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第2話

 どうしてだ。  最近、ますます忙しい。 「葵(あおい)が、調子いいおかげかな」  なんて、同僚――麗(れい)は微笑むが、僕には、その意味がわからない。なんで、僕の調子がいいと、仕事が増えるんだ。  ああ、一目散に帰りたい。一分一秒でも早く帰りたい。柊くんの新曲配信通知が届いていた。帰りたい。  これまでに比べると、僕は仕事に集中するようになった。や、これまでだって、集中していたけど、今は、少しでも早く帰ろうと、段取りを考えたり、効率よくやれる方法を探したりと仕事への取り組み方も変わってきた。  それなのに、終わらない。なんなんだ、ここ最近の忙しさは! 「ま、間に合った」  なんと、今日は、柊くんのライブ配信が行われるのだ。  ライブ配信、つまりは、動画配信サイトで行われる生放送だ。 「ええっと。なんだか、大変なことになってるみたいで。ありがたいんですけど。ええと、あ、ご報告があります」  感動。  感動しかない。  これまで、どの動画でも、「柊です。今日も一曲、お付き合い下さい」と「ありがとうございました」しか聞いたことがなかったのに、ここに来て、他の言葉を話している。  人間だ。僕の神様は、僕と同じ人間だったんだ。実在するんだ。 「尊い……」  今日の格好は、だぼだぼの赤いパーカーだった。黒猫のお面はもはや、彼にとってはデフォ装備らしい。見慣れた。というか、むしろ、黒猫が好きになった。 「まだ、現状について行けてないんですけど、○○っていう芸能事務所に入ることになりました。あと、」  ○○は、僕もよく知る事務所った。小さい事務所だけど、所属タレントの扱いも悪くないと聞く。最近では、柊くんのような、動画配信で有名になった人のマネジメントもしているそうだ。いいところに入れたようでよかった。 「この度、完全オリジナルのCDを発売することになりました」  悲鳴があがった。  誰のだ。僕のだ。  CD? しかも完全オリジナルの? 言い値で買う! いくらだ! 「それを祝して、10月10日に握手会を行いたいと思います」  ん。 「皆さんにお会いできる日を楽しみにしていますね。詳しくは、こちら……っと」  緊張していたのだろう、震える柊くんの手から、『10月10日握手会』と書かれたボードが離れた。  それを拾おうと、身をかがめた瞬間、後頭部で結ばれていたお面の紐がほどけた。カツンと音を立て、お面が落ちる。 「あ」   黒猫と同じ黒い髪、白い肌、優しげに垂れた大きな目が一瞬写り、その後、すぐにボードで隠されてしまった。  顔、見えた。 「あっと、じゃあ、失礼します。ありがとうございました」  柊くんは、ボードで顔を隠したまま、もう片方の手を振り、録画機器の電源を切った。  今、見えた。  今、見えたよね。  自分の目が信じられず、動画に寄せられたコメントを読んでいく。  『柊くん、見えた』『若い』『隠さなくてもいいのに』『顔バレ』などのコメントに、どっと汗が噴き出した。  見た。見てしまった。  柊くんの、肌。  10月10日か、スケジュールどうなってたかな、確実に空けておかないと。そう、スケジュール帳を取り出した瞬間、突然、思考と感情が結びついた。 「うっわ」  思わず、口を押さえる。そうしないと、奇声を上げてしまいそうだ。  え、顔見えたよね。  何あれ、可愛い。  手首細い。大学生くらいか。  パーカー、だぼだぼ。  尊い。  え、CD発売、すごくない。  え、好き。  めっちゃタイプ。  どうしよう。  や、どうしようもないけど。  僕はその日、手紙を書いた。柊くんの出会いで受けた衝撃から、柊くんの声で救われたこと、賞賛と感謝の言葉を、切々と綴った。  当選するかどうかはわからないけど、この手紙だけは、渡そう。もし、渡せなくても、事務所宛に郵送しよう。 拝啓、柊様――。

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