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37-『水やり』は『水をあげる』のと同じこと

ソファーにゴローくんが座っている。 あの場所で昨日、結ばれたんだ。 浮かれ気分の中に、小さな後悔。 思い返すと昨夜のオレは全くムードと気遣いがなく、ゴローくん愛しさに興奮して、自分の欲望ばかりをぶつけてしまっていた。 せっかくゴローくんのお初だったのに。 優しくベッドに横たえて、服を一枚づつ脱がし、愛の言葉を囁きながら、緩やかな前戯をし、体が充分高まってからの結合……という、オレの完璧な初体験プランは、ゴローくんの愛らしすぎるシッポの前に脆くも崩れ去ってしまった。 ゴローくんがわかってないのをいいことに、エロいポーズをとらせて、恥ずかしいセリフを言わせ……。 はぁ……あの大人可愛いエロスを目の当たりにしたら、股間の暴走を阻止できたのを褒めて欲しいくらいだよ。 いや、もう少し反省しろ、オレ。 オレのカップをキッチンに取りに行ってくれているゴローくんの歩き方が少しぎこちない。 これもきっと昨日の影響。 反省しているのに、顔がニヤニヤ……。 シッポをぱっくり咥えてグショグショにしたいとか妄想してしまってごめんね、ゴローくん。はぁ。 ゴローくんはオレと体を交えた事で、ここに居ていいのだと確信を持てたのか、遠慮がちな様子が消え、すっかり我が家に馴染んだ。 ふとした瞬間に肌がふれるほどオレとの距離も近い。 「ほかに何かお手伝いはないですか?」 少し前まではノンアノを働かせることにグジグジ頭を悩ませていたが、ゴローくんはお手伝いが好きなようだし、簡単な作業があれば頼んでしまおうと決めていた。 「じゃあ、そこの観葉植物に水をあげてくれるかな?」 普通のノンアノと違い、ゴローくんは簡単なお手伝いならなんでもこなせる。 そう思ったら大間違いだ。 「えっ、待って、待って!」 ゴローくんが大きな観葉植物の横にしゃがんで、ボウルに入れた水を指ですくって、パシャパシャとかけていた。 「水を……上げる……違いましたか」 黒い耳がシュンとしぼんだ。 なるほど。 『観葉植物に水をあげて』と言われたから、観葉植物に向かって水を下から上にあげようとしてたのか。 ああ、ボウルに入っているのを一気にバシャンとかけなくてよかった。周りに飛び散っている水も少量だ。 「ごめんね。ちゃんと教えなかったオレが悪い。えーっと、ここにジョウロがあるだろう?これに水を汲んで、あげる量は、あ、『あげる』って上にあげるんじゃなくて、与えるって事で……」 ノンアノはよほど興味を引かれない限り、見て覚えるということをしないらしい。 その代わり、自分に向けてしてもらったことは案外早く覚えるようなので、手取り足取り教えてあげるのがいいようだ。 「ほら、一緒にジョウロを持って。こうやって元気になれ〜って、お水をあげるんだよ」 「はい」 「ちゃんと覚えられたかな?じゃあ、こっちの観葉植物にひとりで水やりしてくれる?」 出窓に置いた鉢植えを指すとゴローくんが固まった。 「……」 「あれ?どうした?何かわからない」 「水やり……ですか?」 「うん、教えた通りやってみて?」 「教えた通り……?」 またゴローくんの耳がへションと下がった。 え、どうした、どうした? 「あっ!『水やり』は『水をあげる』のと同じこと。『水やり』って言った時も水をあげてくれる?」 「はい、わかりました」 ホッとした顔のゴローくんが、出窓の植木鉢に丁寧に水をやった。 ノンアノらしくないのがゴローくんの魅力ではあるが、こういうノンアノらしい部分を目の当たりにしても意外性でキュンとしてしまう。 「……ハクトさん、どうしましたか?」 ゴローくんが鋭い目を優しく細めてオレの頬に手を添えた。 「え、ど、どうしたって、何が?」 「ぼーっとして、でもとっても可愛らしい顔で僕を見ていました」 クラっとするほど柔らかな声だ。 「ふ、ふぁ……ゴローくん。そんな口説き文句どこで覚えたの?」 「口説き文句?何ですか?」 