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Please say no:キサラギと僕

 程なくして運ばれてきた、カモミールティに舌鼓を打つ。ほのかに香るレモンのいい香りに、思わず口元が緩んでしまった。  その様子を見てからキサラギも、ティーカップに口をつける。 「今回はレモンバームをブレンドしたので、ローマン種という品種をお選び致しました。多少苦味に特徴があるものですので、抽出時間を少しだけ短めにして、エドワード様のお口に合うように調節してみました」 「ああ、丁度いい。いつも手間をかけさせてしまって済まない」  手にしているティーカップの中のハーブティの水面に、視線を落としながら告げる。淡い色をしたお茶の中に、少しだけ困惑した自分の顔が映っていた。  本当はもっと、喜んだ表情をすればいいのだろうが―― 「お口に合ったようで、安心いたしました。今回はローマン種をご用意しましたが、りんごに似た香りが特徴の、ジャーマン種もございます。眠れないときは遠慮せずに、お申し付けください」  困惑した僕の様子を気にも留めずに、ふわりと笑った雰囲気が声色で伝わってくる。  どんな表情をしているのだろうと思いきって視線を上げ、キサラギの顔を窺うと、真っ直ぐに僕を見つめていた。 「何だ?」 「あ、いえ……。エドワード様とこうやってお茶をご一緒したのは、久しぶりだったなぁと」  僕の視線を受けて、慌てて俯いたキサラギ。 「確かに。前はよく一緒にお茶を飲み、いろんな話をしていたな。苦味が不得手な僕が、お前の点てた抹茶を好んで飲んだのは、いつだったか――」  うーんと顎に手を当てて、じっくり考え込むと―― 「きっと半年以上、前のことになります。最近はご公務が続いて、お忙しいですから。……お疲れではないですか?」  気遣うような眼差しで、じっと僕の顔を見てくれた。  公務に関しては多少の忙しさはあったものの、それはいつものことなので、疲れは感じなかったのだが、今日のアンディとのやり取りで、精神的に疲れたのは事実。  だが―― 「このくらいで根を上げていたら、王にはなれないであろう。見くびってくれるな」    そう静かに伝え、再びティーカップを口にする。 「左様でございましたか、申し訳ございません。ですが――少しでも寝つきが良くなるように、ハンドマッサージを施してもよろしいでしょうか?」  首を傾げてキサラギを見ると、手にしていたティーカップをそっとテーブルに置き、僕の傍らに膝を付くと「失礼いたします」と一言告げ、右手を握りしめてきた。 「私の手が、温かく感じますよね?」 「ああ……」 「血行不良でございます。お顔の色が冴えないのも、それが原因かと存じます」  言いながら両手を使って、優しくマッサージをする。 「何だか変な気分だ。若い僕が年上のキサラギに、マッサージをされているのが」 「主の体調管理も、執事の務めでございますから。痛かったら仰ってくださいね」 「お前の手のぬくもりが、結構気持ちいい」  キサラギの大きな掌から伝わってくる、ちょうどいい熱が、僕の掌にどんどん移されていくみたいだ。 「今更ながら、お尋ねしたいことがあるのですが……」 「何だ? 遠慮せずに言ってみろ」  相変わらずキサラギの視線の先は、僕の掌のままで、微妙な表情をどこか浮かべていた。 「ずっと、不思議に思っておりました。どうして他国の留学生であった私を、執事として選んでいただけたのか――」 「ここに来て、何年経つんだ?」 「もうすぐ十年になります」  ――そうか。あれから、そんなに経つのか――  僕の脳裏にあの日の出来事が、映画を見るような感じで、鮮明に流れはじめる。 「エド、よく聞くのだ。これから俺は日本語以外喋らん。行事とかはしょうがないにしろ、日常的な会話に英語は使わないから、お前も勉強しておけ」  城に遊びに来て、いきなり偉そうな顔をし、難しい注文を突きつけた8歳のアンディ。 