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26.これから・智⑥

 8月30日にオレはオッサンになった。……いや、この表現はヘンだな。別にオッサンって急になるモンじゃないしな。つまり何を言いたいかって言うと、この日オレは30になったってことだ。20代と30代とじゃ響きが違うし、30ってのはやっぱオッサン年齢なんだと思う。  日付が変わった直後、『誕生日おめでとう』ってメッセージが亮介から送られてきた。覚えててくれたのがとても嬉しかった。もちろん『ありがとう』って返したよ。オレも亮介の誕生日は忘れてない。だから9月3日になったらきっとメッセージを送ると思う。  何となく気が向いたのもあって、寝る前に久しぶりにPCに保存した画像を開いて見た。亮介と一緒に暮らした部屋の写真だ。学生時代に旅行に行ったときの写真とかは全て削除しちゃったんだけど、この画像だけは削除せず、ずっとPCに保存したままだったんだ。ここ最近は滅多に開くことは無かったかな。多分2年ぶりくらいで開いたような気がする。  数枚のこの画像を見るだけで懐かしい思い出が蘇る。小さなケンカはあったけど、オレたちは本当に仲が良かったと思う。オレは亮介が大好きで亮介もオレのことが好きで……。お互いの就職が決まったときはお祝いしたんだよなぁ。卒業して社会人になって大人として独り立ちして、それでも一緒にいようなって約束したんだよな。大変なことはあるかもしれないけれど、オレたちには明るい未来が待ってるんだって思えたあの頃……。  あの頃に戻れたらいいのに。  胸が苦しくて気がついたら泣いていた。この気持ちはどうやったら消すことが出来るんだろう? 亮介と再び会えるようになった今、友人関係を続けていくためにはオレのこの気持ちは不要だ。これから先、亮介に恋人を紹介されたときや亮介が結婚したとき、オレはおめでとうって笑っていなきゃいけないんだ。そう考えたら、会えなかったときより今の方がツライってのに気がついた。だからこの気持ちは忘れなきゃいけないんだ。  でもどうやったら忘れることが出来るんだろ?  ずっと好きで、今でも好きで、何度も何度も忘れようとして忘れられなかったこの想い。やっぱりこれからもオレの中にあり続けるんだと思う。だから亮介とはなるべく会わない方が良いのかもしれないけれど、でもきっと誘われたら会いに行くんだと思う。想いは告げれないけど、顔を見れるだけでも嬉しいから。 「乙女かよ……」  思わず出たそのセリフ。30のオッサンには全く似合わない単語。  翌日と言うか当日、昼休みにカイトさんとタケルからお祝いメッセージが飛んできた。カイトさんからは誕生会の提案も来てたけど、それについては謹んで遠慮させてもらった。オッサン祝いなんてやってもなぁ……。  平日ってのもあってオレの誕生日は概ね平和な一日だったと思う。仕事も今はさほど忙しくなく残業も少しだけで帰宅できたし。 そう言えば職場のフロアを出る直前に及川女史の姿が目に入ってきたんだけど、非常に機嫌が良さそうな様子だった。普段はもうちょっとキツい雰囲気なんだけどさ。その機嫌の理由は考えなくても分かるんで、オレは彼女と目が合う前に急いでフロアを後にしたんだ。捕まってノロケなんか聞かされたら大変だからな。愚痴もイヤだがノロケも遠慮したい。平和にすごすためには彼女に近づかないのが一番だ。  帰宅途中にケーキ屋の前を通ったとき一瞬だけ迷ったけどガマンした。自分の誕生日にケーキを……って考えたんだよ。でもオッサンが小さなケーキを1コだけ買うってのはやっぱすっごく勇気がいると思うんだ。じゃあ2コ買えば?って考えもしたけどそれはそれで空しいからヤメておいたよ。  晩メシは適当なモノを作って簡単に済ませた。男のひとり暮らしだしね、栄養が偏らなきゃ何でもいいかってカンジだよ。もう少ししたら風呂でも入ろうかなって思いつつマッタリしてたらタケルがウチにやって来た。  事前の連絡も何も無く、突然やって来たのは実はタケルと知り合ってから初めてのことだったんでビックリしてしまった。でも、タケルから渡された箱を見てオレはニンマリしちゃったんだ。捨てる神あれば拾う神ありってこのことかな?って、きっと意味は違うと思うんだけど。タケルから渡されたのはケーキが入ってる箱だったんだ。 「智サン誕生日おめでとうございます。お祝いにケーキ買ってきましたから」 「ありがとう。オレも自分でケーキ買おうかって思ったんだけどさ、1コだけ買う勇気が無かったんだよ」  そう言いながらオレはタケルを中に入れて紅茶の準備を始めた。コーヒーも良いけどケーキなら紅茶かなって思ったから。タケルの持って来たケーキはショートケーキとチョコレートケーキだった。ちょっと迷ってからチョコの方にした。生クリームも好きだけどチョコクリームも大好きなんだ。昔からオレは甘いものが好きで、年齢的にそろそろ控えなきゃいけないんだろうけどヤメられないんだ。酒が飲めないんだからさ、甘いものくらい良いじゃんかってカンジ。 「智サン、ハイ、あーん」  そう言った先にはフォークに乗ったショートケーキがあった。何の躊躇も無くオレは口を開けてそのケーキにパクついた。うん、こっちのケーキも美味い! 「やっぱ智サン可愛いです。それで30だなんて詐欺ですよ」  そんなタケルのセリフには思わず苦笑いだ。だってオレが30になったのは紛れも無い事実なんだからさ。

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