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第5話

 やることもないから、ひとまず服を脱ぐ。碓氷さんはわざわざ風呂上がりの着替えを用意していたようだが、どうせすぐに脱ぐのに、と思う。俺はそういう手間を極力省略したいほうだが、碓氷さんはその手間暇にこそ価値を見出すのかもしれない。  碓氷さんはにこやかで人当たりの良い人だ。顧客相手の時だけでなく、誰に対してもそうで、新人の俺に対する態度ですら基本的にはそんな感じ。さすがに指導する時には真面目な顔になるけれど、うっかり質問もできやしない、というタイプではない。  だから今みたいに、ぞんざいな口の利き方も、少し雑なふるまいも、俺の目には新鮮に映る。もっとも知り合って間もないのだから、何をしたって新鮮には違いないんだけど。  ただ、この短い間にも見えてきたものはあって。  それは、碓氷さんに勝つには考える時間を与えちゃだめだってこと。  いくらにこやかで優しげで好感度高い人物だとしても、それだけで営業成績トップにはなれない。この一ヶ月見てきて、他の営業マンとの違いは、まずはその決断の速さだった。そして、そのスピードを可能にしているのは、過去の交渉履歴を正確に記憶しているといった地道な努力。そう、やっぱりそういう「手間暇」を重視するのだ、あの人は。  恋愛だって、まともに戦えば経験値もスペックも何も上の碓氷さんにかなうはずがない。優位に立てる見込みがあるとしたら、まだ「俺の情報」が少ないうちに、つまり判断に迷っている間に、こちらから実力行使に出てしまう奇襲作戦しかない。  今のところその方法はうまく行っているようだ。碓氷さんは明らかに動揺していた。だが、今、この瞬間はどうか。一人でシャワーなど浴びたら、ふと冷静になってしまうかもしれない。  俺はそっとバスルームに近づいた。シャワーの水音は聞こえるが、何かをしている気配はない。やはり、滝に打たれる修行僧の如くになっているのではあるまいか。そう思ったらいても立ってもいられず、バスルームの扉を開けた。 「うわ、な、なんだよ」 「何してるんですか」 「何って、そりゃ、その、体洗ったり、とか」  そう言う割に、ナイロン製のボディタオルを使った形跡もない。 「あそこは洗いました?」 「は?」 「お尻」 「な、な、何を」 「待ち時間が長かったもんだから、俺、気が変わっちゃったんですよね」 「ちょっ、ちょっと待て。気が変わったって」 「せっかくここまで来たんだから、最後までしましょう」 「はああ?」 「やり方わかります? 中まで、きれいにする」 「中までって、おまえ」  焦る碓氷さんを黙らせるように、俺はキスをした。そのまま壁に追い詰める。 「んっ」という色っぽい声が、キスの合間に漏れてくる。口を離すと「生意気なキスしやがって」と悪態をつかれた。いや、誉め言葉か。 「手伝います」 「何を」 「だから、きれいに」  碓氷さんは被せ気味に「いい、自分でやる」と言った。 「したことないんですよね? ちょっとコツ要るし、俺に任せて」そんな言葉を、俺はわざと碓氷さんの耳元で囁くように言う。 「馬鹿、察しろよ。そんなの……恥ず……だろ」恥ずかしいだろ、と言うのも恥ずかしいのか、碓氷さんは小声になる。 ――可愛い。  格好いいから好きになった。見た目も、性格も。そして何より仕事ができるってところに惹かれた。でも、今の碓氷さんは……可愛い。  碓氷さんはボクシングフォームのように、腕を顔の前に出す。無意識に身を守ろうとしているんだろう。そんな防御は必要ないと分かってもらいたくて、俺は極力優しく、その腕を解く。それから碓氷さんの耳にキスをする。そこからスタートして、首筋に。顎にも。やがて肩へと。俺は徐々に中腰姿勢になる。時折、ふ、と碓氷さんが息を吐く。  頃合いを見て、シャワーヘッドを彼のそこに当てる。  経験があると言ったって、ほんの数度のお遊びだ。相手は今の会社じゃない企業に勤める会社員で、俺はОB訪問でその人と出会った。いろいろ教えてやるからと個人的に誘われて、出向いたらそうなった。教わったのはこの業界に来るなら押さえておくべきいくつかのトピックスと、男同士のセックスのやり方と快感。二度目以降は後者がメインだったけれど。内定を餌に弄ばれたとは思ってない。お互い合意の上のことだ。大体その人にはそこまでの人事権もなかったし、断ったって内定に響くほどのことではなかった。ただ、その人の会社に入る気は失せたから、就活のほうはこちらから辞退して、その人ともそれきりだ。  碓氷さんだったら、どんなに好みの子が来ても、就活の学生にそんなことを持ちかけたりはしないのだろうな。  そんなことを思いながら、俺は碓氷さんの「中」を空にしていく。 「はぎ、の、おまえ、こん……こと、そんな、平気な……よくできる……な」息も絶え絶えなのは、肉体的な苦しさではなくて、極限の羞恥からだろう。俺にも身に覚えはある。例のOB相手の時は、俺がそちら側だったから。 「できますよ。今の碓氷さん、最高に可愛いですもん」 「ふざっ……!」弱弱しく俺を叩く碓氷さんが、また可愛い。もう、本気の抵抗なんかできないくせに。

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