「何でそんな面倒くさいことに、わざわざ付き合わなきゃならないんだ。僕だって、いろいろ勉強しなければならないことが、山積みだっていうのに!」 「俺、日本人の男の子に親切にしてもらったのだ。そのコと仲良くなりたくてな。流暢な日本語をマスターするために、普段から使うことにしたのだ」  肩まで伸ばした柔らかい金髪を揺らし、満面な笑みを浮かべる。 「流暢な日本語……。そんなの、ひとりで頑張れ」 「イヤなのだ。その男の子と仲良くなったら、幼馴染であるエドを、絶対に紹介しなければならない。そのときにお前も、日本語で挨拶することになるであろう? 覚えておいて損はないのだ、勉強しようぞ」  そう言って僕の両手を、ぎゅっと握りしめてきた。 「そんなの、紹介しなくていいよ」 「ダメなのだ。エドは大事で大好きな、幼馴染なのだからな。絶対に紹介する!」  ――大事で大好きな幼馴染――  この言葉はアンディの常套句となっていて、僕に何か頼みごとがあると、ほいほい使っていた。残念なことにそれに騙されて、僕もアンディのいうことをほいほい聞いてしまったんだ。  こういう経緯があったため、日本語を日常的に使わなければならなくなり、日本語教師を国内で募集した。王室からの募集ということで、たくさんの人間が集まってきた。  執事のジャンに手伝ってもらいながら、幼い自分の目で履歴書を確認し、最終選考で残った30名の面接を城で行うことにして、横一列に並ばせる。履歴書を見ながら、ひとりひとりの顔をしっかり確認していくうちに、やけにラフな格好をした異人を、一番後ろで発見したんだ。  皆が揃ってスーツを着ているのに、ソイツは白いTシャツにジャケットを羽織り、下はジーパンという出で立ちをしていた。 (城に赴いているのに、どうしてそんな格好をしているのだろう?)  僕は異人の前に立ち尽くし、履歴書を見ずに、ソイツの顔をじっと眺めてみた。  クセの強いカーブを描いた漆黒の髪に、黒真珠のようなキレイな目をし、きょとんとした様子で、見つめ返してくる。その澄んだ瞳には一切の曇りがなく、エキゾチックな雰囲気に興味を惹かれたので、迷うことなくソイツに向かって、人差し指を突きつけながら、 「This!!」  力いっぱい、大きな声で言ってやった。  当時のキサラギは18歳の貧乏留学生で、受からないだろうなぁと思いながら、募集に記載されていた賃金目当てで応募したんですと、あとから告白してきた。  8歳の僕が、キサラギを選んだ理由――当時18歳だったキサラギと同じ年齢になった自分が、それを口にするとは思ってもいなかったな。 「まずは自分の年齢と近しい方が、話が合うだろうと思った。募集してきた者たちは、ほとんど中年が多かったからな」 「そうでしたか……」 「あとはお前のその目が、気に入ったのもひとつ。それと着ていた真っ白なTシャツが、何故だが白いキャンバスに見えたんだ。お前なら王室の面倒くさいことを、難なく吸収してくれそうだと思ったからなんだ」  マッサージを受けていない手で、ティーカップのお茶をすする。 「私は選んでいただいて、本当に驚きました。小さなエドワード様が迷いなく指を差されたときは、心臓が止まってしまうかと思ったくらいです」 「大げさ、だ……な…」  キサラギのマッサージのお陰で、体の芯までポカポカしてきて、ゆっくりと眠気に導かれていく。 「エドワード様? ああ、そのままでいて下さい。ベッドまでお運びいたします」  僕の手からティーカップを外し、貴重品を扱うように横抱きをして、ベッドまで運んでくれた。  スプリングの利いたベッドに、静かに下ろされたときには、既に意識のない状態だった。 「マイ プリンス――安心してお休みください。私を選んでいただいた貴方様に、永遠(とわ)にお使いして参ります」  耳元で甘く囁かれ、唇にキスをされたことなど、まったく知るよしもなかった。

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