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第2話
「もう!せっかく早起きしたのにこれじゃ意味ねーじゃん」
「悪かったって。旦那があんまり無防備だったもんでつい、な」
「ついじゃねーよ、まったく……!」
結局あの後シャワーに入り直して着替えてとしているうちにあっという間に時間はギリギリになってしまった。
二人は急いで支度をする。
男にどやされ、しぶしぶ呪術師も自分の支度にもどる。
アイロンの掛かったシャツ。
ダミエのカフス。
何処から持ってきたのか、おとなしめだが高そうなスーツは三つ揃え。
細く長い茶の髪を絹の黒いリボンでまとめて、手袋をポケットにしまうといつもとは違う雰囲気が漂う。
そして黒いコートに袖を通した。いつものだるっとしたロングコートではない、よそ行きの良い仕立ての物である。
服装のせいだろうか、覇気のない女顔も普通に美形に、いつもぼんやりしてそうに見えるオレンジの眼差しもキリリと凛々しく見える。もともと身長も平均より高いしスタイルもいいのだが、ここまで変わって見えるとは思わず男はすこし面食らったように呟いた。
「先生、……なんか今日はちがうよな」
「何度惚れてくれても構わねえですぜ」
「なっ、べつに……っ」
ごにょごにょ目をそらす男。その横顔は耳まで赤い。
(あー、可愛い。また食いたくなっていけねえよ)
などと余計なことを考えながら、身支度の仕上げに30センチほどの杖を手に取り布で軽く拭う。
それは大人の人差し指ほどの太さの棒で、30センチ先の先端に行くほど細くなっている。黒地に白い縞が瑪瑙のように取り巻いていて傍から見ている男には材質がよくわからない。持ち手には赤い革が巻かれ全体的に手入れされた古色に落ち着いている。
「あれ?先生っていつもそんなの持ってたっけ?」
「これでも一応魔術業の端くれですからねえ。おおっぴらにはしねえが得物は基本手放さねえんでさ」
「そういや人身オークション事件の時はなんか高そうなのもってたな」
「あいつはまた違うんだが、まあ杖は色々そろえてますぜ?ああ、旦那にもそろそろ旦那用の杖を買わなきゃなあ。どんなのがいいのか、考えといてくだせえよ?」
「ええ……俺そういうのよくわかんねえかも。先生選んでくれよ」
「魔術業の基本はイメージ力。修行の一環だと思って精進しなせえよ」
呪術師が杖をコートの懐へしまうと、どういうわけかコート越しの杖分の膨らみがたちまち消えてなくなる。
目を軽く見張った男が尋ねた。
「それも魔法?」
「どうですかね。さ、そろそろ行きやしょうか」
「なあ、ほんとについてくるのか?俺いい年だぜ?」
「往生際が悪いぜ旦那。旦那が行かなくても俺は今日事務所へ行くんだ。あきらめなせえ」
◇
村の中央通りを抜けて呪術師の家とは反対側に以前の男の職場、警備員事務所はある。
朝の早い時間で人通りは少ないが、同じ警備員達があちこちでパタパタと走っていた。
早足の呪術師が、同じく早足の男に尋ねた。
「今繁忙期なんでしたっけ?」
「ああ、この時期この辺は魔物が増えるから魔物を狩ったり結界張ったり退魔の杭を打ち直したりする。危険度も上がるけど魔物の質も上がるし収入も増えるから威勢のいい奴らにはお祭りみてえなもんだ」
どこか嬉しそうに話していると、少し遠くから声がした。
「おおミケじゃねーか。それと呪術師の先生も!」
「おう!今日からバイトで入るぜ!よろしくな!!」
「はあ?お前がバイト?!魔熊殺しのミケが?!あとで話聞かせてくれよー!」
「わぁーった!後でなー」
男が手を振り答える。
呪術師も笑顔で軽く会釈をして走っていく同僚を見送り、男を見上げた。
「ねえ、ミケってのはなんなんです旦那?」
男の名前に掠りもしない愛らしい呼び名に、呪術師はくすくす笑いをこらえる。
男はうっすら赤い頬のまま目をそらした。
「あだ名だよ、あだ名。アンタわかって言ってるだろ」
「いいええ。旦那にそんな可愛らしいあだ名があるなんて、絶対可愛い由来があるに違いねえとしか思ってませんぜ?」
「ちぇっ、性格わりいぜ……」
事務所の近くにくると、屈強な男たちが今日の仕事で使うらしい退魔の杭や楔石などを運んでいるのが見えてきた。大八車や馬車に載せられるそれは傍目から見ても尋常な量ではない。それを見て呪術師はこの村の立地の異様さを改めて思い知った。
(通常ならこんな場所で村が成り立つのが不思議なんですがね)
だが口にはしない。
「んだとぉ?!」
「やんのかこらぁ!」
急に事務所の方からガラの悪い喧嘩の気配が飛び込んできた。
