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第6話
「どうかした?」
近くで声がした事に驚いて、身体がびくりと跳ねる。向かいの席に座ろうといた七瀬さんは、俺が思いの外驚いたことが面白かったらしく、笑いながら「驚かせたね。ごめんね。」と謝ってきた。
七瀬さんは他にお客さんがいる時は、個人的に話しかけたりしない。ちらっと店内を見ると、もう1人のお客さんは帰っていた。
「いえいえ。考え事してたらぼーっとしちゃって。」
「考え事してたんだ?」
「あ、はい。」
「どんな考え事?」
席に座り、やや前のめりになった七瀬さんと目が合う。俺はいつの間にか止まってしまった食事に目を移して考える。
「あー…、えっと…。」
職場で上手くいかず、就職活動も上手くいかなくて不安です、って言ったら困らないだろうか。相談をするような間柄でもないし、言ってここに通うのが難しくなるのは困る。当たり障りのない回答をしたほうがいいだろう。
「…今後の人生をどうしようかなと……。」
七瀬さんは笑顔のまま固まった。あれ?何か変なことを行ってしまったかもしれない。
「ふっ…ははっ」
顔を逸らして口元を手で隠しているため、顔が見えない。しかし肩が震えて笑い声が漏れている。笑われた事で、やっぱり自分が変な事を言ってしまったんだとわかり、顔に熱が集まり赤くなっていくのを感じた。
「あ、ごめん!決して馬鹿にしたわけじゃない!何というか…初々しくて、えっと…、微笑ましくて笑いが出た。」
「初々しくて、微笑ましい…。」
29歳にもなって人生について考えるのは初々しいだろうか。そんな歳離れて無さそうだけど…。
何というか…年齢を下に見られている気がする。年齢を言ったがいいのだろうか。でも年齢を言うと、いい歳して仕事していないってわかってしまう。仕事もせずに日中から食堂でご飯を食べるなんて知られたくない。
「就活で悩んでるの?」
「あ、え、あ…えーと…」
仕事の事について悩んでいることを一番最初に指摘されて驚く。隠したい気持ちと混じり、どもってしまった。
「あ、違ったかな?じゃあ勉強?それとも人間関係?」
微笑まれながら問われる。これは、大学生だと思われているようだ。相談に乗ってくれそうな優しい雰囲気が出ており、このまま年齢を告げず嘘をつくのは心苦しくなった。
「あ、あの…」
「うん。」
「俺…、大学生じゃないんです。」
「えっそうなんだ?いくつなの?」
「29です…」
七瀬さんの目が大きく開かれる。確かに俺は目が大きめで、唇も厚いのでよく年齢よりも下に見られた。髭も生えるが濃ゆくない。
「俺と6つ違いか。ごめんね。若く見えたから。じゃあ今は社会人か。」
七瀬さんは35歳なのか。七瀬さんも年齢よりは若く見える。社会人かと、さらっと聞かれるが、答えるのを躊躇する質問だ。
「えっと…会社は、色々あって辞めて…、今就活中です。」
もう年齢言ってしまったので、言ってもいいやと半分開き直ったのと、七瀬さんなら言っても大丈夫な様な気がして無職であることも話した。
「あら。今日は俺の勘は不調だなぁ…。ごめんね、ずけずけと。」
「いえっ、こちらこそすみません…。」
俺が無職なのが悪いのだから、七瀬さんが謝ることはない。返答がなくなり、ちらっと七瀬さんの方を見ると何か考えている様だった。気まずく感じ、おずおずと食事を再開する。
ププーっと店の外で車のクラクションが聞こえる。ステンドグラス越しには外の状態は見えにくい。
七瀬さんが「よし!」と声を出した。びくりとまた声に驚いて身体が跳ねる。七瀬さんはにかっと笑い、「おじさんが1つ人生を語りましょうか。」と言ってきた。
「え?」
「人生の先輩として、ちょっと小話ね。食べながらでいいから聞いてー。」
「……はい。」
白米を口に運び、もぐもぐと咀嚼する。七瀬さんはそれを見て話し始めた。
「ここ今年の3月にオープンしたんだ。それまではある会社でサラリーマンしてた。まぁ脱サラってやつだね。」
オープンして4ヶ月。だからあの時初めて見かけたのか。おずおずとお椀を手に取り、ずずっと味噌汁を飲みながら、お椀の先で七瀬さんを捉えて見る。
「大学はそこそこ良いところに行って、就活で4社内定貰って、その中で一番大手だった企業に入った。ここまで特に挫折もなく、順調だったんだよな。」
凄いな…。俺は普通の大学に行って、会社もハナヤコーポレーションしか受からなかった。
