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第5話

 第一高校は、市街地とは反対のほうへ山を下って、もう一山越えたところにある男子校だ。片道一時間の道のりを、滋についていくだけで精一杯だった。自転車だと逆に危ないほどの急な坂を越えて、暁は久しぶりに外の人間と触れあった。といっても、ほとんどが、地元の中学校の持ちあがりのようで、なかなか輪の中に入っていくことができなかった。 「×××…××、×、?」  東京から引っ越してきた暁をまず拒んだのが、方言だった。教師やクラスメイトが話している言葉が、あまり理解できない。そして、地元の生徒たちが「言葉」で自分達を判別しているということを暁は初日に理解した。最初に、あの森で感じた違和感の正体が分かった。あそこに住んでいる人たちは、意識して標準語を使っているのだ。そうすることで、大きな「地域」というくくりのなかですら孤立しようとしている。 「元さんみたいに、都市部に逃げちゃう人は一人や二人じゃないし、出稼ぎで外に行っちゃう人もいる。そういうときに、出身地を聞かれないように、俺たちは標準語で育てられるんだよ」 わざわざ一年生の教室までやってきた滋は、セックスのセの字も知りません、みたいに澄ました笑顔でそう言った。 「でも、ずっと三年間一人じゃ寂しいから、俺たちのとこ出身の先生が、理科と数学にいるよ。俺が卒業しても、一人ぼっちじゃないからね」 滋はずっと一人で、お弁当を食べていたらしい。今日から、暁と二人で昼食をとることにしたそうだ。まわりの生徒は、まるで二人が見えないかのように振る舞う。 「そこまでして、なにを守りたいの」 「俺たちの場所が、ずっと俺たちの場所であり続けるために必要なことなんだよ」 「それって、自分が彦奈じゃなくてもそう言えた?」 「言える。俺は俺の生まれた場所が好きだよ」 「かなこっていうひとと、関係ある?」 「…残念、俺は実はかなこには興味がないんだ」 「彦奈だから?」 「いや? 彦奈でもかなこに子どもを産んでもらうことはできる。俺は、ちょっと他の人とは事情が違うかな」 「もうさ…あんたたちの場所はルールが細分化されすぎてて初心者には対応できないよ…」 「慣れてきたでしょ? そろそろ俺のこと抱く気になった?」 「ならない。絶対にならないから」 こうやって、からかい合うこともできるようになった。春とはまだ名ばかりの、桜の咲かない四月だった。  滋に関して理解できるようになれば、あとのことはぼちぼち追いついてきて、暁は何人かの歳の近い人とサッカーボールで遊べるようになった。まるで小学生の日記のようだが、違う民族と遊べるようになるということは、暁にとっての大きな成長だった。把握してしまえば、東京にいたころの一クラス分にも満たない人数でこの民族は構成されていた。暁が見たことがある人間で一番の高齢が(みつる)じいさんで、七十代。元くらいの年代で、勝、武、豊、他にも何人か、同じように漢字一文字の男がいる。そして自分に近い年齢でいうと、二つ上の滋、四つ上の(ひろし)、二つ年下の(みずき)がいた。 朝起きて、元の農作業を手伝って、滋と学校に行って、誰とも話さずに授業を終えて、夕暮れまでサッカーをして、夕ご飯の準備をして、帰ってきた元と食べて、寝る前に家を抜け出して滋の身代わりを眺めて自慰をして、寝て、朝起きて、の繰り返し。瑞ですら滋と寝るのに、暁はいつまでも童貞のままだった。そのことは、この辺の人たちには知れ渡っていることで、よくからかわれたし、おじさん連中には怒られることもある。けれど暁は、たとえ滋と二人ぼっちにされても、決して手を出さなかった。滋も、強く誘うことはない。そもそも滋は自分を求める男たちを慰めるだけでも手いっぱいで、暁がまわりと馴染むようになってからは、もっとほかの人とも仲良くなってほしいとすら思っているようだった。  彦奈という役割が成り立っているこの場所では、彦奈ではなくても、男同士でセックスをするということに対する抵抗がないようだった。元が滋を呼ばずに、武のところへ通っていることも、暁は薄々感じていた。おそらく、滋の前の彦奈が元だったということも。 (しょうがない。父さんもこの民族の人なんだから) 元が帰ってこない夜も、自分が帰らない夜も、同じ夜だと暁は分かるようになった。東京にいたころは、自分が帰らないなんてありえなかったし、仕事が遅くなって元が帰ってこない日は、とてもとても心細くて、泣いた日もある。でも今はちょっと山を登れば知った顔がたくさんあるし、明かりがついていて騒がしい蔵があれば、覗けば必ず滋がいて、潜り込んでも怒られない。この民族は基本的に優しいのだ。だから、ルールさえ破らなければ、自分に害はない。  暁は、そう信じていた。

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