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9-断りきれなかった……。
………。
甘い甘い一夜が明け、目が覚めるとゴローくんはすでに自分の部屋に戻っていた。
そして居間で朝の挨拶をして以降、ゴローくんはずっと伏せ目がちなまま、オレの様子を伺い続けている。
「あのさ、ゴローくん、どこか行ってみたいとことか、好きな場所とか、ある?」
自分用に焼いたハムトーストとゴローくんのためのお粥をダイニングテーブルに並べながら聞いた。
「行ってみたい……?いえ、ないです」
まあ、想像通りの答えだ。
記憶が穴だらけのゴローくんだから、すぐに思い浮かぶはずはない。
と、思っていたら……。
「でも、ハクトさんの好きな場所を知りたいです」
「え……ほんと?」
「ハクトさんは、どこが好きですか?」
まさかゴローくんから質問してくれるとは。
「オレはね、ここから車で少し行ったところにある街道沿いの海岸が好きなんだ。三百年ほど昔の紀行本にそこの描写があるんだけど、今でも街道の石畳や防風林として植えられた綺麗な並木や橋や砂浜が残っていて、当時の様子を偲ぶことができる名勝なんだ」
ゴローくんの表情はクールなままだけど、目つきからオレの言うことがさっぱり理解できていないだろうというのが伝わってくる。
でも、それでいい。
「ゴローくん、近いうちにそこに一緒に行かないか?」
「一緒に?」
「そう」
ゴローくんは戸惑いを見せながらも小さく頷いてくれた。
……これでよし。
明日か、明後日か。
天気がいい日にゴローくんを連れていって、その美しい景色の中で伝えるんだ。
ゴローくんへ、オレの気持ちを……。
やや浮かれた気分で朝食を終えると、オレは勇み足で買ってしまった携帯端末をゴローくんに渡した。
「これに、古書店をお手伝いしてもらった分の給料を入れてるから……。あのね、今後、元々居候していた商店を見つけても、またここに戻ってきて欲しいと思ってる」
満面の笑みでここまで言えば、わざわざ海岸まで足を運ばなくても、オレの気持ちを伝えたも同然かもしれない。
「ありがとうございます。嬉しいです。僕もずっとここで働きたいです」
そうゴローくんも言ってくれた。
その後、二人で抱き合って、キスをして……。
という想像をしていたのに『嬉しい』と言ってくれたゴローくんの顔は微妙に引きつっていた。
「大切にします」
サッと携帯端末を受け取ると、寝室にそれを置きにいく。
あ……れ……?
「お手伝い。もっとがんばります」
「あ、うん。よろしく」
そしてゴローくんはこれまでより積極的に働きながらも、これまでより遠慮がちな態度を取るようになってしまった。
◇
「五番目の書棚の整理、終わりました」
働き者のゴローくんがクールに告げる。
「ありがとう。次の棚にかかるのは、休憩してからでいいよ」
「はい」
ゴローくんはいつもと変わらぬようで、やっぱりちょっとぎこちなかった。
今日のゴローくんのおやつはクルミだ。
レジ裏の部屋でゆっくり、モソモソとクルミを食べるゴローくんに、オレは精一杯の笑顔を向けた。
「あのさ、今朝のことだけど、ゴローくんにずっとここに居て欲しいって言ったのは、別に従業員が欲しいからってわけじゃなくてさ……」
「はい」
ちらっとオレを見る視線がよそよそしい。
「だから、近いうちに一緒に出かけて、その時に、その、オレの気持ちを……その」
「おーい、ハクト!」
言いよどんでいるところに、間が悪くコクウがやってきた。
「昨日さ、ノンアノ飼うって言ってただろ?さっきそこでショップの店員さんがノンアノを散歩させてるとこに出くわしてさ、ハクトがノンアノを飼うことを検討してるって話をしたら、超オススメの子がいるって……」
「その話だけど、もう……ん?」
満面の笑みのコクウの後ろには、男性が一人と、その腰上くらいの身長の幼いノンアノ……。
そしてコクウがそのノンアノをこちらに押し出した。
「ほら、この子!先月ショップに来た時は普通に可愛いノンアノだったけど、たった一カ月でこんな超絶美形に変わったんだってよ。血筋は普通だからコッチも手ごろ!」
ノンアノを気遣ってこっそりお金のジェスチャーを見せる。
「三日間無料お試しレンタル、今からできるそうだ」
「え……」
「もうここまで来ちゃってるし、今さら断る理由もないよな!」
「いや、でもいきなりそんな……」
「どうせ飼うつもりだったんだろ?こういうのは、勢いが大切なんだって!」
スッとショップの店員に書類を出され、飼育の注意点の説明が始まってしまった。
金の緩やかなふんわり巻き毛でグリーンの大きな目をしたノンアノに、無垢な目で見上げられると、どうにも断りづらい。
ノンアノは犬や猫のような三角耳のものが多いが、この子はチューリップのつぼみやロウソクの炎の形で、耳の短いウサギのようだ。しかもまだ幼いためか半折れなのがなんともいじらしい。
「……じゃあ、お試しだけ。でも飼うかはわかりませんから!」
………断りきれなかった……。
