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8 真也 (現在)
駅に着いたふたりは、改札口へと続く連絡通路で立ち止まった。
本来なら真也は彼女と同じ路線だが、今夜は帰る場所が違った。
降り続いた雨で真也の左の肩は随分と濡れていた。
別れ際、それに気付いた彼女は泣きたくなる。
ーーどうして人は想ってはくれない人ほど焦がれてしまうのか
今ここでハンカチを差し出してもきっと彼は
「大丈夫、平気だよ」と言って決して使ってはくれないだろう。
だから彼女はハンカチを渡す代わりに、その手を小さく振った。
「じゃぁ、これで」と笑って見せた。
そしてそうすることで、何かを切り換えるみたいに彼に背を向けて真っ直ぐに改札口へと歩いて行った。彼女の手には赤い傘。
その赤は、見送る真也から遠ざかっていって、やがて人混みに消えて見えなくなった。
胸が苦しくなるような恋だった。
ただ赤い傘を見ただけで、苦しくて、なのに会いたくて。
だから今日まで迷っていた。
さっきまで決心出来ずに揺れていた。
「祐介さんが欲しい」
などと言った癖に、その人が待つ部屋に帰るのが怖った。その人を汚す勇気もなく、可愛い弟でいることにも耐えられないのなら、残る選択肢はひとつしかなかった。
ーーサヨナラ
優しいその人には穏やかな幸せが似合う。
この世には、欲しくても決して望んではいけないものがある。
ーーもしも堕ちていくのなら
ーーひとりでいい
「祐介、きっと喜ぶわよ」
思い出すのはキュッと鼻の上に皺を寄せて笑うチャーミングな姉の笑顔と綺麗な黒い髪。
ーー幸せに
ーーどうか、幸せに
別れの日もやっぱり雨なのかと真也は思う。
「祐介さん……」
ーーバイバイ、おにーちゃん
ーーオレの王子様
雨の中、オレが見つけた王子様。
ーーずっと好きだから、大事だから
だから
ーーどうしても奪えない、汚せない
この恋は
ーー雨に流してしまえばいい
その人に借りた腕時計に目を落とす。針が何時を指しているのかよく見えないのは、泣いているからじゃないと、真也は自分に嘘をつく。
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