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第七話 強さ、弱さ

 夕飯を作ろうかと立ち上がったとき、控えめに戸を叩く音がした。俺の家を知っているのは多分この家の前の家主とルーカスくらいだ。だけど前の家主は仕事の関係で此処よりずっと北の方へと移ったし、ルーカスとは今日会う約束をしていない。不思議に思ったが取り敢えず返事をして戸を開けた。 「ルーカス?」 そこにいたのはルーカスだった。手に何か大きな物を持って泣き腫らしたように真っ赤な目をしている。 「アイリス、急にゴメンなさい。あの、話が……あって」 「ああ、どうぞ? 何も無いけど」 いつもより少し小さな声だった。聞きたい事は幾つかあるが取り敢えず中に通す。ルーカスを座らせてお茶を用意した。 「それで、話って?」 「三つ、ありマス……」 三つもあるのか。思った以上に多いなと思いながらも食机を挟んでルーカスの反対側に座った。 「オレ……アイリスとの約束、破った」 「ん?」 「ゴメンなさい……オレ、アイリスの古い話、聞いてしまいマシタ」 確か俺の過去を聞くなって言ったらルーカスは「古い話は聞かない」って言った。"古い話"というのは"過去の話"で合っているだろう。だがしかし心当たりが無い。ついうっかり何処かで漏らしたか、花魁の真似事をしたときに何か話したか…… 「俺に何か聞いてきたっけ?」 どうしても思い出せなくてルーカスに聞いたが、ルーカスは首を横に振った。どういう事だ? 「町、歩いてたときに、花魁の絵がいっぱい飾ってあるの見つけて……そこに、アイリス居た」 そう言ってルーカスは花魁時代の俺が描かれた絵を見せてきた。何か抱えていると思ったらこれを持ってきたのか。 「そう言えば描かれた記憶があるな」 「その時、近く居た三人組の男が……アイリスに酷いコト、する奴らで……アイリスのコト、イロイロ言ってて、それ、聞いた」 ルーカスの言いたい事は分かった。俺は「俺に過去を聞くな」というつもりで言ったが、ルーカスは「誰からも俺の話を聞くな」という意味で解釈したんだろう。それを不運にもルーカスの気に食わない奴らに目の前でべらべらと語られた、と。それをわざわざ馬鹿正直に報告しに来たと言うことか。 「黙ってりゃバレなかったのに」 そう言っても、ルーカスはまたふるふると首を横に振った。 「でもそれ、アイリス騙す。オレはヤダ」 ルーカスの目は真剣だった。少しの穢れもないその目で真っ直ぐに俺を見ている。 「そうか……何処まで聞いた?」 「アイリスが”カラン”って所でオイランやってたコト、悪いやつらがアイリスに乱暴なコトしたの、アイリスのコト全然ダイジにしなかったって……オモチャみたいにした、って……」 俺はついルーカスから目を逸した。大事にされる、そんな事遊郭じゃあ有り得ない。どうせ只の欲の捌け口でしかない存在だ。ルーカスが綺麗だと褒め称えるようなものじゃない。俺が黙っていてもルーカスは話を続ける。 「オレはアイリスがスキだよ。キモノを着たアイリスもキレイだったし、オイランでもゼッタイ、スキになってた。それにオレはアイリスをダイジにできる」 「…………俺が、金さえ貰えれば誰にでも身体を開く道具であっても? お前の言う”酷い事”をされてこの身体が興奮しても? 支配される悦びを教えこまれた身体でも? 花魁としての自尊心も人間としての尊厳も無くても? 染まる狂気も死ぬ勇気もない弱いだけの俺を……本当に好きでいられるのか?」 「アイリスは強いよ」 「嘘だ!」 俺は耳を塞いで叫んだ。強いわけがない。痛みも嫌悪も快楽だと教えられ、信じ込まされただけだ。どうしようもない地獄から現実逃避する為にかけられた催眠だった。 「アイリスは抵抗したんでしょ? 十年も耐え続けたんでしょ? 強いよ。もしも死んでたら、オレはアイリスに出逢えなかった。生きててくれてアリガトウ」 「ルー……カス……」 俺は掠れた声でルーカスの名前を呼ぶ。ルーカスはぎゅっと俺の手を握った。 「オレがセカイで一番アイリスのコト、スキだよ。この先何があってもアイリスとイッショなら乗り越えラレルって思う」 そしてもう一度ルーカスは俺に大スキだよ、と言った。俺なんかには勿体無いくらい、ルーカスは格好良いと思う。だからこそ、自分の弱さが際立って嫌になるんだ。

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