6 / 80
第5話
「あ、いらっしゃい。風間君。」
「こんにちは。七瀬(ななせ)さん。」
俺はここ二週間程、1〜2日おきに、なな食堂に通うようになった。あの日、さば定食を食べて兄達に送ると『いいじゃないか。美味そうだ。』とはじめて好感触だった。その後も何度も食べた定食を送ったが、外食ばかりとは不思議と言われなかった。まぁ俺の自炊より断然いいからだろう。
「今日は何にする?」
俺は窓際のテーブル席に座る。他のお客さんが座っていない時は基本この席だ。七瀬さんが冷たい水の入ったグラスをことりと机に置く。
七瀬さんはここの店主の名前だ。3.4回来た時に「いつもありがとうございます。えっと…良かったら名前教えて?」と言われ、お互いに自己紹介をしたのだ。
焦げ茶色の短めの髪の上に今日は黒いバンダナを巻いている。ややつり目ではっきりとした二重の瞳が更に強調して見えた。腰に巻いているエプロンも黒なので、ラーメン屋さんのようだ。白いTシャツから覗く腕は細めだがしっかりと筋肉が付いているのが伺える。
「今日は……野菜炒め定食でお願いします。」
「はい、じゃあ待ってて。」
優しいトーンであるが、すっと耳の中に入ってくる通る声だ。七瀬さんが厨房へ向かっていく間、ちらりと店内を見る。現在昼1時半頃であり、客は俺ともう1人だけだった。
じゅーっと油と食材が熱される音とカチャカチャと混ぜる音がする。音楽はないけれど、料理の音と昼間の日光がステンドグラスに差し込み心地の良い空間を作り出す。
俺が座っている窓際の机は木の模様に加え、日の光が透け、様々な色で彩られる。色の中に手を置いて、自分の肌色が変化するのをゆっくりと見るのが好きで、俺はこの席を好んで座った。
この「なな食堂」は店の雰囲気はカフェ、店主は今日はラーメン屋、メニューは食堂と全てがちぐはぐな感じなのだが、俺にとってここは、ご飯を食べるだけではなく、癒しを感じると場所になっている。
「はい、お待たせ。野菜炒め定食だよ。」
「ありがとうございます。いただきます。」
七瀬さんは厨房の中に入り、定位置に置いてある椅子に座り、新聞を読み始める。
俺は携帯でちゃちゃっと写真を撮った後、備え付けの割り箸を手に取る。
定食は野菜炒め、日替わりの小鉢、たくあん、白味噌の豆腐とわかめの味噌汁、ほかほかのご飯だ。俺は野菜炒めから食べ始める。熱くてはふはふしながら、シャキシャキとした食感を楽しむ。
味覚は戻らないが、最近は食感や熱さなどで食事を少し楽しめるようになった。嫌な夢を見る頻度も少しずつ減ってきている。
仕事を辞めて、1ヶ月が経った。あれから一度、週末に兄と一緒に実家へ帰った。母さんは年を重ねるごとに少しずつ丸くなる体型を気にしていて、どのダイエットがいいかずっと話していた。適当に対応しても、変わらず楽しそうに話している。父さんはもっぱら聞き役で、母さんの話を相槌をしながら聞いていた。
一度「仕事の調子はどうだ?」と俺に向かって聞かれ戸惑ったが、何とか笑顔を取り繕い、「変わらないよ」と答えることが出来た。
そうか、と答える父さんは穏やかな顔をしており、辞めたことは言えないなと再認識した。
帰りに父さんが常備食の入ったタッパーをいつくか紙袋に入れ、渡されるとき、「頑張りなさい。」と肩をぽんぽんと叩かれ、涙がせり上がってきそうになるのを俺は耐えた。
頑張れなかったよ、と心の中で呟く。
兄と会った後の月曜日、ハローワークにも職探しに行った。平日の昼間でも沢山の人がいる。
順番が回ってきて、「どのような仕事をしたいなど希望はありますか?」と職員に問われ、数秒思案したが特に思いつかず、「人の役に立てれば…」と言うと、ハローワークの人は数秒沈黙し、「どの仕事も役には立ちます。特に希望はないのですね?」と返され、はいと消えかかるような小さい声で返事をした。
住宅の営業をしていたことを話すと、同じような求人がきているので受けるかと問われ、また黙ってしまうと、職員の方から短く溜息が聞こえる。
「ネットでも求人が見れます。何かやりたい事や希望の職種など提示していただけると私達も対応しやすいです。人の役に立てればいいのであれば、介護・医療関係、相談員、運転手、営業など色々あります。…何も希望がなければ、取り敢えず条件が良さそうな所を受けてみますか?」
それからは職員さんに言われるがまま、ハローワークの紹介状を貰い、履歴書と共に面接に行った。
透析の機器を扱う会社で事務を募集していた。土日休み、ボーナス5ヶ月分、残業月10時間と好条件だった。しかし、どうしてうちを受けたのか、前職を辞めた理由を聞かれうまく答えられず、不採用通知が家に来て終わった。
職を探そうとすると、どのような職に就いたらいいのか、自分は次の仕事続けられるのだろうか、また失敗するんじゃないだろうかと考えがぐるぐる頭を巡った。
そして不安の中、家で鬱々としている時に、なな食堂に来ると気分が落ち着くのだ。またハローワークに行こうと言う気が生まれる。
しかし辞めてから1ヶ月が経ってしまった。あれからもう一つハローワークの職員に勧められた会社も不採用だった。
正社員とは言わず、せめて何か職につかないと…と焦りが出てくる。
俺は野菜炒めを黙々と食べながら、今後の事を考えていた。
ともだちにシェアしよう!