体格のいい警備員の男性が二人、まるでキスでもするかのようにメンチを切り合っている。
どうやらどちらが先の馬車を使うかでもめているらしく、そばにいる小柄な事務員たちがオロオロしていた。まさに一触即発だ。
「ちっ、あいつらかよ仕方ねーな。先生、ちょっとまってて」
男が駆け出した。
跳ねるようにしてあっという間に距離を縮めると二人の間に勢いよく戦斧を振り下ろす。
しゅばっと風を切る音と共に喧嘩している二人が後ろへ飛んだ。
「うわっ!」
「っぶねー!誰だ余計なことすんのは!」
「お前らつまんねー喧嘩してんじゃねーよ!」
「「み、ミケ先輩?!」」
驚愕する二人に、男がニカっと笑う。
「おう、帰ってきたぜ!バイトだけどな」
それから、事務所は一気に賑やかになった。
誰も彼もが男を一目見ようとやってきたからだ。
「ミケ!お前病気だって聞いたぜ?」
「もういいのかミケ!」
「お前がいねえと現場が締まらねえよ」
「今年は収量へっちまうかと思ったがこれなら大丈夫だな!」
「なあ終わったら飲み行こうぜ!」
「あ、アンタがミケの担当の偉い人なんだろ?!ありがとな!」
「ばっかお前、呪術師先生にアンタとかいうんじゃねえよ!」
と、大騒ぎだ。二人が警備員達にもみくちゃにされていると雷のような声が落ちてきた。
「くぉらー!!仕事にもどれ馬鹿者ども!!」
「うわっ!」
「ひっ」
「やべー!総隊長だ!」
「総隊長が来ちまった!おまえら戻んぞ!じゃ、またあとでなミケ!呪術師先生!!」
その途端警備員たちが蜘蛛の子を散らすように散っていく。
そして、そこには仁王立ちの、他の警備員に比べて小柄な男性が立っていた。日焼けした肌。節くれだった手。濃い眉毛に無精髭。年齢は50代ほどだろうか。
服装から警備員だと判る。
「総隊長!ご無沙汰!」
男の顔が一層明るくなった。
「やっぱりミケか!回復してよかったなあ!お、そちらさんはもしかして」
コートのよれを直しながら呪術師が頷いた。
「はじめまして。担当の呪術師でさ」
呪術師は人当たりのよさそうな笑顔で挨拶をすると土産を差し出す。
総隊長はたちまち恐縮して頭を下げる。
「これはこれは……!本日はこちらから伺うところをわざわざお越しいただいただけでも申し訳ないのに、なんといったら良いやら!」
「いえ、彼の事もありますからどうぞ気にしねえでくだせえ」
「先生過保護なんだよなあ」
「ばかもの!お前はなぁ!」
「いや構わねえですよ。彼とは親しくさせていただいてますんで」
「すみません。こいつ、馴れ馴れしいと言うか、人懐こいやつなんで、目が離せねえっていうか……」
「ああ……」
男が心外だとばかりに鼻を鳴らす。
「俺別に誰にでもこうじゃねえよ?!」
「「そうでもない」」
総隊長と呪術師はハモって否定した。
「なにかあったら私に言って下さい。親代わりみてえなとこもあるんで」
「いえ、彼には助けてもらってばっかですぜ」
「や、そう言っていただけると嬉しいです」
総隊長はほっとしたように笑った。一見強面だが笑うと幼い印象になる。
「なあ、二人共。それよりそろそろ中に入らねえ?」
「おっと俺としたことが。呪術師先生、ではこちらへ」
「じゃ、先生、俺はすぐ出動だからまた後でな!」
「ああ、もう行っちまうのか。くれぐれも気をつけておくれよ?」
「わーってる!バイトだし、夕飯までにはもどる!」
大振りな戦斧を軽々と担いで仲間たちの元へ向かう男を、呪術師は名残惜しそうに見送った。
◇
男はそのまま繁忙期の討伐に参加することになった。
「おらぁっ!!」
「ガアアアアッ!」
4メートル程の魔獣、魔荒熊が男の戦斧で一刀両断される。
ずずんと重い音を立てて肉塊になる危険な獣。
まるで薪割りのようにあっさりなされる大型魔獣退治に、傍らでサポートしていた者達から喝采があがった。
「すげえ!予備動作なし?!」
「間合いに入った後見えなかった!」
「あの噂マジだったのかよ!?」
ざわつくのは主に男が職場を抜けた後に入ってきた新入りたちだ。職場で男の話は聞いてはいたが、いまいち信じきれ無かったようである。最初こそ遠巻きに半笑いで男の復帰を迎えていた彼らだったが今やその目には尊敬と驚愕の二文字しか浮かんでいない。
それを見ていた男の同期や先輩たちはため息をつく。
「お前ら俺たちの話聞いてなかったのかよ」
「だって!実際に見ねえとそんなのわかんねえですよ!」
褒めそやされて男はしかし浮かない顔だ。隣の同期に神妙に話しかけた。
「なあ、今このサイズの魔荒熊がこのへんまで出てくるのか?侵食早くねえ?吸魔ヒルの類もなんか妙に多いし」
同期が頷く。
