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第四話 花魁、菖蒲

夕暮れ__  俺はルーカスが選んだ着物に袖を通した。青紫色の厚手のものだ。正直、金持ちが着るようなしっかりしたものは着たことが無い。一番上の派手な柄(がら)付きの部分だけ着て俺が着ていた物よりも固い帯をどうにか巻き付ける。そのせいで多少歪になったがだいたいは見慣れたとおりだ。動いたらすぐに着崩れそうになるのをどうにか腕で抑えて扉の前に正座する。この扉の向こう__部屋の中にはルーカスがいる筈だ。景色は全く違うのに華乱に居るかのように錯覚して舌打ちをする。 「ルーカス……」 もしこのままお前とまぐわったなら、俺はお前と恋はできないだろう。お前は”菖蒲”を見て何を思うだろうか。理性と欲望の狭間で本性を見せるのか。俺はゆっくりと扉を開ける。 「ご指名ありがとうございます。アイリスと申します」 俺は座ったままルーカスに向かって一礼する。俺を見たルーカスは感嘆の声を上げた。 「わあ……キレイ……」 「ありがとうございます」 「なんか、キンチョーするな」 ルーカスはきょろきょろとあっちを見たりこっちを見たり、落ち着かない様子だ。 「一夜限りの関係です。どうぞ心ゆくまでお楽しみ頂ければ幸いです」 「ん?」 「この関係は今夜だけでございます。どうか満足するまで楽しんでもらえたら嬉しいです、っていうこと」 「ナルホド!」 分かりやすい程に気分が高揚しているルーカスを横目に、着物と一緒に買った酒を二つの盃に注ぐ。そして片方をルーカスに渡した。 「ルーカス様、此方をどうぞ」 「あ……アリガト」 ルーカスは頬を赤らめて盃を受け取り、それを一気に飲み干した。俺は空になった盃に再び酒を注ぐ。 「どうぞ。ですがあまり酔われませんように。こんな楽しいひと時に記憶を失くしてしまっては勿体無いですから」 「ダイジョブ、お酒は強いよ」 「それは良かったです」 強いと自分で言っただけあって銚子の中身を全部飲みきったくらいでは全然酔っていない。とは言え、元々大した量ではないし度数も低いものを選んだつもりだ。ルーカスは水でも飲んでいたかのようにけろっとしている。べろべろになっていたらどうしようかと思ったがこれならば意識もはっきりしている筈だ。ならば次に行こうか。 「お酒も無くなったところでお楽しみの時間に入りましょう?」 「何するの?」 「ふふ……」 俺はルーカスの服の裾に手を掛け、それからゆっくりと服の中へと滑らせる。そしてもう片方の手でルーカスの手を握った。 「アイリス? 何してるの?」 「何、って……誘っているんですよ? 貴方が中々俺に触れてくれないないから。」 ルーカスの服に忍ばせた手をそのまま下半身の方へとずらす。 「ちょっと、待って、アイリス、待って」 ルーカスは慌てて俺の手を掴んだ。 「まだお預けですか? 俺はルーカス様が欲しくてたまらないと言うのに」 猫撫で声で客に擦り寄る事にも慣れた。ルーカスが俺に触れればその瞬間、俺はネコ花魁”菖蒲”へと戻るだろう。お前の憧れたものを見せてやろうか。 「ルーカス様、早く俺を抱いてください……」 「もしかして、オイランってそういう事する人なの?」 ルーカスは悲しそうな声で言った。”花魁”がどういうものか気付いたようだ。俺はもう殆ど解けかけている帯を解き、着物を肌蹴させてそのまま床に仰向けに寝転び、ルーカスの腕を引っ張った。 「ルーカス様、俺は貴方に暴かれたい……この身体を開いて貴方と繋がりたいのです」 俺がそう言えば客は欲望のままに俺を抱いた。淫乱だの雌犬だの散々に罵り、下卑た目で見下しながら俺を暴いた。優しそうな男でも上品に見せかけた男も俺に愛していると囁く男も皆情欲に負けた。さて、ルーカスはどうか? お前も奴等と同じか? 一瞬、天井がルーカスの顔で遮られた。そして軽く体重が掛けられる。  もしもルーカスがこのまま俺を抱いたのなら、俺は二度とルーカスと会わないだろう。お前も只の一人だと冷たく言って離れるつもりだった。だがルーカスは俺を抱きしめるだけだった。数秒なのか数分なのか、或いは数時間なのか__ルーカスに抱きしめられている時間がとても長く感じる。 「ルーカス……様」 「もういい……もういいよ。アリガトウ」 そう言ってルーカスは俺から離れた。 「アイリス、とってもキレイだった。でもそういうのはまだできないから」 「何でだ? イングランドの決まりでもあるのか?」 俺は起き上がって聞いた。ルーカスはううん、と首を横に振る。 「これ以上はスキな人同士でスルもの」 「ルーカスは俺の事が好きなんだろ?」 「スキだよ! 大スキだよ。でもアイリスはまだオレのコト、スキじゃナイでしょ?」 俺は正直に頷く。こんなところで嘘は付けない。本音で話すのがルーカスへの礼儀だと思っている。ルーカスもそれを分かってくれているようだ。 「だから今はしない。キスもそれ以上も……」 ルーカスは俺の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は真剣だった。 「ありがとう、ルーカス」 俺は本気でルーカスに愛されている。そうひしひしと感じた瞬間だった。

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