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24-食い逃げ

家に戻ろうと車を走らせてすぐに、公園の近くにウチの近所にはないスーパーを見かけ立ち寄った。 もの珍しく思いながら見て回り、控えめにありきたりな買い物をして店から出ると、偶然先ほどの使用人の男に出くわした。 「あの……先ほどは……」 男に話しかけると少し嫌な顔をされた。 それにもめげず、ノンアノに関して話を聞きたいんですがと伝えれば、コーヒーくらい飲ませろと男の方から近くの喫茶店を指し示した。 富裕層の多いコミュニティだけあって、風情あるクラシカルな喫茶店はゆったりとした造りで、調度品にも高級感がある。 奥まった席を選び、やって来た店員にコーヒーを頼むと、使用人の男は千八百円もするナポリタンまで頼んだ。 ナポリタンというのは高ければ美味いというモノじゃない。 美味本にも安くて美味いポリタンこそ本物と書いてあったし、実際うちのコミュニティの駅前にある喫茶店の絶品ナポリタンは六百五十円だ。 どうせ高いものを頼むなら、もっと素材の良し悪しで味に違いの出るものにしてくれないかな……。 てか、こんな高級感ある喫茶店にナポリタンなんか置くなよ。 なんだか妙なところでモヤモヤしてしまった。 改めて男に話を聞くと、今あの家にいるノンアノはオレが見た四頭で全てで、推察通り飼い主の愛情には偏りがあるようだ。 飼い主が一番可愛がっているのはやはり一番華奢で天真爛漫な子で、体はもっとも小さいが最初に飼った子らしい。 その次に顔が美しいという理由で、性格がキツかった子をコンテスト用に飼った。 そして今いる子たち以外に、二頭のノンアノがあの家から逃げ出したという噂も本当で、そのうちの一頭は特徴からいってやはりゴローくんのようだった。 オレはゴローくんのことなど知らぬフリを装い、品なくナポリタンを口いっぱい頬張る男に『一年半前に居なくなった妙にデカいノンアノ』について聞いた。 「前に居たデカいのは品種改良の失敗作で、タダでいいって言うからウチの旦那が引き取ったんだ。俺は手間が増えるから大反対だったけど、旦那は『いいか、今日から俺が飼い主だぞ』なんて言って、アイツの口をペロッと舐めると、その場で俺に押し付けて『こいつは賢いから、家事の手伝いをさせろ』ってさ。全く参ったよ」 「品種改良の……失敗作?」 「ああ、より可愛い子が産まれるように掛け合わせたりするだろ?アレだよ。特に頭のいいノンアノをつくろうとして、産まれたのが前にウチに居たデカブツらしい。たしかにずば抜けて頭はいいけど、顔は全然可愛くないし無愛想で、体はヒト並みにデカくて邪魔なんだよ。ありゃ、どっからどう見ても失敗作だ」 男の無神経な言いように頭が沸騰する。 けれど、続きを聞くため、オレはぐっと怒りを飲み込んだ……。 ゴローくんは品種改良に熱心なブリーダーのファームで産まれたそうだ。 そこは専門研究機関ではないものの、ヒトに好まれる髪色や顔つきのノンアノを産み出すため、掛け合わせに力を入れているという。 そして賢いノンアノの掛け合わせが試され、産まれたのがゴローくんとその兄弟たちだそうだ。 ゴローくんはその中でもずば抜けて優秀だった。だけど、いくら賢くてもノンアノとしては、顔が大人びて体が大きすぎた。 外見の愛らしさと知性が両立していなければ『商品』にはならず、繁殖用にもならない。 そのため、ゴローくんは失敗作と見なされ、無償譲渡されたのだ。 そしてこの家に引き取られたわけだが、ブリーダーが五号と呼んでいたから、名前をゴローにしたということでもわかるように、飼い主はゴローくんに対し興味も愛情を注いだことなどなく、まともにふれたことすらなかったという。 