もうノンアノを飼うつもりはなくなっていたのに。
この純真無垢な上目遣いを目の前にして、連れて帰ってくれと言える奴がどれだけいるんだろうか。
チラッとゴローくんを見ると、いつもと変わらぬ無表情だった。
昨日ゴローくんにあんなことをして、今まさに恋人寸前だというのに、すぐに愛玩動物のノンアノをお試しレンタルするという罪悪感で胃がシュクシュクとする。
世間では恋人がいるのにさらにノンアノを飼うというヒトもいるらしいけど、やっぱりあまり関心できた事じゃないし、二股ではないとはいえ二股まがいの愛情の分散がオレにできるとは思えない。
ショップ店員の横で、小さなノンアノが興味深々といった目でオレを見つめてくる。
身につけているのは綿の白いノースリーブハーネスシャツとショートパンツというシンプルな組み合わせだ。可愛らしく飾り立てないのは美形ゆえだろう。
とてもスッキリして可愛らしいけど、丈の短いハーネスシャツの下の幼児らしいつるんとしたお腹と、ショートパンツから覗く細い太ももが、なんだかちょっとエッチだ。
これは、お試しで可愛さに負けうっかりキスして強制買取というのを狙ってるんだろうか。
いや、そんなトラップ仕掛けなくてもこの子ほど可愛ければすぐに買い手がつくか。
「この子はお試しレンタルは初めてなので、失礼があるかもしれませんが、それも含めてご検討いただければと思います。では、飼う予定の部屋をちょっと見せてもらっていいですか?」
……これは時間がかかりそうだな。
「ごめん、ゴローくん店番任せていいかな?」
「はい」
……返事が素っ気ない気がする。いや、オレの罪悪感がそう感じさせるのか?
ゴローくんの機嫌が気にかかりながらも、オレは二階のリビングにショップ店員とノンアノを案内した。
「正式な買い手がつくまではきちんとした名前はつけない決まりですので、この子の事はノンちゃんと呼んでください」
ノンちゃんにトイレの場所を教えると、店員さんが部屋に慣れさせるためにオモチャを与え、遊ばせ始めた。
ベッドも貸してくれるようなので、それを置く場所を決める。
それから、ノンアノをレンタルする上での注意事項の説明が続いた。
ノンアノはヒトに愛されたがる動物であり、ヒトの欲情を察知し交尾を求めるという性質があるため、虐待にもあいやすく、保護のための法律がしっかりしている。
ノンアノは大体二歳から二歳半頃に思春期を迎え、三歳で大人になると言われている。
ショップで売られているのは、およそ一歳から二歳のノンアノだ。
ノンちゃんは一歳で、ヒトで言えば五歳くらいの外見だろうか。
ノンアノは二歳でヒトの十歳程度の外見になり、成体(大人)になってもヒトの十一歳から十三歳程度の外見で、それ以上成長することはない。
ショップから買ったノンアノには、飼い主を覚えさせるために最初にキスをするのが一般的だが、稀にいきなり交尾してしまう非道い飼い主もいるらしい。
たしかに飼ってすぐの交尾自体は禁じられていないが、その時点ノンアノが二歳未満の場合は一発アウトで実刑となり、被害にあったノンアノは飼い主から離され保護される。
また、有償無償に関わらず、ノンアノに飼い主以外との交尾を強要するのもアウトだ。
もちろんノンアノ同士に交尾を強要するのも禁止。ノンアノ同士の交尾には繁殖許可証が必要となる。
それ以外にも、ノンアノがヒトの性的欲求を満たすための道具にされるような行為はことごとく法律で禁止されている。
もちろん特殊性癖のグレーゾーンはあるし、法律の目をかいくぐってるヒトもいるが、ノンアノは健全で健康的に飼育し、愛情ある飼い主や繁殖パートナーとのみ交尾が許されるというのが基本だ。
細かく説明をしてくれて、参考になったが、今のところ飼う予定はないんだよな……。
「じゃあ、ノンちゃん、このヒトが仮の旦那さまだから、二日間いい子にして、可愛がってもらうんだよ」
ショップ店員に呼ばれたノンちゃんは、オモチャを手にしたままオレの足元に走り寄ってきた。
「はぁい。ダンナさま、二日間、いい子にするので、可愛がってください!」
ふふっと笑って、キュッとオレのパンツの膝を掴むと、抱っこをねだってくる。
小首を傾げるノンちゃんは、軽やかで可憐なスイートピーみたいだ。
……うっ……想像以上の可愛さ……。
しかも、旦那さまって呼び方……ヤバイな……。
ノンアノショップの店員は一旦店に戻ってノンちゃんのベッドを持って来ると、手早くリビングに設置してくれた。
その間もノンちゃんはオレの周りから離れず、膝に乗ってオレの頬を引っ張っては何が楽しいのかクスクスキャッキャと笑っていた。
わけがわからない。けど、可愛い……。
そんなことをしているだけで、時間はあっという間に経ってしまい……。
「あ、まずい。閉店時間、とっくに過ぎてる!」
ゴローくんに一人で店番をさせてしまったうえに、三十分も閉店時間をオーバーしていた。
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