17 / 80
第16話
ああ、今日もよく動いたな。今回の依頼は凄かった。家のドアを開けた瞬間に鼻が曲がるような臭いが漏れ、最初に消臭作業から始まった。中に入ると膝の高さまで積み上げられた数々の物。半年に1回あるかないかのゴミ屋敷だとかで「風間くんくじ運強すぎー!」と深見君から言われた。夏で気温も高く、蒸風呂みたいな部屋で作業し全身汗まみれだった。よくわからない液体が顔に付いたときには変な声が出てみんなに笑われてしまった。3日間事務の赤枝さん以外の従業員総出でやっと綺麗になり、何もない床を見てここ最近一番の感動を覚えた。
ゴミ屋敷の部屋は臭いが作業者にも移ってしまうので、会社近くの銭湯でみんなとゆっくり入って解散した。
自分からお風呂あがりのいい匂いがする。開放感と爽快感もあり、いつもよりお腹が空く。なな食堂が見えてきた。今日は何を食べようかなと頭の中で考える。
近づいていくと、いい匂いがしてきた。
……あれ、そういえばいつの間に匂い感じるようになったんだろう。
依頼の部屋の臭いもだが、食堂に近づいていい匂いと思ったことに驚く。
もしかして、という気持ちが膨らみながら食堂へ向かう。
「いらっしゃいませー!空いてる席へどうぞー!」
扉を開けるとおかっぱ頭の関君の声が元気よく聞こえた。七瀬さんもフライパンを振りながらいらっしゃいませーと言ってくれる。席はカウンターが2席真ん中のみ空いていて他は埋まっていた。今日も大盛況だなと思いながらカウンターに座る。
「風間君こんばんは。何にする?」
関さんが注文を取りに来てくれた。何回か来店したときに顔と名前を覚えてくれた。
俺は期待を込めて親子丼を注文する。待っている間もそわそわしてしまい、卓上のティッシュを折紙のようにして鶴を折って気を紛らわしていた。
「いらっしゃい。何してんの?」
七瀬さんが厨房から覗いてきた。29にもなってティッシュで遊んでるなんて恥ずかしいと思い、手で目の前のティッシュを隠して「何でもないです」と返答する。
くくっと笑いながら「完成したら見せて。」と手を振りながらキッチンへ戻っていく姿を見てバレてたのかと顔に熱が集まる。でもバレてるならいいやと再度折るのを再開した。
「お待たせしました。親子丼ですー!」
鶴の羽をうまく作成出来ずに奮闘していると目の前にほかほかと湯気が顔を撫で、卵が反射でつやつやと光っている親子丼がきた。関くんにお礼を言って、いただきますと手を合わせる。
箸で掬い、いい出汁の匂いを感じながら口元へ持っていく。
ゆっくりと1口含んだ。
ざわざわと賑わっている音が耳をこだまする。心地いい空間がここを満たしている。
「風間君作ってたのできた?何作ってー…っどうしたの?」
カウンター越しに肩を掴まれ、少し揺さぶられる。俺は両肘をついて顔を下に向けていたのをゆっくりと上げて七瀬さんを見る。
茶色と肌色と黒色に目の前が変わる。ぼんやり歪んで見える景色は涙越しに見ていてうまく写らなかった。でも声で目の前の人は七瀬さんだとわかる。
俺はゆっくりと震えるのを堪えながら溢れてくる涙とともに吐き出す。
「美味しいです。」
口に入れた瞬間、出汁と甘辛い味付けが広がり、鼻を抜けた。半熟の卵から濃厚な黄身の味、鶏肉を噛むと滲む肉汁を味わえる。
七瀬さんはすぐには反応しなかった。でもその一言で理解したらしく、ぐっと俺の頭に手が伸びてきたかと思うと強くわしゃわしゃと撫でられる。
「よかったな!」
俺は溢れた涙を手の甲で拭うと、眉間に皺を寄せ、目を細めて泣きそうな、でも満面の笑みの七瀬さんの顔が見えた。
同じように喜んでくれた行動に俺は更に泣いてしまった。
他のお客さん達が何事かとちらちら見ていたが、関君が「2日ぶりの飯は美味いっすよねー。パンの耳だけとかキツすぎ!」とフォローしてくれて、とても助かった。
その後、仕事が忙しい七瀬さんはすぐに戻ってしまい、俺は泣いたせいで鼻が詰まり、味がしなくなってしまったけど、確かに感じた味は父の親子丼にも劣らない至極の味だった。
ともだちにシェアしよう!