使用人に任されたゴローくんだが、賢いとはいえノンアノで、掃除や洗濯などできて当たり前のように教えられても少しづつしか身につかない。そのため、一人でできるようになるまで、この男に厳しく叱責され続けていたようだ。 「いくら教えても失敗ばかりだから、当然叱るだろ?すると一丁前に落ち込んで、体がデカイくせに、掃除用具入れなんかの狭いところに入り込むんだよ」 ヘラヘラと笑いながら言う。 ゴローくんは、オレが『米をザルに上げて水を切って』と頼んだ時こそ、とんでもないミスをしたが、同じく初めてだったはずの古書整理の仕事は、手順をしっかり説明したため大したミスもなくやってくれた。 つまり、ゴローくんがなかなか仕事を覚えられなかったのは、この男の教え方が悪かったからに違いない。 聞くほどにイライラが溜まっていくが、オレは精一杯の微笑を浮かべ喫茶店の店員を呼ぶと、コーヒーのおかわりと、持ち帰り用のサンドイッチを注文した。 「お、気が利くな。ここのサンドイッチは有名なんだ」 上機嫌になった男は『失敗作のデカブツ』について積極的に話し始めた。 ゴローくんは他のノンアノたちと同じ部屋で暮らしていたが、服やベッド、そして食べ物さえも、全てにおいて明確な差があったため、当然ノンアノたちも違和感を持ち、全く馴染むことができなかったらしい。 そして使用人に無遠慮に出来損ないと呼ばれるゴローくんは、自然と飼い主の愛情が不足している子達のストレスのはけ口にされるようになった。 でも、きっとあの子達も、愛情をたっぷりもらえる環境だったなら、ゴローくんに意地悪なんかしなかっただろう。 やはり皆を満遍なく愛せないなら、多頭飼いなんてするべきじゃないのだ。 ゴローくんが帽子をかぶるようになった経緯もわかった。 帽子で耳を隠すように命じたの飼い主ではなく、なんとこの使用人だった。 しかもその理由は、激しく叱責するたび、怯えたゴローくんの耳が後ろを向いてピタリと頭に張り付くのが、哀れみを誘おうとしているようで癪にさわるという身勝手なものだ。 頑張って家事をしても使用人の男に何かと叱られ、けれど、手伝わなければもっと叱られる。 叱られて落ち込んだ顔をすればそれをまた叱られ、上手くこなせるようになっても褒められることはない。 思い返せば、ゴローくんが古書店の手伝いをしてくれた時、オレがありがとうと言うと無表情ながら小鼻をピクピクさせて喜びを噛み殺していたことがあった。 それをオレはとても可愛らしいと思っていたけど、この自分勝手な使用人に怒鳴られ続け、表情を消す癖がついたからだったのだと気付き切なくなった。 先日古書の展示販売会イベントで買ったノンアノ関連の古書には、愛情が感じられなくなって一、二年経てばノンアノは飼い主を『飼い主』であると認識しなくなると書いていた。 しかし、ゴローくんは飼い主の愛情のないままあの家に五年も住んでいたらしい。 通常ならもっと早く逃げ出してもおかしくなかったはずなのだ。 だけど、ゴローくんは愛情を感じられなくなる以前に、そもそも飼い主の愛情を知らなかった。 そもそも与えられていないものは、失いようがないということなのかもしれない。 ゴローくんがあの家を出て行ったのは、公園で聞いた噂の通り、飼い主がノンアノたちを連れて旅行に行っていた間のことだった。 なんの説明もなくゴローくんだけが屋敷に残された。そして数日後、使用人が飼い主たちが旅行から帰ってくる少し前に屋敷に顔を出すと、姿がなかったという。 使用人の男は、きっと飼い主やノンアノたちが帰ってこないため、探しに出たんだろうと思ったそうだ。 ゴローくんがいなくなったことは、当然この家の主人が帰ってすぐに報告された。 しかし主人は、結局ゴローくんを探すことはなかったという。 ◇ あの屋敷で、ゴローくんはあまり良い待遇ではなかっただろうということは、最初から想像がついていた。 ゴローくんを一度も可愛がることなく、使用人代わりにした元の飼い主は許しがたい。 そして多頭飼いしているノンアノたちに均等に愛情を注いでいれば、ゴローくんがあの子たちにストレスをぶつけられることもなかったはずだ。 だけど、直接ゴローくんを怒鳴り、追い詰めていたのはこの使用人だ。 全く悪びれる様子もなく『逃げたデカいノンアノ』の話をするこの男に、オレは強い怒りを感じずにはいられなかった。 ふぅとため息をついて、ぬるくなったお高いコーヒーに口をつける。 あの屋敷にいるノンアノたちは、これからも贅沢に暮らし、綺麗に着飾って可愛らしいと褒めそやされるだろうが、恐らく四頭全てが飼い主の愛情で満たされる日は来ないだろう。 だけどゴローくんは……不遇だった期間の何倍も、そしてあの子たちより沢山、オレが愛して幸せにしてあげられるはずだ。 ……そのためには……。 明日の面会は絶対にしくじれないな……。 男の話はまだ続き、自慢げにあの家のノンアノの一頭に手を出していることを匂わせ始めた。 それはもう、オレの関心外で、ただの胸糞話だった。 ゴローくんにおかしなイタズラをしたことがないかということだけしっかりと確認し、オレは頃合いをみてトイレに立った。 そして、先ほど持ち帰り用に注文していたサンドイッチを受け取ると、使用人の男を残し店を出た。 コーヒー二杯とナポリタンと評判らしい持ち帰り用のサンドイッチ二箱。 ウチの近所なら三千円もしないが、コーヒー一杯で千円近くするこの店だと幾らになるんだろう。 我ながら笑ってしまうくらいみみっちい。 それでも、ゴローくんを侮辱し怒鳴りまくっていた奴の飯代を出すなんて御免だった。 それにそもそもあっちが喫茶に誘ってきたんだし、オレは奢るなんて一言も言ってない。 あの狭量な男は、見知らぬ(オレ)に食い逃げされたことを恨みに思って怒りを腹に溜め込むだろう。この先ずっと、今日のことを思い出してはイライラするがいいさ。 ……コクウに『そんなことしても、あの男と同レベルに落ちるだけだぞ』なんて説教されちまうかな。 でも、あの男がゴローくんにしたことを真正面から責めたとしても、なぜ文句を言われなきゃならないんだと開き直られ、かえってオレがモヤモヤを溜め込むことになっていはずだ。 コクウの言葉を借りて、きれいごとが次々に頭に浮かび、セコイ真似をしてしまった自分をじんわりたしなめる。 けどそもそもオレはあの男を見下せるほど上等な者じゃない。 そうだ。 コクウだってそんなこと先刻承知。聖人ぶって説教なんかするはずないか……。 持ち帰り用に作ってもらったサンドイッチは二人前。 パン職人のコクウは他店のパンを食べるのも大好きだ。 特にこれは『他のコミュニティの喫茶店のお高いサンドイッチ』というレア度高めのシロモノ。 土産として渡せばきっと喜んでくれるに違いない。 そしてオレの小さな罪悪感もコクウの腹で浄化されるだろう。 とにかく、これでゴローくんがどんな風に飼われていたのかがわかった。 過去は過去。 だけど、これからゴローくんにどう接すればいいかのヒントにもなった。 あの使用人の話を聞きながら、絶対ゴローくんを幸せにしてみせると意気込んだが、それも全ては明日、面会時のゴローくんの反応次第だ。 面会では、絶対ゴローくんを怯えさせたり、悲しい顔をさせちゃいけない。 オレは前の飼い主とは違う。 ゴローくんを思う気持ちをしっかり感じ取ってもらわないとな。 自宅へ車を走らせながら、オレはゴローくんを想って懸命に笑顔の練習を繰り返したのだった……。

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