、植田さんの唇が弧を描く。美人が笑うと迫力だ。綺麗だなと思うけど、何処か他人事に感じるのもいつものこと。  現実だけど、俺にとっては映画のワンシーンのように遮断された世界。確かに今目の前にあるのに、自分には関わりないみたいに少し境界がある。  逃避しているわけじゃない。だけど、豪以外の誰にも波風を立てられることがない。そう言い切ってしまえるほどに、俺の人生は平凡に平静に淡々と過ぎていく。 「昔からそう? モテるでしょ、安原さん」  自分こそと思う口が、俺に断言する。 「そんなの初めて言われたなあ。ないよ、全然。彼女居ない歴、年齢と一緒」  呆れて頬杖を突くと、植田さんと一緒に小野さんも驚きの声を上げた。 「うっそだあ~。落ち着いてて頼り甲斐ありそうじゃん」 「実際凄く頼りにしてるの。え、じゃあ本当に地元にも彼女とか残して来てないの?」  我先にと尋ねられて、苦笑しながら頷く。 「男友達ならそれなりに居たと思うけど、それも就職してからは殆ど会わなくなったし、それは仕方ないって思うけど、やっぱりそういう機会もなかったな。出先でそんな風になるわけないしね。長くても数ヶ月しかそこに居ないわけだし。同じように、地元に恋人作ったとしても結局遠恋になるだろうし……好き好んで寄ってこないよ。それに容姿だっていいとこ普通って程度だし」  別に卑下したいわけじゃない。だけど二人が持ち上げてくれるような出来た人間じゃないから、自嘲の笑いが漏れてしまうのは否めない。  ずっと、豪だけだった。  例え女を連れ込んでいたとしても……俺の帰りを待ってくれているのは豪だけで。女にだったらとっくに捨てられてるよって豪が言うのは当たり前で。  取り立てて何が出来るわけでもない。平々凡々な俺に構いつける、綺麗で奇特な男。 「周りのひと、見る目なかったんだね」  そっと小野さんが吐息を零し、腕を組んだ植田さんがうむうむと声に出して頷く。もの凄くわざとらしく感じるのは気のせいじゃないと思う。 「お気遣いありがとう。でもホント、特に求めてないからいいよ、気にしないで」  恋人も、慰めの言葉も。そう含めてグラスを空けたとき、「お待たせー」とよく知っている声が、困惑を纏わせて個室内に入ってきた。

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