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第2章- 4 アジ・ダハーカ襲来 side:キリエ
あの衝撃の出会いから5年目。
幼かったリアも11歳になっていた。
相変わらず体つきは小さいものの、貧相に痩せこけていた体には薄っすらとではあるが肉が付き、頬も子供らしく愛らしいラインを描いている。
リアが初めて喋ってくれたのが、今から約1年前のこと。
始めの頃に比べ随分と言葉を覚えたリアは、今では寝る前と起きたときの挨拶もできるし、その際には可愛いキスをくれるようにもなった。
キスについてはメイテが教えた様だが、初めてキスをもらった時、たっぶり5分は固まっていた私は、その後随分メイテにからかわれた。
しかしたどたどしく、けれど一生懸命に話すリアは本当に愛らしく、誰が見ても庇護欲を掻き立てる子供で、メイテはもちろん、どちらかと言えば寡黙なクロスでさえも、毎日これでもかと言うくらい、抱きしめ、抱き上げ、キスをして、構い倒している。
そう言う私も、無意識にリアを最優先にしてしまう事も多く、ライナーやカルトにはよく贔屓だと言われている。
リア自身はと言えば、基本的にペガサスにベッタリではあるが、最近ではライナーを始め年少組によく引っ張り回されている。
三人は遊んでいるつもりなのだが、何をしているのか分からず、きょとん、としている所を見たのは1度や2度では無い。
しかしそんな表情も非常に愛らしく、見る度つい頬が緩んでしまう。
リアを迎え入れた時には想像もしなかった喜びが、私の中で満ちていた。
そんなある日。
いつものようにクロスと廃墟の見回りを終え、住処へ帰って来た時の事。
私が知る限りでは4度目となる魔物の襲撃があった。
リアを含め年下組は、メイテと一緒に迷いの森手前にある川沿いの小さな森へ、薬草と蜜集めに行っている。
私はすぐさま、心話でメイテに迷いの森へ避難するよう伝えた。
何故か魔物は迷いの森へは入らないのだ。
私達も出来れば入りたくない森ではあるが、今は森の精霊達に好かれているリアがいる。
何より上位聖獣であるペガサスが共にいるのだから大丈夫だろう。
メイテは突然の心話と、その内容に焦り動揺していたが、とにかく子供達を守る事を考えるよう言い聞かせ、心話を切る。
最後に魔物が襲って来たのは、私が124歳になった大陸史1331年の事である。
その襲撃で私の父シーグ・クランツと、バルエ姉弟の両親が亡くなっている。
父もバルエ夫妻も、簡単にやられる程弱くはない。
しかし父達が全力で向かって行っても敵わぬほど、襲撃してきた魔物が強かったのだ。
それまでA級の魔獣ヘルハウンドを含む魔物の襲撃を2回も受け、その度全ての魔物を倒してきた父達が、その命をかけて戦っても撃退しか出来なかったのが、あの最後の襲撃でやって来た魔獣、アジ・ダハーカである。
そして今。
私は2つの醜い頭と2個の大きな口、3個の目を持つ異様な姿をした魔獣と対面していた。
忘れようもない異形の蛇のようなその姿。
父の命を奪ったあの魔獣、アジ・ダハーカである。
本来3つあった頭の内、1つは父が切り落とした。
6個あった目の内、2個は頭と共に落ち、1個はバルエ夫妻が潰した。
アジ・ダハーカは残った3個の目をギラギラとさせ、結界に向け何度もブレス攻撃を繰り返し、今にも破らんとしている。
ペガサスがリアを連れてやって来た時に一度壊され、その後ペガサスにより、更に強力な結界が施されたが、この様子では破られるのも時間の問題だろう。
「…クロス、私があいつを引き付けておく。その隙にお前はメイテ達と合流しなさい。」
「!バカを言うな!兄貴一人でどうにかなる相手じゃないのは分かっているだろう!」
「2人でも敵う相手では無い。…わかるな?私達はここで全滅する訳にはいかない。…私達を守って死んでいった父達の為にも。」
「ならっ!俺が!」
「…クロス。お前では5分持たない。私なら2時間は稼げる。その間に皆を連れてなるべく森の奥へ逃げるんだ、いいな?」
まだ何か言いたそうなクロスを目で制し、改めてアジ・ダハーカに向き合う。
リア以外の者達の事は、それこそ卵の時から知っている。
絶滅の危機を迎えている一族の希望として、皆で大切に守って来たのだ。
むざむざ殺させる訳にはいかない。
「…お前にはここで暫く私と遊んでもらうぞ、アジ・ダハーカ!」
覚悟を決め、聖獣サンダーバードを始祖に持つ証、金色の羽を出して結界の外へと飛び発つ。
そしてまずは大きな稲妻を2つの頭へ向かって同時に繰り出した。
「…兄貴っ!!」
「行けっ!クロス!…お前が皆を導け!」
「…っ!」
私の声に一瞬躊躇したものの、それでも森へ向けて走り出したクロスを確認しながら、次々とアジ・ダハーカへ向け攻撃を繰り出す。
固い鱗に覆われた奴の体への攻撃は無駄だという事は、先の襲撃の際にわかっている。
弱点は2つ。
口の中と目だ。
目は的が小さく狙いにくいため、ブレス攻撃で口を開けた瞬間を狙って稲妻を放つ。
そうして何度か攻防を繰り返した時、私の放った稲妻がアジ・ダハーカの片方の口に突き刺さった。
ギャーッ!!
