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21-こんにちは!チュリオは元気だよ!

ゴローくんの行方の手掛かりがないまま二週間が経った。 腹にジリジリとした焦りを抱えた毎日はとても長く、なのに過ぎ去った日を数えるとあっという間だった。 今日は古書希少本の展示販売会イベントのため、隣の県の大きなコミュニティのホールに来ていた。 ヒトはあまり自分のコミュニティから出ないとはいえ旅行やイベント、買い物のため一時的に行き来したり、仕事のためにフリーコミュニティに住み着くヒトも少なくない。 特に休日の都市部でのイベントとなれば、外部コミュニティのヒトであふれることになる。 このイベントで、オレは出店だけでなく、特別企画のパネルディスカッション後に行われるトークセッションのゲストの一人として呼ばれていた。 正直、ヒト前に立つのは得意とは言えない。 でも実はトークゲストを引き受けるのは二回目だったりする。 副業のコラム執筆の関係筋からの依頼で、『顔を立てると思って』なんて粘られて、結局引き受けてしまったのが前回。 古書関連のまったりトークセッションで自分の得意分野を話すだけならなんとかなったが、他ジャンルのトークから自分の方に話を振られた時に、気の利いた事が言えず、強い敗北感を覚えた。 イベント直後はもうこんな事やりたくないと落ち込んだけど、時間が経つと、ああ言えば良かった、こう言えば良かったなんて、後悔が波のように押し寄せ、胸にモヤモヤが残った。 それをスッキリ晴らしたくて、再び引き受けてしまったというわけだ。 今回は、前回の反省を活かし、メインのパネリストはもちろん、他のトークゲストのことも下調べし準備万端で臨んだ。 その甲斐あって、本番では期待された役割はそれなりにこなせたように思う。 やっぱり、ああ言えば良かった、こう言えば良かったと考えてしまうけど、それは後悔というより反省で、前回より随分すっきりとした気分で終われた。 他の方々みたいに巧みな喋りはできなかったけど、それでも。 やって……良かった。 膿んだ傷口を切り開いて、スッキリ綺麗な傷口となった感じだ。 でも、もう次は引き受けない。 よっぽど得意ジャンルじゃない限り……な。 出番が終わればあとは、ブースでの販売のみ。 客対応は慣れたものだ。 トークセッションでのオレの話に興味を持って、ブースに来てくれたヒトも多い。 しかし中には、他人の迷惑も顧みず話しかけてくるヒトもいる。 訪ねてきてくれるのは嬉しいんだけど、販売の妨げになるのは困る。 実店舗の方なら来客も少ないし、何時間でも話に付き合うんだけどな……。 そんな事を考えていると、その上をいく空気の読めなさで声をかけられた。 「こんにちは!チュリオは元気だよ!」 「え……」 振り返ると、そこにいたのは、金の緩やかなふんわり巻き毛でグリーンの大きな目の……。 「ノンちゃん!?」 「もうノンちゃんじゃないよ!チュリオだよ!ほら素敵な旦那さまがいるよ!」 ノンちゃん改めチュリオが、自慢げな顔で旦那さまと呼んだヒトの腕に絡みついた。 そうか、飼い主が決まったのか。 さすが成長期のノンアノだ。レンタルから三週間くらいしか経ってないのに、一回り大きく、外見年齢は七歳くらいになっていた。 中折れだったチューリップ型の耳も少し立ってきている。 チュリオの飼い主は、身なりのいい黒髪の好青年だった。 年齢はオレと同じ三十手前といったところか。 挨拶をしただけで、チュリオを溺愛しているのがよくわかる。 「本当に素敵な旦那さまで良かったね」 「うん!旦那さまはね、とってもとってもチュリオを愛してくれるの。チュリオはまだ小さいのにエッチで可愛いねって……むぐっ」 余計な事を言おうとするチュリオの口を飼い主が慌てて押さえた。 「い、いや、違いますよ?違法行為はしてません。その……躾け中といいますか」 チュリオは特にヒトの欲情に敏感だからな……。 ちょっと愛情を向けられただけでトロンとしてしまうチュリオに軽くオサワリをして、ソノ時を迎えるために慣らしているんだろう。 でもあまりおおっぴらに言われると、お互いに少し気まずい。 「ねぇ、ゴローくん帰って来てないの?」 「え……?」 チュリオがクンクンと小鼻をすぼめた。 「ゴローくんにもちゃんとエッチなことしてあげてね?とっても気持ちいいから旦那さまのことどんどん好きに……むぐっ」 「え?え?チュリオ、ちょっと待って」 焦る飼い主のミカゲさんに、また口を押さえられてしまったチュリオの細い肩をガシッと掴んだ。 「チュリオはゴローくんがノンアノだって知ってたのか?」 「うん。知ってるよ」 「ゴローくんがまだ帰って来てないってわかったのはどうして?」 「ハクトからゴローくんのニオイがしないから。どこか行ったまま?」 ノンアノは想像以上に匂いに敏感らしい。 「……そうなんだよ。チュリオ、ゴローくんが出て行った理由になにか心当たりとかないかな?」 無邪気なチュリオのことだ。ゴローくんの事情なんか知るはずもないよな……なんて思いながらも聞かずにはいられなかった。 しかし、予想に反しチュリオは少しバツの悪そうな表情を見せた。 「あのね、チュリオがハクトのお家に住むなら、ゴローくんはもういらないのかな?って思って、そう言ったの。そしたらゴローくん『そうだね』って。