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Please say no:Noと言ってほしくて
キサラギが城から出て行って、何日経っただろうか――何をしていても、アイツの姿をそこかしこで捜してしまい、仕事の手が止まってしまう。一番苦痛だったのは、お茶の時間だった。
代わりの執事は、キサラギが置いていったというマニュアル通りに、お茶を淹れてくれていると思うんだが。
どこか違う……僕の好きなキサラギが淹れてくれる、お茶の味じゃないんだ。
「エドワード様、そろそろご公務のお時間でございます」
「わかった。確か福祉施設の慰問だったな」
椅子から立ち上がってそっと後ろを振り返り、窓から見える庭を見つめる。キサラギが丹精込めて、手入れしていたバラ園――心の中でいってきますと告げ、執務室をあとにした。
「本日はようこそ、おいでくださいました。さあ、こちらへどうぞ」
福祉施設の園長に案内され門の中に入ると、そこには見事な花畑があり、子どもたちがしゃがみ込んで何かをしていた。
「エドワード様、はじめまして! こんにちは!!」
僕が傍に行くと、元気良く英語で挨拶する子どもたち。
「こんにちは。君たちは、何をしていたのですか?」
しゃがんで目線を同じにし、微笑みながら訊ねてみる。
「草むしりをしてました」
「あちこちに、雑草が生えてるんだよ」
「お花が元気になるように、お世話をしなきゃね」
手を泥だらけにして楽しそうに笑いあい、競うように喋っていく様子は、無邪気で可愛いと思えるものだった、
「僕も、お手伝いしていいですか?」
子どもたちの間に入り、同じように草むしりすべく、花と花の隙間に手をやった。
「エドワード様、そのようなことは――」
園長がとても恐縮したが、やらせてくださいとお願いし、わいわい騒がしい中、草むしりをする。キサラギもこうやって、バラ園の手入れをしていたんだろう。そう考えると、何だか嬉しかった。
「エドワード様、お時間がございますので、そろそろ……」
頃合いを見計り、代わりの執事が僕の背中に話しかける。渋々立ち上がると、傍にいた施設の職員がどうぞと、タオルを手渡してくれた。
お礼を言い、濡れたそれで汚れた手を拭っていたら――
「本当に呑気なお方だ。これから自分が死ぬとは知らずに」
低い声が耳に届いた瞬間、目の前にいた職員が音もなく何かを振り上げた。太陽の光を浴びて、ギラリと光るナイフが目に留まる。
息を飲む間のなく、固まって動けない僕目掛けて、容赦なくそれが振り下ろされた。
目の前にほとばしる鮮血が、これが現実であると言っていて。信じられない思いで、じっと見つめるしかない。目の前にいる人物が誰なのか、一瞬分からず狼狽えてしまった。僕に向かって振り下ろされたナイフを、そのまま素手で掴んで血を滴らせるその人が、幻か幽霊であるように見えたからだ。
「キ、サラギ!?」
「なんば、しとるんたいっ! ここからはよ、お逃げくれんね!!」
キサラギの口から出た言葉は、聞いたことのない日本語で、何を言ってるのか分からず、唖然とするしかなかった。
「SP、なんば、しとるんたいっ。はよエドワード様ば、安全なところへ、非難しゃしぇちゃんない!」
城のほとんどの者が日本語を喋ることが出来るけど、僕同様にキサラギの言ってる日本語の意味が理解出来ず、右往左往している状態。
「光物の怖くて、寿司が食べれましゅか、こん野郎!!」
言いながら果敢に、ナイフを持つ男に飛びかかるキサラギ。だけど容赦なく、その体が傷ついていく。着ているスーツに、どんどん血が滲んでいった。
「もうやめろ、キサラギ! 逃げてくれ!!」
これ以上お前が傷つく姿を、僕は見たくない――
「愛しゅるお人ば、体ば張っち守れなくて、どげんするんたい! これは俺の、意地でやね!!」
「僕は嫌なんだ! 傷つくお前を見たくないんだからっ。こんな僕のために、ボロボロになってくれるな! キサラギ……」
相変わらずキサラギの言葉は全然分からなかったけど、自分の気持ちを伝えなきゃと、必死になって叫んでやる。そんな僕をSPたちが守るように、現場から引きずり出した。
「離してくれっ、キサラギがまだ」
「危険でございます。今一度、こちらに非難なさってください」
「いや、だ! せっかく戻ってきてくれたのに……。傍にいさせてくれよっ!!」
SPの腕を振り解こうと、もがいてみたけどビクともせず、キサラギからどんどん引き離されていく。
「離してくれっ、僕は、っ……僕は――チュバキの傍に、いたいんだーっ!」
ツバキ、キサラギ ツバキ――僕の愛しい人。
思いっきり叫んだ瞬間、キサラギがこっちを見て、ふっと笑った。
その隙にナイフを持った男が、目の前にいるキサラギ目掛けて、勢いよく抱きつく。少しの間を経て、僕の顔を見て笑っているキサラギのキレイな唇から、真っ赤な血が滴って――
抱きついた男が離れると、手にしていたナイフがなかった。
「キサラギ、お前……」
血の気が引いていく僕を尻目に、キサラギは男に向き直り、ひょいと肩をすくめる。
「やっちくれたね。お返したい!」
後ずさる男の頭に目掛けて腰をひねり、遠心力を使って長い足で蹴っ飛ばした。その勢いで男は吹き飛び、クリーンヒットしたのか、泡を吹いて白目をむいている。
「九州男児ん底力、舐めてもろうては困るけん」
いつも落ち着いているキサラギとは一転、倒れている男に向かって強い口調で言い放ってから、こちらに向かって歩いてきた。お腹にナイフが刺さったままである。なのに平然として、僕の足元に跪いた。
「ただいま戻りました、マイプリンス。ご機嫌麗しゅう存じます」
さっきまでの言葉はどこに……いつも通りのキサラギに戻っている。
「何やってるんだお前、早く病院に行かなきゃ――」
「ああ、コレでございますね。大丈夫です。ほんのかすり傷でございますよ」
笑いながらお腹に刺さったナイフを、あっさりと引き抜いた。その途端、ほとばしる鮮血に見てるだけで眩暈がしそうで。
「ちょっ、キサラギ、どうして抜いたりしたんだ!? 血がたくさん出ちゃってるぞ!」
「……あい、まずいやね」
小さい声で呟いて、その場で意識を失ったキサラギ。
「おい、しっかりしろっ! 目を開けてくれツバキっ」
全身血まみれのキサラギを、ぎゅっと抱きしめた。だけど僕の呼びかけに応答せず横たわったまま、ぴくりとも動かなかったのである。
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