「昨日言ってた『旦那さまが絶対喜ぶ言葉』みたいなののことだよ」 「え……僕、今そんな恥ずかしいこと言いましたか」 顔を真っ赤にしたゴローくんがバッとオレから離れた。 ゴローくんはまだ羞恥のラインが定まっていないらしく、それまで平然としていたことに対し、急に恥ずかしがり始めることがある。 「……は、恥ずかしいことなんか言ってないよ。褒めてくれたんだよね?ありがとう」 「褒めていません。本当のことを言っただけです。ハクトさんは僕が見た中で一番可愛いヒトなのに、一番カッコいいヒトです」 贔屓目が過ぎるけど、ゴローくんは至って大真面目だ。 「そっか。ありがとう。ゴローくんもオレの見た中で一番かっこいいよ」 ギュッと抱きしめると、そっと顔を背けられた。 「僕は……みっともないノンアノです。僕の顔はあまり見ないでください」 「みっともなくないよ。オレ、ゴローくんの顔、大好きなんだから、よく見せて」 少し眉を歪ませたゴローくんが素直にオレの顔を覗き込む。 恥ずかしげで、同時に本当に好いてくれているのか確認するような……。 薄く開いた唇に目が吸い寄せられ、オレはスッと唇を近づける。 ……バン! 顔面にぶつかったのは唇じゃなく、ゴローくんの手。 「ハクトさん、ダメです。いつでもどこでも発情するのは恥ずかしいことです。発情は夜にしてください」 「えー発情なんてしてないよ」 「してます」 ゴローくんが自分の股間をキュッと握った。 そうか。ゴローくんはオレ自身すら無自覚な欲情まで感じ取ってしまうのか。 「でも、ここはオレの家だし、誰も見てないから大丈夫。恥ずかしくないよ」 「見てます」 「誰が?」 「チョミちゃん」 「えっっっ!?」 驚いてゴローくんの視線をたどると、コクウの家の窓にピッタリ額をくっつけ、チョミちゃんがこちらに耳を振っていた。 チョミちゃんのいる窓はゴローくんの部屋の真正面だけど、居間からも見えるのか……。 「チョミちゃん……耳でなんか言ってる?」 「えっと、『交尾うまく出来なかったの?』って、心配してくれてます」 「チョ、チョミちゃん……」 ノンアノは総じてあけすけな会話をするようだ。 「ゴローくん、なんて返事したの?」 「えっと『僕が上手にできなかったから、ハクトさんは満足出来なくて、今また発情してるのかもしれません』って答えました」 「い、いや、満足はしてるよ?ただほら、やっと一緒に暮らせるようになったから、今は気分が盛り上がりやすいんだ。『ゴローくんのこと好きだなぁ』って思ったら、すぐドキドキしちゃうしね」 「…………」 ゴローくんが真顔で黙り込んでしまった。 けど……カサカサ。シッポを振る音が聞こえる。 「ゴローくん」 キュッと手を握ると、サッと顔を背け、目尻が赤く染まっていく。 「……エッチなことは、夜にしてください」 オレの欲情を抑えつつ、やんわり断ってるつもりなんだろうけど……。 「すっっ、するよっっ!夜になったら、エッチなこと、たっぷりしようねっっ!」 そんな顔見せられたら、オレの欲情メーターは爆上がりだよ。 「っっ……」 オレの気にアテられたのか、ゴローくんが膝をモジモジし始めた。 その体をそっと抱いて、黒く大きな耳に口を近づける。 「朝から発情させてしまってごめんね」 息を吹き込むように囁いて、耳の内側を舌先でツツ……と舐めた。 「ふっ……」 カクンとゴローくんの膝が崩れた。 「オレがそばにいちゃ、落ち着かないよね。オレは店を開けるから、ベッドで少し休んでて」 サッと抱き上げ、そのまま寝室のベッドへ。 おでこにチュッとキスをしようとしたら、驚くほどの瞬発力で、顔面を押し返されてしまった。 「夜に……夜にお願いします」 だから、今はやめてください。そう言いたいんだってのはわかってる。 だけどやっぱりおねだりにしか聞こえない。 「うん、夜になったら、また新しいことを教えてあげるね」 安心したように頷いたゴローくんを残し、オレはニヤケを抑えきれないまま店に降りて行った。

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