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2 真也 (追憶)
姉がその人を連れて帰って来る日は何故か決まって雨が降った。
ーー会いたくて
ーー早く会いたくて
だから雨の日は走って帰った。
なのに玄関のドアを開けて、姉の靴と仲良く並ぶその人の靴を見ると、嬉しいはずの心はちくりと痛んだ。下駄箱の端で寄り添いぶら下げられたふたつの傘の先からポツポツと落下した雨粒は、小さなひとつの水溜りになっていた。
その人はいつだって嬉しさと同じ分だけの切なさを連れて来る。
それでも
ーー会いたくて
ーー会いたくて
「祐介さん、来てるのー?」
そう言ってランドセル姿で駆け寄った日々。
雨の匂いのするシャツに抱き付いて
「真也」
と甘やかに名前を呼れて、慌てて下半身を少し離す。
それを側で見ている姉の言葉が
「本当の兄弟みたいね」から「まるで恋人みたい」に、変わった頃、高校生だった祐介は大学生になり、やがて社会人になった。
そして真也はもう無邪気な十歳の少年ではなく、叶わない恋に身を焼くひとりの男になっていた。
その頃から徐々に祐介はあまり各務家に姿を見せなくなった。もしかしてふたりの仲は壊れてしまったのかもしれないと、真也は複雑な思いに囚われる。
行き場を失くした恋慕は、慎也の心を静かにけれど確実に侵していった。
切なく、苦しいその侵略に真也は降伏するしかなかった。
「最近、祐介さんウチに来ないね」
普通を装って。
慎重に言葉を選んで。
兄を慕う弟の域を決して超えないように。
「あれ?言ってなかったっけ?祐介、転勤したの」
仕事を終えた彼女は、まとめていた髪を解きながら何でもないことのように答えた。
「えっ?嘘」
「本当よ」
クセを直す仕草で姉が頭を左右に振ると、その髪はダイニングの明かりの下で眩しく揺れた。その美しさに真也の心は萎縮する。
「じゃあもうウチには来ないんだ?」
「そんなことないんじゃない?でも今までみたにここが第二の我が家ってわけにはいかなくなっちゃうね。淋しい?」
「淋しいって言うか……」
「真也は祐介のこと大好きだもんねー。あっ、もうすぐ真也の誕生日だし近いうちに連れて来ようか?」
「そんなことしてくれなくてもいいよ!」
びっくりするくらい尖った声が出たのは
自分の誕生日を口実にふたりが会うのが嫌だと思ったからだった。恋人同士のふたりに口実なんて必要ないことくらい分かっているのに。
けれどそんな狭量な真也に対しても姉は優しかった。
「じゃあ、自分で連絡してみたら?祐介、きっと喜ぶわよ」
そう微笑んだ彼女はいつもより一層綺麗で、とても幸せそうだった。
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