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第4話

ちょうどその時、玄関の外から扉を開く音が聞こえてきた。 ベランダから隣の気配を伺うと、先ほどまで暗かった部屋に明かりが灯っている。 士郎が帰って来たのだろう。 チャンスだ。 純は外に出ると、隣室の前に立った。 大きめのニットをずらし、わざと片方だけ肩を晒す。 もう一度髪を搔き上げるとインターホンのボタンを押した。 暫くして小さなノイズ音と共に士郎のものと思われる低い声がスピーカーから響く。 『はい?』 その声色から士郎の怪訝そうな表情が目に浮かんだ。 モニター付きのインターホン越しには、純の姿が見えてるに違いない。 純は不安げな表情を浮かべると辺りを見回すをした。 「夜分遅くにすみません。あの…隣の部屋の廣瀬です」 敢えて用件は伝えなかったが『隣人』と聞けば大抵の人間は少し警戒心を緩めるはずだ。 純の思惑通り、少し間が空いて施錠が解かれる音がする。 ゆっくりと開いた扉の隙間から士郎が顔を覗かせた。 近くで見るとますますハンサムが際立って見える。 「なんでしょう?」 士郎は純の姿に、上から下まで視線を流すと開いた胸元を二度見した。 無表情を決めているものの、純には士郎の困惑した内面が手に取るようにわかる。 こんな遅くに、決して親しくはない隣人が訪れてくるなんて思ってもみなかったのだろう。 おまけに露出度が高い。 純は士郎の顔を見ると、ほんの少し笑みを浮かべてみせた。 「夜分遅くにすみません…あの…以前一度ご挨拶させていただいた事がある隣の部屋の廣瀬です」 「あぁ、はい。えっと…奥さんの方ですよね?」 「覚えていてくださったんですね…嬉しい」 伏し目がちに恥じ入りながらも記憶に残っていた事を喜んでみせる。 当然口から出任せだ。 心の中でペロリと舌を出すと、純は再び不安げな表情をしてみせた。 「…どうかされました?」 純の表情に気づいたのか、士郎が扉の隙間を開いてこちらを窺ってくる。 「実はさっきコンビニに買い物に行ったらちょっと…その…知らない(ひと)に絡まれてしまって…はっきり断ったんですけど結構しつこくて…」 「後をつけられてるんですか?」 頻りに辺りを見回す純に、士郎が訝しげに眉を顰めた。 「実は…そうなんです。こんな事で、あまりお付き合いのないお隣さんを頼るなんてどうかしてるとは思うんですが、今ちょうど夫が留守でして…その…友人も家族も頼れる人は誰も近くにいなくて…」 純は項垂れてみせると上目遣いで男を見上げた。 「あの…こんなお願い迷惑だとは思うんですけど…少しでいいのでお邪魔させていただくことってできませんか?一人だとどうしても心細くて…」 我ながら在り来たりな作戦だと思ってはいた。 しかし医者で人徳者である士郎なら断るはずがないと踏んでの事だった。 自分の妻が隣人の夫とふしだらな行為に耽っている間に、人の命を救っているお優しい人なのだから。 「構いませんよ。困っている時はお互い様ですから。散らかっていますけどどうぞ」 純の思惑通り、士郎は純の事を何の躊躇いもなく手放しで迎え入れた。 内心でガッツポーズを決めながら、淑やかに振る舞ってみせる。 「ありがとうございます。助かります」 こうして純はまんまと嘘に騙された士郎に招かれて、笹塚家へと足を踏み入れる事ができた。 あとは証拠となる行為を撮影し、秋乃に突きつけるだけだ。 夫が浮気をしていると知った秋乃の顔が早く見てみたい。 秋乃はどんな顔をするのだろうか? なんでもいい。 純が、味わったあの絶望をとことん、味わわせてやるのだ。 しかし、それがまさか地獄の始まりだとはこの時の純は知る由もなかった。

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