「車の販売で、お客さんに営業してたんだ。元々人と話すのは好きだし、楽しかった。ノルマ達成も上位だった。」
種類は違うけど同じ営業をしていたと聞いて驚いた。七瀬さんの顔を思わずじっと見るが、特に俺の様子に対して反応はなく、肘をついて微笑えんでいる。
同じ営業職と聞いて、七瀬さんを身近に感じる。
「ノルマ上位だと、周りからも期待もされるし、ノルマ達成して当たり前って思われるんだよね。で、ある時、体調も悪かったり、キャンセルが続いたりしてノルマ達成出来ない月があった。」
七瀬さんはふぅと息を吐く。話が気になり、食事をするのを忘れそうになる。俺にもノルマがあったけど、達成出来ないことが多かったので、どんな立場でも悩みはあるんだなと感じた。
「これが俺の初めての挫折。次の月からは達成できたけど、俺の中で変わった事があって。今までそんなに気負わずに仕事してた。達成出来なかった時さ、周りの反応とかもだけど…出来なかった自分が一番許せなくて。そこからノルマ達成するために、努力したんだ。それこそ起きてから寝る前までずっと考えるようになった。」
俺は食事をやめ、思わず爪が白くなるほど箸を強く握った。
状況は違う。
でも、起きてから寝る前までずっと俺も考えて過ごしていた。
寝ている間も睡眠が浅くなり、夢で仕事をして、怖くて目が覚めるのを繰り返して。
「そしたらある時、俺何してろんだろうってなって。まぁこうやって定食屋するぐらい料理は好きだったけど、料理も作らなくなって、出来合いの物食べる生活が続いて、急に全てが無駄な事に思えたんだ。仕事する気力がなくなった。そんな時に丁度友達が遊びに来るって事で、ご飯振舞ったんだけど、『やっぱ美味いな』って言われて、すごく嬉しくて。今までも言われてたんだけど、余計この時は沁みちゃってさ。仕事で貯金はあったし、仕事は辞めて、今はこうやって食堂始めたって訳。」
さらりと言っているけれど、すごい。自分で先の事を考えて、決めたんだ。
俺は兄さんに助けてもらわないと自分で仕事を辞める事も出来なかったのに。
「まぁ長くなったけど、俺が言いたいのは、これからの人生どうなるかなんて、わかんないんだよね。これが正解だろって道を進んでも、俺みたいに途中で違うなってなることもある。失敗したらとかって不安になるかもだけど、失敗しても好きな事やれたり出来てる。失敗は失敗じゃないんだよね。何度でもスタート出来るよ。だから怖がらないで何か挑戦してみていい。俺よりも若いんだから。いっぱい考えたらいい。」
七瀬さんがとてもいい笑顔で笑った。日が差し込んでいるせいか眩しく見える。
失敗は失敗じゃない。何度でもスタートできる…。
過去の俺を許してくれるような言葉が胸に刺さる。
会社で上手くいかなかったこと、会社を辞めてしまったこと、再就職も上手くいかないこと、全てが失敗で、全てが自分が不甲斐ないせいで起こった事で、この先も全てが失敗するのだろうという思いを拭えないでいた。
でも七瀬さんは今とても生き生きして見える。状況は違うけれど、仕事を辞めて、好きな事をしている。俺も同じようになれるんじゃないかと希望が生まれる。
先が少し明るくなった気がした。胸の中が暖かくなっていく。
すると七瀬さんがぎょっとしたように瞠目した姿が見えた。
「えっ!ちょ…どうした?!」
「え…」
七瀬さんが席を立ち、焦った声が聞こえる。いつの間にか俺の目から涙が溢れていた。
「あれ?す、すみません。」
自覚すると更に涙が溢れた。顔を隠そうと下を向くと鼻が詰まり、息苦しくなる。手の甲で涙やら鼻水やら拭くとベタベタになる。
「大丈夫、気にしない。ほらティッシュで拭きなさい。」
机に備え付けてあるティッシュがずいっと目の前に現れ、数枚お礼をいいながら取って、顔を拭いた。
「そんなに溜め込んでいたんだな。さっき笑ってしまってごめん。」
ぽんぽんと頭を優しく触れられる。心地よい。「いえ」と震える声で答える。
俺の鼻をすする音が店内に響く。
んー、と七瀬さんが唸るので、どうしたのかと思い、顔を上げ見つめる。
「言えるなら言ったが楽になれると思う。まぁ…、こういうのは友達とか親よりも、他人の方が言いやすかったりするし。俺でよかったら聞くよ。」
優しい口調が耳に届く。七瀬さんの話を聞いて、言いたい気持ちが大きくなった。
こくりと頷く。
泣いた事により呼吸が整ってなかったら、「落ち着いてから話していい。」と言われた。
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