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第2話

「工事担当者からだ。お客様のクレームがあったそうだ。外壁の色が違うだと。どうなってる?」 「外壁の色が?す、すみません。すぐに確認します」 「このお客様からのクレームは2つ目だ。住宅も最近はクレームが多い。悪質なクレーマーにならないようにちゃんと対応しろ。」  「…はい、善処します。」   新築の打ち合わせではとても良い印象のお客様だったのに、自分のミスで工事担当者との関係が悪くなってしまった。申し訳ない。 「おい、風間。10時から松本様とのアポがあったんじゃないか?」 「えっ、今日は13時から小野田様だけでは…。」 「は?もう松本様来ているぞ。」  血の気が引く。急いで予定をチェックするとアポが入っていた。どうしよう。外壁の確認もしないと。でもまず松本様の打ち合わせをして…。資料も準備しなければ…。    ぴんぽーん。   「風間。経理からこれ今日までに提出してくれだって。」 「えっ、あっ、はい。」  松本様今回はリビングの内装。壁紙の資料を準備しないと…。    ぴんぽーん。ぴんぽーん。    何か鳴ってる。今日も色々と仕事しないといけないのに思考が働かない。どうしよう。何からしたら…。    ぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーん。     「うう……」  薄暗い天井が見える。ぴんぽーんと玄関の方から聞こえ、自分は仕事の夢を見ていたんだと気づいた。 部屋の中はじっとりとし、カーテンの隙間から日差しが差し込んでいる。額に汗をかいており、手の甲で拭う。ふぅと息を短く吐き、布団から身体を起こして玄関に向かった。  スコープで確認することなく、ドアを開ける。差し込む日は高く、昼時だろう。日差しが眩しく、目を細める。 「すみません。お待たせしました…。」 「……(なお)、何で敬語なんだ。」  不機嫌な声に身に覚えがあり、細めた目で相手を確認する。俺と同じストレートの黒髪に細めの銀縁眼鏡、見た目は細いが服の中はシックスパックだ。ポロシャツにジーンズとラフな格好である。手には紙袋を持っている。 「兄さんだ。今日仕事は?」 「…今日は土曜日だ。」 「あ、そうなんだ。」  今日は土曜日なのか。曜日の感覚がなくなっていて、大手の人事課で働いている兄が何故自分の所に来れたのか不思議だった。休みなら来れる。 「今日どうしたの?」 「父さんと母さんから差し入れだ。中に入れてくれ。」  右手に持っていた紙袋を差し出す。 「ああ、わざわざありがとう。うん。どうぞ。」  兄に部屋に入ってもらう。「カーテンぐらい開けろ。カップ麺の空ばかりじゃないか、他にちゃんと食ってるのか。」など後ろからぶつぶつと聞こえる。「食べてるよ。」と適当に答えながら言われた通り、カーテンを開け、ついでにこもった空気の入れ替えのため窓も開けた。   「兄さん、実家帰ったの?」 「ああ。昨日の夜帰って、朝出てきた。母さん日勤終わりでいたから。」  実家はここから車で1時間ぐらいだ。母さんは元々パートだったが、現在は看護師でフルタイムで夜勤もしている。55歳で無理はして欲しくないが、患者さんと関わるのが好きで働いてると言われたので、時々きつくないか確認しているだけだ。 「そっか。……父さんは元気だった?」 「相変わらずだな。薬はちゃんと飲んでるから悪くはなってない。」 「ならよかった。」  父さんは俺が小学校低学年の頃に会社で色々あったらしく、会社を辞めた。出張などない会社だったのに、平日は基本顔を合わせることなく、土日は会社にほぼ出勤していた。 急に家にいるようになり、母さんに聞いたら「身体がきつくなって、お休みが必要になったのよ。」と言われた。確かに魂を抜かれたみたいにぼーっとしていて、髪にはいつの間にか白髪が増え、一回り小さく見えた。 「お父さんどこか痛いの?」と聞くと、急に涙を流し、身体を丸めて唸っていたのが今も頭に残っている。その後、多分精神科を受診して、薬を飲むようになったら少しずつ笑顔が見えるようになった。 調子がよくなると、父さんが家事などをしてくれてた。仕事をしたい思いが出てきて、再就職をしようとしたが、結局症状が悪化して断念した。今は主夫として家にいる。     兄さんが紙袋からタッパーとお菓子をいつくか出す。 「タッパーの中に青菜のお浸しと親子丼の具が入ってる。米はあるか。」 「うん。チンするのならあるよ。」  タッパーの中身は俺の好きだと言っていた物だった。父さんが作ったのだろう。お菓子は母さんが家にあるのを適当に入れた感じだ。「兄さんも食べるよね?」と確認し、ああと返事があったので台所下の棚からチンしたらほかほか白米が出来るパックを2つとり、電子レンジに入れる。2分ずつで出来たので、そのまま卓に持っていった。 「皿ぐらい盛れよ。」 「…俺はこれでいい。」  はぁと溜息が聞こえたが、兄さんもパックに入ったままの白米の上に親子丼の具をのせた。 「いただきます。」   2人で手を合わせる。父さんの親子丼はいつも卵にしっかり火を通しており、半熟のことろはない。味付けも麺つゆだけで玉ねぎもシャキシャキしている。味は感じないので玉ねぎのシャクシャク感と卵の柔らかさだけを感じる。  この前食べた親子丼とは全然違う。玉ねぎは柔らかくて、卵は光に反射してつやつやしてた。でも小さい時から父さんのこれがずっと好きだったな…。   「直、大分痩せたな。」  兄がぼそりと呟く。俺とは目を合わせずにお浸しに箸を向けて摘んでいる。 「そうかな?体重計乗ってないからわかんないや。」  最近では味もしないのに、カップ麺も準備して食べるのが億劫で、水を飲んで空腹感を満たすことが多かった。以前より食事の回数は減っていた。 「髪もボサボサ、髭も伸びてる。…隈もすごいぞ。」 「はは〜、出不精になっちゃってね。」  茶化して言ってみるが、兄は笑わず俺に目線を向ける。 「夜眠れないのか?」 「あー…」  俺は兄から目線を逸らし、親子丼を見る。不眠はまだ続いていた。仕事を辞めても、仕事に追われ、叱責されている夢を見る。急な不安感が襲うとうまく眠れなかった。 「ちょっと寝不足かな。」  頭をぽりぽりとかきながら、笑った。少しの沈黙が2人の間を流れた後、「他に体調は?」と言われ、兄には仕事を辞めるのを手伝ってもらったので嘘をつくのはどうかと思い、「味があんまりしないね。」と言った。 「そうか……。」  兄は黙々と口にご飯を運ぶ。俺も習って口を動かした。

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