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第26話
「……ッ」
マシューは声を詰まらせる。
美しき王の眼差しで、下された命には逆らえない。
──As you wish.
喉まで出かけた言葉を、既の所で呑み込んだ。
「……でも、それでは、イアン様のお立場が……」
マシューにとっては、アーロンの心配よりも、一族の未来よりも、レスターの願いよりも、イアンの気持ちを優先させたい。
でもそれ以上に、この事でイアンの立場が悪くなる事の方が怖かった。
次期長の座を狙う者は他にもいる。
あの男、トレイターもその中の一人だ。何がきっかけで失脚させられるか分からない。代々続いた長の家系だからと言って、油断すれば、すぐに足を掬われてしまう。
「私のことは気にしなくてもいい。なんとか切り抜けてみせるさ」
「……でも……」
「ああ、でも、命令に背いたマシューはお咎めを受けるかもしれないね。もしかしたら、追放という事もあるかも……」
「……わ……私のことは……どんな事になっても……」
マシューは、思わずイアンから目を逸らし俯いてしまった。
そうなった時の事を、一瞬のうちに想像して、胸の奥が締め付けられる。
イアンの傍に居られなくなる。それは耐え難い苦しさだった。
「……ああ、そんな悲しそうな顔をしなくてもいいから」
不意に伸びてきた長い指に顎を捕らえられ、顔を上げさせられる。
至近距離で視線が絡み、灰青の美しい瞳に囚われると、マシューは身じろぐ事さえできなくなる。
「もしも、そんな事になった時は、私も一緒にこの街を出よう」
「……っ」
──貴方は、そんな事をしてはいけない!
そんな事は、させられない。
そんな事は、許されない。
咎めを受けて、ここを出ていくのは自分だけでいいのです。
そう言いたいのに、口がうまく動かない。
声も出せずに、ただパクパクとさせる唇の端に、イアンが触れるだけの軽いキスをする。
そして、悪戯っぽく「……なんてね」と言って、満面の笑みを浮かべた。
「…………」
──良かった。冗談だったのか……。
マシューは、内心ホッと、胸を撫でおろす。
なのに、その胸の奥が切なく痛む。
冗談で良かったと思っているはずなのに、複雑な想いが沸々と込み上げてくる。
今のは冗談なのだと、打ち消しても、打ち消しても、イアンの言葉が頭の中でリフレインする。
────『私も一緒に、この街を出よう』
──もしも本当に……
アーロンとアンジュのように、二人してこの家から、この街から、一族のしがらみから、逃れる事ができたなら────。
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