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第32話

 希はぽかんと口を開いた。 「悪い、最後の客で予想外に手間取った」  沈黙する希が怒っているのと誤解したのか、奎吾が遅れた理由を口にする。レザーのジャケットを羽織った奎吾はきょうも文句なしに男前で、それなのに一カ所だけぴょんと跳ねた髪の毛が、男の動きに合わせて揺れる。それを見ていたら、なぜかくすぐったいような気持ちが胸にわき上がった。 「おつかれさまでした」 「あ、ああ・・・・・・」  希が頭を下げると、奎吾はわずかに戸惑った表情を浮かべた。 「えっと、どこへいく?」  希の言葉に、奎吾はハッと我に返った。いい店の心当たりがあると、奎吾が向かったのは、いまいる場所からそう離れていない、ある一件のバーだった。店内は木目のカウンターとテーブル席がいくつかあり、落ち着いた雰囲気だ。一人でちょっと飲みにいくにも、デートなどにも良さそうだ。 「よくくるのか?」  物珍しげに希がきょろきょろと店内を眺めながら訊ねると、奎吾はまあな、と答えた。脱いだジャケットをイスの背にかけながら、飯は? と訊ねられる。希が「まだ食べてない」と答えると、奎吾はウェイターを呼んだ。慣れたようすで何品かを注文する。 「最初はビールでいいか?」 「あ、俺はウーロン茶で」  ウェイターがテーブルから離れると、奎吾はひょいと片方の眉を上げた。その口元には皮肉な笑みが浮かんでいる。 「何、禁酒してんの? この間の失敗があって?」  希は、うっと言葉を詰まらせた。奎吾の言葉が図星だったからだ。

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