『ノンちゃんの方が可愛いから、きっと大切にしてもらえるよ』って言ったの。なのにハクトに飼ってもらえなかったの。チュリオ、がっかりした。でもすぐに素敵な旦那さまに飼ってもらえたよ」 「え?え、ゴローくんはもういらないって……それ、いつ言ったの?」 「夜とか、朝とか、ゴローくんと一緒にいたとき。ゴローくんも『ノンちゃんを飼うなら僕はいらないね』って。でも大好きな旦那さまから離れるなんてチュリオは無理。旦那さまが他の子を飼ってチュリオは要らないよって言われてもずっと一緒がいい!」 ミカゲさんの腕に顔を押し付けるように、チュリオがぎゅっとしがみつく。 「おいおい、僕がチュリオを要らないなんて言うわけないだろ?」 ミカゲさんが嬉しそうにチュリオのピコピコ動く耳をなでた。 「え、待って、夜とか、朝とかって……。ふたりになるといつもそんな話をしてたってこと?」 チュリオが改めてオレをクンクンと嗅いでくる。 「やっぱり匂いしない。ゴローくんあれからずっとゴローくんの旦那さまのとこに帰ってこないの?」 「……うん。けど、オレはゴローくんの旦那さまじゃないから」 「なんで?旦那さまでしょ?やっぱりゴローくんのこと要らなくなっちゃったの?ゴローくんを捨てたの?」 「い、いや、捨ててないよ。オレとしては帰って来て欲しいんだけど……でもね、オレは飼い主じゃないから……」 「旦那さまに『オレは飼い主じゃない』って言われたら、チュリオ泣いちゃうよ!だからゴローくんはハクトのおうちに帰ってこられないんだよ」 悲しそうな顔でミカゲさんの腰にギュウと抱きついた。 「あのね、チュリオ、ゴローくんはウチに居候してただけで、飼われてたわけじゃないんだ」 「飼ってないのに、旦那さまになったの?どうして?旦那さまなのにどうして飼わないの?」 チュリオがぷっと頬をふくらませる。 「実はね、オレ、ゴローくんがノンアノだって知ら……」 説明しようとするオレをチュリオが遮った。 「ハクトはゴローくんの旦那さまのニオイなのに、ヒドイ!」 「え……旦那さまのニオイって何?ゴローくんには別に本当の飼い主がいるんだよ」 それにチュリオがブンブンと顔を横に振ってオレを指差した。 「ゴローくんの旦那さま!」 「もしかして、ノンアノはニオイで誰がどの子の飼い主かわかるのか?」 「うん!」 「つまり、オレからゴローくんの飼い主だってことを示すニオイがしてるってこと?」 「うん!でもとってもニオイが薄くなってる」 オレが……ゴローくんの飼い主? オレとゴローくんは、ほんの数日一緒に暮らしただけだ。 それで飼い主ってことになるなら、悔しいけど居候していた日用品店の店主の方がよっぽど……。 「あ………!!!」 そ、そうだ……。 ノンアノは体液の交換で飼い主を覚えるという。 ゴローくんの黒い目が潤んで、細まって、上気した頬で唇を震わせて……。 『後悔するからダメだ』って言われてたのにオレ……。 結局キスして、そしたらゴローくんの様子が変わって、オレの唇を何度も求めて……。 急に口を押さえて黙り込んだオレをチュリオが不思議そうに見てる。 そっか……。 オレ……。 ノンアノだと判明しても、まだゴローくんのことをヒトのように思ってたから、こんな当たり前のことも気付けなかった……。 ……そう……だったのか……。 「チュリオの言う通り、オレがゴローくんの飼い主なんだな」 「うん、そうだよ。でも……ハクト、ゴローくんのこと好きじゃないの?だからゴローくん逃げちゃったの?」 「い、いや、大好きだよ。ただちょっと色々思い違いがあってね」 「そう。ゴローくん帰って来るといいね」 「うん。早く帰って来てほしい……」 『好きになった相手を飼う』……そう考えるとどうにも複雑な気持ちだった。 なのに、とっくに……。 オレ……飼い主なんだ。 ノンアノは飼い主に一途な愛を寄せるという。 唇にふれる前からオレのことを好きだと言ってくれたくらいだ。 飼い主になって以降は、さらにオレのことを好きになってくれているはず。 つまり、ゴローくんにとってオレは、何よりも大切な存在になっているはずで……。 自覚すると、胸に湧き上がってきたのは喜びで、飼うか飼わないかを迷っていた時の複雑な心境なんか吹っ飛んでしまった。 愛しい気持ちが溢れて、溢れて、体が震える。 ゴローくんのこと大好きだ!って、叫びたい衝動を必死で抑えた。 オレはゴローくんの飼い主で、誰に遠慮することもなく、堂々とゴローくんに帰って来てほしいと言える立場なんだ。 もう問い合わせの電話で『飼い主じゃないんですけど……』などと不審がられる説明をする必要もない。 チュリオには飼い主のニオイはかなり薄くなってると言われてしまったけど……。 でも、完全に匂いが消えたとしても、絶対にゴローくんを探し出して、また飼い主の座に返り咲いてやる。 「チュリオ、オレが飼い主だって教えてくれてありがとう。これからはもっと積極的に動いてゴローくんを探せるよ」 力強く宣言するオレに、チュリオはキョトン顔だ。 だけど、飼い主のミカゲさんはオレの事情を察してくれたらしい。 「微力ながらご協力できるかもしれません。あそこのノンアノ関連の古書ブースを手伝っている方なんですけど……」 綺麗に指を揃えて示した左側の販売ブースには、細身で柔らかな印象のヒトが座っていた。

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