「ああ。でも何年かに一度は侵食レベルが変動するらしいから、今年がその年だったってことじゃねえ?」
「うーん」
「ま、その辺の仮調査もぼちぼち始まるらしいから。そっちはそっちに任せようぜ」
ぽんぽんと肩に手を置かれて男もとりあえず脇においておくことにした。
皆で倒した魔物達は手際よく解体され運び出される。魔力を帯びた獲物は需要が高く、毛の一本爪の一欠片も無駄にはならない。
このあたりは魔素が濃厚で、狩りをすればこうして魔物が採れ、畑や牧場を作れば特殊な農作物や家畜がつくれるがそのかわり特定の期間魔物の被害量が跳ね上がる。そのために国からの助成金もあって特殊部隊的な「警備部隊(通称警備員)」がおかれている。
しかし、それだけでは説明がつかない生態系の異常が起こっているのはその日男の目にも明らかだった。
異常に巨大な魔獣や、色魔、淫魔系の魔物が増えてきたのだ。
性感帯に張り付いて魔力を吸うヒルタイプや、スライム、媚薬を蓄えた歩行花等。
今の所まだ小型から大型だが、いつ超大型のものがはびこってもおかしくない。
最初は闇業者から逃げたものかと思ったが、数や繁殖ぶりからいって野生のものだろう。
ここまで生態系に変化があるとなると、王都のバックアップ付きの本格的な調査が必要かもしれない。
その後も警備員達は森の奥へ進んでいく。退魔の杭を打つためだ。これを打つことで村の周辺の魔素をコントロールして凶悪な魔物達の侵入を遠ざけている。
男が中心となって魔獣や吸魔等を追い払い、残りが杭を打つ。
ざっくざっくと魔物を討伐する男と警備員達。
大きくなると厄介な人食い草の芽を薬で焼き、吸魔ヒルを打ち払い、そして男はほぼ一人で残りの魔荒熊や石割鷹を斧や投げナイフで屠っていく。
昼になって、一度休憩にすることになった。
簡易の結界を張ってそれぞれ思い思いの場所に腰を下ろす。
「ねえミケ先輩ミケ先輩!魔熊も!魔熊も一人で倒したこと有るってほんとっすか?!」
すると、水を飲む男に新人たちが群がってきた。先程の無双ぶりを目の当たりにして我慢しきれなかったようだ。
「斧使いとは思えねえ……なんてスピードだよ。ミケ先輩!どこのメーカーの斧使ってるんすか!」
「まてまてまて!お前ら一度にしゃべるんじゃねえ!耳がおかしくなりそうだ!」
順番!と叫ぶ男に雛のようにまとわりつく新人たち。
年配の隊員達はそれをみてやれやれと肩をすくめた。
休憩が終わり、大体の討伐後は魔物が嫌がる忌避系楔石を追加で打ち込んで強化しながら来た道をなぞり、ついでに新人たちが価値のある魔草を採集していく。
かーんかーんと言う楔石を打つ硬質な音が森に響いた。
久しぶりの本格的な力仕事に気持ち良い汗を流す男が熱くなって汗を拭く。しかし、その仕草が妙に艶かしく見えて同僚達の間に妙な空気が流れた。
「なんかさ、おまえ、……ちょっと変わった?」
「あ?腕鈍ってるか?これでもトレーニングはしてたんだけど」
「そうじゃねえよ……そうじゃねえけど、なんていうか……」
ぱたぱたとシャツを仰ぐ男の胸元に複数の者たちの視線が集中する。
見慣れたむさ苦しい男の胸板だ。そのはずなのに、なぜか誰もが目が離せない。汗の滴るしっとりした肌の質感、ぽってりした乳首、色づく乳輪、筋肉の凹凸が成す曲線。気のせいか甘い匂いまでする気がした。
同僚の、しかも屈強なおっさん相手に何考えてるんだと理性は咎める。だが……本能がその場の殆の者たちに彼から目を離すなと囁く。
ごくり、と唾を飲む音が響いた……。
そこに大声で別部隊のメンバーがやってきた。
「大変だ!助けてくれ!」
はっとした隊員が尋ねる。
「どうした!お前たしか西側の部隊だったよな?!」
駆け寄ってきたのはフラフラの別部隊員だ。よろけるのを抱きとめて座らせ、水を与えて落ちつかせる。
隊員はぜえぜえと息を整えて声を振り絞った。
「……ぐっ、し、新人が一人、奥で行方不明になった」
「奥?まさか……」
「そのまさかだ。魔素の特に濃厚な北西エリアを突っ切る途中で取りこぼしちまった……。すまん、手を貸してくれ」
心底申し訳なさそうな様子の隊員は詳しく場所を告げると、一度本部へ報告するために村へ戻っていき、残りの部隊全員での捜索が決定した。
部隊長が指示を出す。
「緊急事態だ、時間が惜しい、複数のグループに別れて探そう。深追いはするなよ、なにか見つけたら一度報告に帰ってこい。」
という事でベテラン達はそれぞれ一人か二人コンビで。
新人たちは隊長と一緒での捜索が始まった。
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