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第19話
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午前の雑務を終え、マシューは重い足取りでイアンの部屋へ向かっていた。
太陽は、もう既に高い位置にある。朝方残っていた雪も粗方溶けて、日陰に少し残しているだけだ。
ルナティックの夜の翌日は、仕事を入れないようにしているけれど、そろそろ起きてもらわなければ。
まだ顔を合わせ辛い。イアンの前で、いつもの通りに接する事ができるのか不安だった。
深く息を吸い、吐き出して、マシューは止まりかけた足を動かして二階への階段を上がる。
「マシュー」
しかし、不意に背後からよく知った声に呼び止められて、再び足を止めた。
振り返ると、マシューと同じ赤毛の男が階下からこちらを見上げている。
この家の当主でウェアウルフの長である、レスター・ティカアニ付きの執事。マシューの父親ライアンだ。
「はい」
年老いて、部屋から出る事も少なくなったラスターの傍を片時も離れないライアンが、この東館にまで足を運ぶのは珍しい。
何かよくない事でもあったのか……という不安が即座に過った。
「何か?」
「旦那様がお呼びだ。すぐに本館へ来るように」
「……私が……ですか?」
マシューが問い返すと、ライアンは厳しい眼差しで見上げてくる。
「そうだ。お前に頼みたい事があるそうだ」
「では、イアン様の身支度のお手伝いが終わりましたら、すぐに参ります」
「いや、今すぐにと仰っている。イアン様には他の者を行かせればよい」
「え……でも……」
「早く来なさい」
マシューが言いかけた言葉は、ライアンの声に掻き消された。
踵を返し歩いていく父の後を、マシューは仕方なく従いていく。
────俺に頼みたい事って、いったい何だろう。
マシューは前を歩く父の背中をじっと見つめた。
「……マシュー」
本館へ繋がる廊下に差し掛かった時、ライアンは、まっすぐ前を向いたまま、マシューに声を掛けてきた。
「はい……」
「昨夜は、イアン様の寝室に泊まったのか」
「っ…………」
マシューは、思わず返答に困り、口ごもる。
「別に、責めているのではない」
そう言われても、本当の事を言ってよいのか迷う。
「……はい。イアン様のお部屋に泊まりました」
まさか、昨夜の事を全部ライアンが知っているとは思えない。なぜ、そんな事を聞いてきたのかも分からなくて、マシューはぐっと奥歯を噛みしめた。
これ以上は、聞かれても言えない。
「そうか……」
しかし、ライアンはそう言ったきり、もう何も聞いてこなかった。
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