アジ・ダハーカの咆哮が響き渡り、怒り狂ったもう一つの頭が大きく口を開けた。
魔力の使い過ぎと何度か受けたブレス攻撃の為に、一瞬ふら付いた私に向かってその鋭い牙が襲い掛かる。
寸での所で頭を避けたが、その牙は私の右肩口に突き刺さった。
痛みに気を失いそうになりながらも、肩に食いついている方の頭の目に左手を伸ばして稲妻を放ち、牙から逃れた。
…これで2つの頭の内、1つは咥内への攻撃で弱り、1つは両目が潰れた。
かなりのダメージを与えられた筈だ。
だが私の方も限界が近い。
そろそろ最後の掛けに出るしかない。
クロスは無事皆と合流してくれただろうか…。
「はぁ、…はぁ…くっ……流石に…息が切れるな。…だが、これで…最後…!」
私はアジ・ダハーカの後方へ飛び、最後の力を使い、ペガサスが施した結界を一か所だけ解くと、そこへ向かってアジ・ダハーカを投げ込むように稲妻を放った。
アジ・ダハーカが完全に結界内に入ったのを確認して、開いていた結界を戻す。
ウギャーッ!!ギャーッ!!
アジ・ダハーカは結界内で暴れまくっている。
結界は、魔物が結界の中にいるか外にいるかで、その力の作用の仕方が違う。
魔物が結界の外にいる時は、結界内への侵入を防ぐ障壁に。
逆に、魔物が結界内にいる時は、その魔物を結界の聖なる力で弱らせ、外へと出さない為の檻となる。
そしてこれが最後の仕上げだ。
結界内には、万が一に備えて施しておいた魔法陣がある。
発動条件は大地を司る聖獣、サテュロスの末裔でもある私の血だ。
元は父が施していた陣を、私の血で発動するように書き換えた。
魔法陣に私の血が行き渡った時、陣は発動し、アジ・ダハーカを縛る2つ目の鎖となる。
これでもう暫くは時間を稼げるだろう。
後は愛しい私の家族達が、少しでも安全な場所へ逃げるのを祈るばかりだ。
そうして、最後の仕上げの為に結界内へ入ろうとした私だが、
!!!!
