上っ面のセールストークは必要ないことなど、碓氷さんに言われるまでもない。 「分かりました」俺は碓氷さんの前に跪き、女王陛下を前にした時のように、その手の甲に、キスをした。そして、何度目かの告白をする。「好きです」 「……その好きってのは」 「キスしたりハグしたりセックスしたりしたいという、『好き』です」 　碓氷さんの眉がぴくりと上がる。それから呆れたように笑った。「おまえから営業トークを取りあげたら、そんなかよ。色気もへったくれもねえな」 　そう言う碓氷さんだって、随分と砕けた物言いになっている。 「で、そろそろ覚悟は決まりました？」 　碓氷さんは足元の俺を見下ろした。「ああ。好きなようにしろ」 　少し顔を上げると、視野の端に桜餅が見えた。「大丈夫ですよ、俺の好きな関東の桜餅みたいに、優しく包み込んであげます」 　碓氷さんもそれに気づいたようだ。「おいおい、関西流の俺だって優しいだろうが」 　俺は立ち上がり、椅子に座ったままの碓氷さんの後ろに回って、ハグをした。「優しいっていうか、ねっとりまとわりつきますよね。ま、どっちも美味しくいただくけど」 「生意気言ってると道明寺の餅にするぞ？」碓氷さんは俺の腕をゆっくりと外し、半身を捻って、背後の俺を見上げた。 「半殺しですか。そんなこと言わずにちゃんと最後まで味わってくださいよ」 「言われなくても葉っぱまで食ってやる」 「少しの塩気は甘さを引き立たせますもんね」 「いいから早くしろ」 ……口先では強気でも、ほんのりピンクに頬を染める碓氷さんに、キスをした。 　都合の良いことに明日は土曜日で会社は休み。もちろん偶然ではない。花見は歓迎会を兼ねて毎年四月の金曜日に設定されているのだ。入社間もない俺たち新入社員が他の社員と親睦を深めることがメインの目的なのだろうが、実際は三月から内定者研修もあり、同期はもちろんほとんどの社員とは既に顔見知りで、今更という感じではある。今頃他のみんなはどうしているのだろう。ブルーシートの宴席は片付けて、どこか居酒屋にでも繰り出しているだろうか。 「こら」碓氷さんが俺の鼻をつまんだ。「この状況で上の空とは、良い根性してるな」 「みんなのこと、急に気になっちゃって。抜けても大丈夫だったんでしょうか」 「さあ、知らん。何か言われたら、おまえが泥酔したから介抱してたとでも言っておくよ」 「え、ひどい」 「ひどいのはどっちだ」碓氷さんが俺の頭を引き寄せ、抱え込むようにする。それは俺を抱き締めたいのではなく。「俺は男との経験なんかねえんだから」自分の顔を見せたくないからのようだ。「今だって緊張で倒れそうだ」 「可愛いですね」思わず本音を漏らしてしまう。 　碓氷さんは飛び上がらんばかりに驚き、俺を突き飛ばした。でも、力はろくに入っていない。「まさかおまえ、俺のこと、だ、抱く気か？」 「大丈夫ですよ。優しくします」 「なんで決めつけてんだよ。そういうことはきちんと話し合ってだな」 「今日はまだ挿れません。準備してませんし」 「挿れないって……？」 「ここに」俺は碓氷さんの股間に手を差し入れる。硬くなりつつあるそれをズボン越しに感じながら、そのまま更に後ろのほうへ指を伸ばす。「挟むんです。素股ってやつですよ。ね、それなら怖くないでしょ？」 「怖がってなんか」 　俺は碓氷さんの耳を舐めた。碓氷さんがビクッと身を震わせる。悪くない反応だ。「ベッドはあっちの部屋ですか？」 　碓氷さんは30秒ほど考え込んだ。そして、顔を上げる。「よし、分かった」 　ようやく覚悟を決めたらしい碓氷さんは、椅子から立ち上がり、おそらくは寝室につながっているドアを開けた。 　予想通り、そこはほぼベッドでいっぱいの狭い寝室だった。ここと、リビングと、バス・トイレ。それにロフトがあるようだが、寝て起きたら頭をぶつけそうなほど天井が近いから、きっと物置代わりに使っているのだろう。それが碓氷さんの城のすべてだ。 　俺も寝室に入り、後ろ手にドアを閉める。リビングの明かりが遮断されると、寝室は一気に暗くなった。碓氷さんがどこかでスイッチを入れたようで、足元の間接照明がひとつ点いた。 「外回りから帰ってきたままなんだ。シャワーぐらい浴びさせろ」 「だったら俺も、朝からずっとあそこで場所取りで、土埃浴びてます」 「俺が出てから入れ」 「一緒に入りましょうか？」 「嫌だ」 　客相手なら決して言わないはずの言葉で一方的に拒否をすると、碓氷さんは着替えを手にして寝室を出て行った。少し怒ったような表情だが、おそらくは照れ隠しか、あるいはちょっとしたパニック状態なのだろう。 　それはそうだ。ノンケの男が、同性の、知り合って間もない年下の新入社員に口説かれ、セックスにまで持ち込まれようとしているのだ。そう考えると同情に値するが、かといって引き下がる気は毛頭ない。 　一人残された俺は、再びリビングに戻る。かすかに聞こえる水音を頼りにバスルームを探した。と言っても、寝室のドアとベランダに出る掃き出し窓のほかにはドアは二つしかない。ひとつはトイレだから、残る一つがバスルームのドアだ。