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20-何がそんなに不安なんだ?
ゴローくんが居候をしていた商店から戻ると、モヤモヤした気持ちを吐き出したくてコクウの家に行った。
当たり前のように美味い手料理をご馳走になりながら一通りを話す。
眉をしかめたコクウが、一本だけと言っていたビールの缶をさらに開けた。
「その店主、ロクなヤツじゃないな」
「ああ、ノンアノを拾っては働かせるなんて、許しがたいよ」
「ノンアノでも手取り足取り教えてあげれば家事を覚えることは可能だろう。だが、何才になっても子供みたいなものだからな。一人で始めから終わりまで、きちんとこなすのは難しいはずだ」
——僕は叱られるのも、睨まれるのもなれているので大丈夫です。
ゴローくんは、そう言っていた。
あの店主だけではなく元の飼い主にも、叱られ、睨まれながら、掃除や洗濯を覚えていって、とうとう一人で出来るまでになったんだろうか……。
そんなゴローくんが何故か台所仕事だけできなかったのは、火や刃物を怖がる性質のあるノンアノだったからか。
「オレは叱りも怒鳴りもしなかったけど、ゴローくんを働かせてしまっていた。そう考えるとゴローくんのそばにいる資格があるのかなって……」
「そりゃあるだろ?俺だって普通に手伝いさせてるぞ?なぁ、チョミ」
「お手伝い?えっとね、お店の前にちっちゃい看板を出すのはチョミのお仕事だよ!」
コクウの隣に座るチョミちゃんが自慢げにテーブルに身を乗り出した。
「あとね、ミコトくんが袋に入れたパンにね、パチンパチンってシールをつけるのはチョミのお仕事だから!」
ミコトくんというのは従業員だ。袋売りのパンに製造日シールを貼る時にはチョミちゃんを呼びに行かないと機嫌を損ねてしまうくらいお気に入りの作業らしい。
「無理やり連れてきたノンアノを自分のために働かせることと、興味を持った作業や出来ることをやらせ、役割を与えることは違う。もちろん俺だってチョミが危険な失敗や悪いことをしたら、叱ったり、勢いがついて怒鳴ってしまうことだってある。けど、最初から完璧には出来ないような家事や仕事をやらせ、何故出来ないんだって怒ったりはしない。『上手く出来るように、相手のために怒ってるんだ』なんて言う奴もいるけど、それなら、出来るように丁寧に教える方が先だ。もし教えても出来ないなら、それは教え方がダメなんだよ」
コクウの言葉には『ノンアノの飼い主』と『従業員を雇う立場』の両方の考えが含まれているんだろう。
オレの中のモヤモヤしたものが少しだけ軽くなった。
食後のお茶とチョミちゃん用のミルクを用意しながら、コクウがふいっと片頬を上げる。
「でもまあハクト、一旦その店主のことは忘れろ」
「え?」
コクウが言うには、はぐれノンアノを勝手に連れ帰っても、保護しただけと主張されてしまえばお咎めなしとなるらしい。
だからノンアノ保護団体や役所なんかに注意喚起して、そういう奴らがノンアノを連れ帰ったらすぐに保護できるような体制づくりをさせると言いだした。
コクウに他コミュニティの活動に口を出せるような権力やコネがあるとは思えない。だけど、彼なら押しの強さだけで成し遂げてしまいそうな気がする。
「ハクトは、ゴローくん探しに集中すればいい」
「オレ……ゴローくんの行方は勿論だけど、彼の元の飼い主のことも気になってるんだよな」
「あの店主が言う事を信じるなら、ゴローくんの飼い主はノンアノを多頭飼いできるような金持ちだったって事になるが」
「犬猫の多頭飼いはよく聞くけど、ノンアノとなると……どうなんだ?コクウ」
「あまり趣味がいいとは言えないけど、均等に愛せるならダメってわけでもないな。ただノンアノは愛情が不足すると体調を崩すこともあるから、特定の子ばかりを可愛がるようなら、ヒト相手に二股、三股してるより実害があるかもな」
「いや!二股もされた側にしてみれば充分ダメージ大きいから!」
「あー……そう言えば、ハクトも振られたばかりだったな」
つい大きな声を出してしまったが、コクウだけじゃなく、オレも自分が二股の挙句捨てられたばかりだって事を忘れかけていた。
今こうやって元カレを思い出しても切ない気持ちは一ミリもなく、ひと昔前の苦々しい失敗談くらいにしか感じない。