突然眩い光が炸裂し、次の瞬間、血まみれになった私の腰辺りに小さな塊が抱き着いてきた。
「…キリ、エにぃ、……ひと、り、……だ、め……。リア、…も、…み、ん……な…も、……いっ、しょ……。」
「…リア……!!」
愛しい家族の中でも更に一等愛しく、私の魂を揺さぶる子供。
「なぜお前がここにっ!?……ペガサスは何をしている!?」
『…主の意思です。主はあなたを守りたいと願った。そして主の願いを叶えるのが、私の役目です。』
そう言って、5年ぶりに完全なる姿で現れたペガサスは、私とリアの周りに、癒しと守護の結界を張った。
闇の力によって受けた傷は、聖獣の血を引く私達であっても治りにくい。
その闇の力で全身に受けた傷も、ペガサスの癒しの結界の効果で少しずつではあるが、塞がってゆく。
…だが、いくらペガサスの力を以ってしても、肩口の傷だけは無理だろう。
闇に穢され、既に黒ずみ始めている。
私の父も同じような傷を受け、そこから穢れが全身を侵かして行き、亡くなった。
私も同じ運命を行くだろう。
出来れば、そんな場面はこの愛しい子供に見せたくはない。
しかしリアは、私に抱き着いたせいで真っ赤に染まってしまった小さな手で、肩口の傷にそっと触れ、一生懸命心配してくれている。
「……いた、…い…?……キリ、エ……にぃ、……かわい、…そう…。……なお、って。…いた、い…の、…なお、って…!…」
愛らしい大きな瞳に涙を一杯に溜めながら、祈るように、あるいは歌うようにも聞こえる言葉を紡ぐ。
するとリアの周りに色とりどりの光が現れ、くるくると旋回し、やがて大きく強い光を発したと思うと、最後には一つになった。
伝説の不死鳥、聖獣・フェニックス。
その姿を、私は半ば呆然と見ていた。
マルシエの生き残り達が住処にしているのは、元はメイン通りにあった、レンガ造りの中規模宿屋である。
人に比べ、体の大きい聖獣眷属達の事を考えて作られた宿屋だったため、どの部屋も広めで、ベッドやソファー等の大きさも、かなり余裕をもって作られている。
2階建ての建物は、入り口付近を含め南西側はほぼ崩壊しているため、出入りには、崩壊を免れた北側のキッチンに設けられた通用口を使っている。
キッチンと同じ北側には、階段と廊下を挟んでバスルームがあり、南側が客室になっていたのだが、崩壊により、1階で使える個室は南東側の2部屋のみだ。
その内の1つが末裔達のリーダーである、キリエ・クランツの私室になっている。
部屋の東側の小さな窓から、柔らかな日差しがカーテンの隙間から差し込みはじめ、室内を薄っすらと照らし出した。
いつもキリエが一人で過ごしていたその部屋に、どうやら今は居候がいるようだ。
中央部よりやや入口よりに配置された大きなベッドの上、部屋の主であるキリエが、そのスレンダーではあるが、220cm以上もある体を横たえている。
いつもは高い位置で一つに結われている、サテュロス由来の膝まで伸ばされた美しい金髪は梳かれ、寝台に波打つようにある。
キリエはその逞しい腕で己の胸に包み込むように、この世で一番愛しい宝石を抱いていた。
それが、薄闇の中でも淡く輝くプラチナブロンドと紫水晶の瞳を持つ、極上の子供…リアだ。
リアはキリエの右胸の辺りに重なるように俯せになり、彼の波打つ金髪を一房、握りしめるようにして眠っている。
数日前のアジ・ダハーカ襲撃後、ペガサスとフェニックス、2体の上位精霊の助力により、何とかその命を失わずに済んだキリエだが、家族全員にしばらくの安静を言い渡された。
いくら伝説の不死鳥・フェニックスに、穢れた傷を癒してもらったとは言え、流れてしまった血液までが元に戻る訳では無い。
故の絶対安静だ。
キリエを失うかもしれない恐怖と、失わずに済んだ安堵、色々な感情がないまぜになり、泣きはらした顔で全員そろって言われれば、キリエも従うしかない。
以来、リアはキリエにベッタリである。
夜もバルエ姉弟と使っている2階の子供部屋に帰ること無く、キリエと一緒に眠るのだと、拙い言葉で可愛い我儘を言うのだ。
愛しい子供の可愛いお願いを、キリエが叶えないわけは無く、以来ずっとキリエとリアは一緒に眠っている。
他の家族達も、リアが傍にいれば無茶はしないだろうと、普段ならば絶対に許さないだろうリアの独占を黙認してくれている。
ただ、あの日の己の行動が、リアの心に深い傷を残してしまったのかと思うと、キリエとしては複雑な心境であった。
だが腕の中の愛しい子供を、生きてこうして抱きしめる事が出来るのは、喜び以外の何物でもない。
まして、一度は諦めた事なだけに、尚一層愛しさは増す。
初めて会った時からキリエの心を捉えて離さないリア。
相変わらずリアがどういった存在なのかは不明だが、キリエにとっては、間違いなく“最愛の子供”だ。
今はそれだけで良いと思えた。
アジ・ダハーカ襲来 END
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