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6 真也 (追憶)
昔からその人は真也のお願いにとても弱かった。
最初は「ダメだ」と言っていても
「ねぇ、祐介さん、ほんとにダメ?ねぇ、お願い」
飛び跳ねて両手を引っ張って、時には首に抱きついて強請 ると根負けしたみたいに最後には「仕方ないなぁ」と笑った。
その笑顔がとても好きだった。
「仕方ないなぁ」
その人が笑うと、心の中の水槽に、澄んだ水が注がれる。醜い感情で澱んだ水槽は、注がれたその水で満たされて、ひと時だけでもキラキラと輝いた。そして真也は夢を見る。
ーー愛されてるのかもしれないと
ーー幸せで愚かで、儚い夢
夢から覚めた後には、より一層苦しい渇きに襲われると解っていても真也は錯覚に心を委 ねた。
ーーもっと笑って
ーーもっと、もっと夢を見せて
いつからだろうか?
隠している秘密が重過ぎて、後ろからしか抱き付くことが出来なくなったのは。
無邪気な仮面が外れたら、もう弟でいられなくなってしまう。けれどいつか必ずその日が来るのなら
ーーだったらいっそ
ーーもう
雨の日に真也が助けた寂し気な王子様は、素敵に笑う大人になっていた。そのことが大声で自慢したいくらいに嬉しくて、でも同じ分だけ悲しかった。
そんな王子様の一番近くにいたのも、これから先にいるのも、自分じゃないから。
その人は自分のことなど、いやあの雨の日のことさえも、きっと覚えてはいない。
「誕生日の夜には一緒にいて下さい」
ーーせめて一度だけ
ーー最後に一度だけでも良いから
「祐介さんの夜をオレに下さい。祐介さんが……祐介さんが欲しい」
ーー貴方の笑顔を独り占めさせて欲しい
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