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Please say no:揺れる気持ちと戸惑う距離感3
***
朝食を食べ終え、執務室に入る休憩していろと命じたはずのキサラギが、何故だか部屋の隅に立っていた。
「どうした? 遠慮せずに休憩したらどうだ?」
さっきまでの苛立ちが再燃しそうになり、素っ気なく言い放ってしまう。
チラリとキサラギを一瞥し、執務室のデスクに向かいながら、小さなため息をついた。冷静でいようと思えば思うほど、コントロールが難しくて。キスのことは、ちょっと置いておき――
一晩中あの体勢で寝ていたのなら、肩や腰など痛めいているかもしれない。本来ならもっと、労うようなあたたかい言葉を、かけなければならないのに……
ギシッと音を立てて椅子に座ると、それを合図にしたように、キサラギが傍らにやって来た。
「少々、失礼いたします」
言うや否や僕の右手をそっと手にとり、着ていたワイシャツの袖のボタンを器用に外して、右手首を露にする。
「やはり……。跡が残ってしまいましたね。痛みはございませんか?」
気遣うように言いながら優しく撫でさすってくれた。その手がどうにもくすぐったくて、乱暴に右手を引き抜き、背中に隠した。ついでに早朝の出来事を思い出し、頬が勝手に熱を持つ。
――すごく恥ずかしい――
「これくらい、痛くも痒くもない! お前は気にせず、とっとと自分の部屋に戻れ!!」
自分の顔を見られたくなくて、そっぽを向きながら怒鳴るように言ってやった。
「いいえ、そうは参りませんっ!」
珍しく声を荒げたキサラギは、背中に隠した右腕を強引に引っ張り出して、自分の胸に押し当てる。手の平から伝わってくるバクバクという激しい鼓動が、冷静な顔をしているキサラギとは真逆で驚いてしまい、まじまじと顔を見つめてしまった。
あまりの様子に声が出せないでいると、はじめから用意していたのだろう、ポケットから湿布と包帯を取り出して、跡が残っている手首に治療を始める。
「痛みなどないと言ってるだろう。勝手に治療をするな」
「……湿布を貼れば、早く痣は消えますので。それにこれは私が注意をせず、マイプリンスに付けてしまったものですから。申し訳ありません……」
「あの、今朝のことは、どうして――」
どうにも言い出しにくいものをやっと口にすると、包帯を巻いていた手が一瞬だけ止まった。だけどすぐに再開させ、手際よく綺麗に巻いていく。
「実はプライベートなことで、大変悩んでおりまして。落ち込んでいたところだったんです」
「そうか……」
「その落ち込んでいるところに、エドワード様から優しくお声をかけて戴いた上に抱きしめられて……嬉しくなってしまいました」
跪きながら包帯を巻きつつ、泣きそうな笑みを浮かべ、僕を仰ぎ見るキサラギ。
そういえば今まで、コイツの悩みなんて聞いたことがなかったな。――だが、解せぬ。嬉しかったのなら何故あの体勢から押し倒し、僕にキスをしたのだろうか?
キサラギの言葉にそっと眉をひそめると、視線を再び手元に戻す。
「ずっと前から、お慕いしている方がいるんです。瞳がエドワード様にどこか似ておられて、とても綺麗なお顔立ちをしていて。どんなにお慕いしても、自分とは釣り合わない身分をお持ちで、しかも片想いなんです」
「片想い?」
「ええ。そのお方は、別なお方を愛しておいでですから……」
(それって僕と、同じじゃないか――)
「……釣り合わない身分とは、相手は王族か?」
「はい。一介の執事が愛するなんて、恐れ多いお方でございます」
「辛いな、それは。僕が何とかしてやりたいが、色恋沙汰はどうも得意じゃないから……」
そう言うと、口元だけで柔らかく微笑む。微笑んでいるのだけれど、いつも怜悧に映る瞳が、やけに切なそうに見えた。
「似ているからといって、エドワード様へ手を出してしまった私に、そのような優しいお言葉をかけて戴き、本当に有り難うございます」
「もう、やめておけ」
「いえ、やめるわけには参りません。せめて想うくらい、自由にさせて戴きたく――」
「そうじゃなくて、お前……」
コイツ、全然分かっていないようだな。
「エドワード様のご命令があっても、これだけは絶対に譲ることは出来ません!」
「これじゃあ、執務に差し支えるであろう?」
「私の想いは、邪魔になると仰りたいのでしょうか?」
「そうじゃなくて、まったく……。キサラギお前、どこを見ているんだ? こんなに包帯をグルグル巻きにされ腕を太くされては、書き物が出来ないであろう。お前の思いやりは、ときとして暴走してしまって、笑わずにはいられないぞ」
僕の言葉にやっと気がつき、ショックを受ける表情を浮かべた。
「もも、申し訳ありませんっ、マイプリンス! 今すぐお直しいたします」
「お前がどこの誰を想っていようが、止めはしないから。安心して思う存分、想えばいい」
その言葉に、巻き戻していた包帯を手から落としたので拾ってやると、何故か手先が震えている様子だった。不思議に思ってキサラギの顔を見たら、下唇を噛みしめ、どこか辛そうな顔をしていた。
「おい、やっぱりどこか具合が悪いんじゃないか?」
「……そうですね。やはり、寝不足気味なのがいけないようです。これを巻き終えましたら、すぐさま部屋に戻ります」
僕から包帯を受け取り、手早く腕から巻き戻して、執務に支障の出ない厚さにして止めてくれる。その間、キサラギの事が気になりずっと見つめていたのだけれど、何も発することなく作業を終えて「失礼いたしました」と一言だけ告げ、執務室を出て行った。
思いやりの足りない自分が、キサラギを傷つけるような物言いを、どこかでしてしまったのだろうか?
それだけが気掛かりで、気持ちが余計に落ち着かなくなって。
――もしかしたら、嫌われてしまったのかもしれない――
そう思うと絞めつけられるように、胸がきゅっと痛くなったのだった。
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