ゴローくんと出会ってからの毎日が、それだけ目まぐるしかったということだろう。
「元飼い主なんて気にしたってしょうがなくないか?はぐれノンアノは家出して半年くらいで飼い主への執着がなくなるんだろ?」
「それはあくまで愛情が不足して家を出た場合だから。……もし、充分に愛されていたらノンアノは飼い主への執着を失わないらしい」
「そうかもしれないけど、ゴローくんの場合はもう完全に執着は消えてるだろ?」
「状況や雰囲気から言えば確かにその通りなんだけど……。ゴローくんを必死で探し出して再会したのに、すぐに『飼い主の元に帰りたい』なんて言われたら」
不安を口にするオレに、食事を終えたコクウが盛大にため息をついた。
「ハクト、ゴローくんがまだ飼い主への執着を持ってるんじゃないかなんて本気で考えてるわけじゃないだろ。ゴローくんを探し出すって腹は決まってるのに、何がそんなに不安なんだ?」
「……何がって聞かれても」
「仮に元の飼い主が、イケメンで金持ちで優しくて、多頭飼いしてるノンアノにも均等に目を配るパーフェクトな人物だったら、お前どうする?」
「……そ、それは……」
「そんな飼い主に『ゴローくんのことを大切に思っていて、ずっと探し続けている』って愛情深い顔で言われ、『それじゃあしょうがない』ってお前が諦めたとして、実は飼い主は外面のいい大嘘つき野郎だったら?お前に見捨てられたゴローくんはどうなる?」
「そ、そんな事言われても……」
「今は前の男 の事より、ゴローくんの心配しろ。それに来週末にある古書市イベントの準備もしなきゃいけないんだろ?」
「ああ……」
コクウの言う通りだ。
以前から古書希少本の展示販売イベントの参加予定が入っており、出店だけではなくトークセッションのゲストの一人として招聘されていた。
少なくともそれが終わるまでは、飼い主探しに割く時間などない。
それにゴローくんが飼い主の元に戻るとは考えられない以上、探す意味もない。
けど……。
はあ……。
前の飼い主が気になるのは、やっぱりオレがゴローくんをノンアノとして見れてないからだろうな。
ノンアノにとって、つまりゴローくんにとって飼い主は絶対……って考えただけで、ちょっと妬いてしまう。
仮にオレがゴローくんの飼い主になれば、ゴローくんにとってオレは絶対となるはずで、なのに前の飼い主と比べガッカリされたらどうしようだなんて、矛盾だらけの思考に悩まされる。
今まで恋人と付き合い始める時に、こんな心配をしたことはなかった。
オレってこんなウジウジした奴だったのかと嫌になる。
でも、ゴローくんが出て行ったのはオレが何かして嫌われたからって可能性もあって、それでも取り戻したいとあがいてるんだから、気弱になるのは仕方ないのかもしれない。
「……コクウ、食後のデザートに葡萄、ある?」
「はぁ?なに贅沢言ってんだ。まあ、あるけど?」
小さく文句を言いながら、冷やした葡萄を出してくれた。
仕事の合間におやつとして出した葡萄を一粒ずつチビチビと丁寧に食べていたゴローくんの姿を思い出す。
小さな粒に真正面から向き合うクールな横顔が愛らしくて……。
「ぁあああ……ゴローくーーーーん!」
「えっ……何だ?何だ?ビール一杯くらいで酔ってんのか?」
急に大声を出したと思ったら、葡萄を口に放り込んだオレに二人が目を丸くしている。
「……ちょっと叫びたくなった」
「あははっ!ハクト変なの〜!ゴローくーーん!」
はしゃいだチョミちゃんが葡萄を一粒手にして、ピョンピョン飛び回りながらオレの真似をして叫び始めた。
そんなチョミちゃんをコクウが抱き上げ、クルクル回ると、笑い声がさらに楽しげになる。
無邪気な姿を見ていると、それだけで鬱々悶々とした気持ちが薄らいだ。
……そうだ。今はやるべきこと、そしてやらなければいけないことに集中しよう。
これから何度も同じように悶々とするかもしれない。
その時はゴローくんの顔を思い出して後ろ向きな思考を振り切ろう。
けど、夜はいけない。
このところ、夜毎ベッドに入ると涙目になり、楽しいことを考えようとするとゴローくんの色っぽい蕩け顔が思い浮かんで体が熱くなる。
そうだ、瞼を濡らすくらいなら、股間を濡らそう……なんて強がりが低俗すぎて……。
はぁ、情けないなぁ……オレ。
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