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3-少食で猫舌で掃除は得意

ゴローくんの帰りを待つ間、炒めた米にスープと水を加え土鍋にいれて火にかける。 「もどりました」 神妙な顔をしたゴローくんが野菜を差し出した。 きちんと任務達成できているか、確認を求められているんだろう。 「青梗菜にたけのこ。うん、大丈夫」 ゴローくんはニコリともせずに小さく頷いた。 ずいぶんと素っ気ない。だけどオレはその姿にホッと息をついた。 数メートル先へのおつかいだけど、もしかするとこのまま行方不明になるんじゃないかと、少し心配していたんだ。 さて、粥ができるまであと……えーっと五十分か。 うん、完全にメニューの選択ミス。 あ、オレが簡単に拭いただけのキッチンの床を、ゴローくんが丁寧に拭き直してくれてる。 料理は全くできないけど、掃除は得意なのか。 「ゴローくんは普段ははどんな食べ物が好きなのかな?」 「どんな……わかりません」 「それも忘れてるのか。うーん。えーっと趣味はなに?」 「趣味……?わかりません」 「それも忘れてる?」 あまりにも会話が続かなさすぎて、オレはがっくりと肩を落とした。 すると、床を拭き終えたゴローくんがなぜか急にぐっとオレとの距離をつめてきた。 「趣味は、ないです」 表情はそう変わらないけど、なんだか必死だ。 「あ、忘れてるわけじゃなく、そもそも趣味はないんだ?」 「はい!」 これは、オレが彼の返答にがっかりしたところを見せてしまったから、一生懸命答えようとしてくれてるんだろうな。 『わからない』から『ない』にかわっただけだけど、ちょっと可愛い。 「ふふっ。そうか。ないかぁ、まあ、そういうヒトもいるよね。じゃあ、趣味じゃなくていいから、ゴローくんは何をしているときが楽しい?」 「楽しい?……楽しい……」 手のひら一つ分という間近に顔を寄せたまま悩み始めた。 「これも、なければ別に……」 「あ!ヒトの役に立つと嬉しいです」 クールフェイスのゴローくんにこんな間近でじっと見つめられると……。 ……ダメだ。この顔……好みかも。 距離感に耐えられなくなって、オレは顔を背けてしまった。 するとその途端、ゴローくんがパッと一歩後ろに飛び退いた。 「……僕なんかじゃ、役に立たないですよね。ごめんなさい……」 「え、いや、別にそういうわけじゃ……」 「あ、あの、僕、邪魔にならないようにさっきの部屋に戻っています。呼ばれたら、すぐに来ます。本当にごめんなさい」 シュンと落ち込んで、とぼとぼと部屋に向かうゴローくんの背中が哀れすぎる。 「待って、全然邪魔じゃないよ。おかゆが出来上がるまではオレも何もすることないから、隣の部屋でお茶しながら話をしよう」 リビングでソファーに座ると、オレはゴローくんに自分の話をはじめた。 今までは記憶の怪しいゴローくんから無理に色々聞き出そうとしたせいで、話が終わってしまっていたが、それよりは自分の話をして、そこからゴローくんが何を憶えていて何を憶えていないのか探った方が良いのではないかと、そう考えたのだ。 ゴローくんはとても丁寧かつ、興味を持ってオレの話を聞いてくれた。 クールに見えるのにとても低姿勢で、なんだか可愛い。そしてすごく良いヒトだとわかったけど、それ以上彼の情報を会話で引き出すことはできなかった。 そのあと食事の時間になって、ささやかな情報がいくつかわかった。 リビングと一続きのダイニングで、熱々さらりとした中華粥とチンゲンサイの野菜炒めを向かい合って食べた。 オレがあまりにも食べる様子をチラ見しすぎたからだろう、ゴローくんは必死になって中華粥を食べてくれた。 その結果……。 「う……おぃひ……う……イタ……お、ひっっ……」 涙目で口を押さえながら、必死に感想を言おうとしてくれる。 どうやらゴローくんはとんでもなく猫舌だったようだ。熱いものは、ぬるすぎじゃないかというくらいまで冷やさなければ食べられないらしい。 熱々の中華粥なんてほぼ拷問だ。 そんなゴローくんが、粥をあきらめその上に乗った松の実を一粒口にしたとたん、ピコンと背を跳ねさせた。 ……あ、もしかして、コレもダメだったのかな……。 不安な気持ちで様子を伺っていると……。 「コレ……!好きです。僕の好きな食べ物は、コレです」 お茶碗を指差して、必死に訴えてきた。 「あ、ゴローくん松の実好きなんだ?よく食べるの?」 「初めて食べました」 訴えてくる視線が妙に強い。 「……もう少し、松の実いる?」 「え……あ、いえ、いいです。欲張るのはいけないことです」 「これ、コクウにもらったやつだし、オレの家では松の実なんて、そうそう使うわけじゃないから、食べてもらって構わないんだけど……」 そう言いながらゴローくんの様子を見ていると、今度はお粥の上の赤いクコの実を口にいれて……。 「こ……コレも好きです!これも僕の好きな食べ物です!」 かなり興奮気味に訴えてきた。 「へぇ、クコの実も好きなんだ」 「はい!好きです!」 「……ゴローくんもしかして、オレがさっき好きな食べ物を聞いたとき答えられなかったから、今教えてくれてるの?」 「はい!好きな食べ物が二つもわかりました」 「ふっっ……ふははっっ!ゴローくんはいい子だねぇ!」 子供のようなゴローくんの返答に、オレは思わず身をのりだして、ぽんぽんと頭をなでてしまっていた。 いきなりのことに、ゴローくんは目を見開いて固まっている。 ゴローくんは年齢不詳で若くも大人にも見えるから判断に困ってたけど、この素直な反応からして、かなり若いに違いない。 スクールを卒業し、マザーのハウスを出たばかりの十八歳か、せいぜい二十歳くらいだろう。 若い子は往往にして世間知らずだけど、それでもこんなにまで初々しい子はそうはいない。 部分記憶喪失のせいで余計に初々しくなってしまってるのかもしれないけど、でも素直さは元からの気質だろう。 「ゴローくん口のやけど、もう大丈夫?」 「はい」 心配かけないように、そう言うだろうとわかって聞いたのだが……。 「ゴローくん、ウソはダメだよ」 オレがわざと睨むと、パッと両手で口を押さえて目を伏せた。 あまりにもいい子だから、逆にちょっとだけ意地悪をしてみたくなってしまったのだ。 このわかりやすい反応。 ……可愛い。 ゴローくんは、お腹はすいていたようだけど、あまり食べられないらしく、食事はものすごくスローペースだ。 それでも、野菜炒めの具材を一切れづつ食べて……。 「こ、これが……好きです」 さっき睨まれたから、おずおずと申告してくる。 「そっか、タケノコも好きなんだね、教えてくれてありがとう」 オレが笑顔になると、照れたように口をムニムニと動かしながら俯いた。 ああ、ゴローくんが可愛い。 可愛い過ぎる。 「さっきはちょっと睨んじゃってごめんね」 こんな可愛いゴローくんにいつまでも気まずい思いをさせちゃいけないと、目を見て優しく謝った。 「いえ、僕が、ウソをついてごめんなさい」 逆にまた小さく落ち込ませてしまった。 もう、どれだけ素直なんだ。 「わかった。二人ともが謝ったから、この件はもう手打ちって事で」 「手打ち?」 「もういいよってこと」 「わかりました。でも、僕は叱られるのも、睨まれるのもなれているので大丈夫です」 「え……」 なれてるって……そんな。 これも会話の流れからわかったゴローくんの過去の一部ってことになるんだろう。 こんなに素直でいい子なゴローくんなのに、これまであまりいい生活ではなかったようだ。 抱きしめて、もう大丈夫だよって言ってあげたい。 でも、彼は居候していた家の場所さえわかれば、すぐにここを出て行く。 オレはずっと彼を見守ってあげられるわけじゃない。 ゴローくんは……本当に戻りたいのかな。 警察も病院も嫌だって言ってた。もしかしたら、あまり戻りたくないのかもしれない。 「ゴローくん、体調が万全になるまで、いつまでいてもいいからね」 「もう、体は元気になりました」 「い、いや、その……倒れてたんだよ、そんな急に元気になるわけないだろ?」 「大丈夫です。僕はとても体が頑丈なんです。倒れてたのも体調が悪かったわけじゃなくて……」 「え、倒れた時のこと、覚えてるの?」 「倒れたその時のことは覚えてません。