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第三話 お願い

 茶屋を出た後、ルーカスは俺の家に泊まった。自分に好意を持つ男と一晩同じ布団に寝るんだからそれなりの覚悟と準備はしておいたが何事も無く二人して呆気無く眠りに就くとは思わなかった。拍子抜けしたのと同時にホッとしたのも事実だ。俺は身体を起こさずにルーカスを見る。ルーカスは未だ俺の手を握ったまま夢の中だ。 「どーすっかな……」 手を握られているせいで布団からは出られない。しかし腹が減った。ルーカスを起こすべきかこのまま寝かせておくべきか、手を解いて朝飯を作って起きるのを待つか。もうかれこれ三十分近くこのままだ。布団は狭いし窓から日が差して眩しいだろうに一向に起きる気配がない。  それから十五分程経って漸くルーカスが目を開ける。 「Good morning ,dad.What time is it now?」 「悪い、分からん」 「アレ……?」 ルーカスは上半身を起こして目を擦った。きょろきょろと辺りを見回している。 「寝ぼけた! アイリス、オハヨゴザイマス」 「おはよう」 ルーカスは恥ずかしそうに俺を見てもう一度オハヨウ、と言った。 「朝飯食うか? 米と味噌汁だけど大丈夫か?」 「ダイジョブ! 食べラレル」 いつもより遅起きだったから朝飯の時間は随分遅くなりそうだ。俺は腹の虫を抑えて飯の準備をした。 「アイリス、今日はドコ行く? オレ、見てみたいものある」 「見てみたいもの?」 朝飯の皿を片付けて一段落ついたとき、ルーカスは言った。気のせいか期待の眼差しを向けられている気がする。 「オイラン、見てみたい。オレお金持ってる。イッショにお話ししに行こ」 ルーカスは興奮気味に言う。反対に俺の背筋は凍りついた。それを悟られないようにできるだけ普通の調子で尋ねる。 「花魁? 何でそんなもの見に行きたいんだ?」 「だってキレーなんだよ? カラフルなキモノ着ているよ。お金払ってお話ししたりお酒飲んだりするんだって」 「俺は嫌だ」 嫌だと言った俺の声は自分でも驚くくらいに低いものだった。俺の様子を見てルーカスも少し落ち着いたようだ。 「ドウシテ? ウワキになる?」 「まあ、そうだな。恋人や夫が花魁とか遊女なんか買うのを許す奴は居ないだろうな」 「アイリス、シットしてくれてる?」 ぱあっとルーカスの顔が輝いた。どんだけ前向き思考だこいつは。 「ワカッタ、買わナイ。でもチョットだけ見てみたい。ゼッタイ心移りはしないから。みんな言ってる、オイランはキレーだって」 「綺麗じゃねえよあんな奴ら」 「ナンデ? ドウシテそんなコト言うの? オイラン買う、ニホンジンのユメなんじゃナイの?」 今度は先程とは一転して泣きそうな顔をしている。俺は苛立って食机を殴りつけた。思った以上に大きな音がして、ルーカスはビクッと肩を震わせた。 「ワガママ言ってゴメンなさい……」 ルーカスはすっかり萎れてしまった。ルーカスが悪いわけじゃない事は分かっている。本当に花魁も廓の世界も、「花魁を買う」という意味も知らない。ただ純粋に綺麗なものだと思っているだけなんだ。それは分かっている。謝るのはむしろ俺の方だ。 「そんなに見たいなら俺がなってやるよ。着物と酒と茶請けを買ってお前の相手をしてやる」 「……いいの?」 ずいっと前のめりになってきた。勢いに流されるように俺は頷く。 「ヤッタ! 大スキなアイリスのオイラン、楽しみ」 両手で拳を握り締めているルーカスを見て俺の心は酷く痛んだ。ルーカスを騙したいわけじゃない。そして俺の事は知られたくない。でもほんの少しは知ってほしい。俺の天邪鬼な気持ちが純粋なルーカスを傷付けようとしている。  お願い、何も知らないままでいて……  お願い、全部知っても拒絶しないで……  頼むから、俺を綺麗な世界に連れて行って……

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