でも迷って帰れなくなって、いっぱい歩いて、五回か六回夜になって、また歩いて、疲れてて、ヒトとすれ違うと時々クラクラすることがあって、それで倒れました」 「え……ゴローくんそんなに何日も迷ってたの!?」 「はい」 「仮に自分で体調は大丈夫って思ってても、全然大丈夫なはずないから!食事とかどうしてたんだ?」 「今の時期は木の実とかがなってるからそれで」 「まったく!鳥じゃないんだから!さっきから全然食が進んでないと思ったら、胃が縮んじゃってるんだね」 「……?はい。僕は鳥じゃないです」 きょとんとしてオレを見返してくる。 「ご飯は食べられるだけ食べたら、あとは残していいから、お風呂に入ってもう休んだほうが良さそうだね」 「お風呂……わかりました」 席を立ったゴローくんを風呂に案内する。 ウチは風呂もレトロなタイル張りだ。 彼は普段シャワーを浴びるくらいで浴槽に浸かることはないそうだけど、さすがに使い方で困ることはなかった。 幸い服のサイズはオレと一緒のようなので、パジャマを着替えとして用意して、ゴローくんのボロボロの服を洗濯機に放り込んだ。 ……この服、捨てちゃダメだよな。 って、アレ? 脱いだ中にパンツがなかった……。 まあ、たまにそういう主義のヒトもいるか。 けど、あのクールだけどピュアなゴローくんがノーパン派だと思うとちょっとドキドキするな。 「あの、入って出ました」 風呂上がりのゴローくんがほんのり頬を染めて立っている。 編み込みの複雑な髪型はそのままだ。 風呂はとても綺麗に使っていた。いや、むしろシャンプーなどは使う前よりキッチリ並べられている。 使用後に掃除をしてくれたんだろう。 「寝室のシーツと毛布は取り替えたから。それと……パンツ……あ、いや」 用意していたオレのパンツをはいたのかなんて、そんなことわざわざ確認する必要ないよな。 「パンツは……あまりはいたことなくて、これであってますか?」 ゴローくんがおもむろにコットンパジャマのズボンをずり下げた。 シャツの裾からのぞく、ピッタリタイプのボクサーパンツ。オレのお気に入りの肌触りのいいライトグレー。だけど風呂上がりだから、ところどころ湿って色が濃くなってて……。 「だ、大丈夫だよ。前後ろも間違ってないし」 ……なんか、生々しくて見てられない。 ああ、いやだ。 無駄にドキドキしてしまう。 あの純粋な目。 ゴローくんはただ無知なだけで、エロく濡れた下着を見せつけて、オレを誘おうなんて意図はない。 わかってる。 落ち着け……落ち着け。 「じゃあ、また寝室に……」 そっと背中を押して、ゴローくんを寝室に案内する。 扉を潜って、一歩、二歩、あとベッドまでほんの一歩というところで、ゴローくんが膝から崩れ落ちた。 「えっ!ゴローくん!? どうした?」 「なんでもないので………」 「なんでもなくないだろ!」 慌てて抱き起こし、ベッドに寝かせる。 さっきまで普通だったのに、今はのぼせたように額や頬が真っ赤になっていた。 「風呂がマズかったのかな……?やっぱり医者を呼ぼうか?」 「だ……!大丈夫です!時々こうなるんです。我慢してたらすぐ治ります」 「それ、余計にダメじゃないか!やっぱり医者を呼ぼう?」 「お、お医者じゃ治りません。これは、寝てれば治るんです。大丈夫です。寝ます!」 医者を固辞して布団を被ってしまった。 「……そう?じゃあ、今日は様子をみるけど、また同じ症状になるようだったら……」 「また同じ症状にはなります。でも、なったら寝ます。大丈夫です!」 大丈夫と言われても、全く安心できないんだけど。 でも今は本人の言うことを信じるしかないか……。 窓を見ると、家々の屋根の上に大きな月が出ていた。 満月を見ると、ちょっと得した気分になるのはなんでだろう。 カーテンを閉めて振り返ると、布団の隙間からこちらをのぞいていた。 ……なんだか巣篭もりする小鳥みたいだ。 『僕は鳥じゃないです』 食事の時の言葉を思い出して、ふふっと笑うオレに、ゴローくんはピクッと肩をゆらして布団にもぐりこんだ。

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