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第17話 七瀬side

 風間君はよく笑うようになった。    お互いに過去を話したあの時から壁がなくなったかのように俺によく懐いてくれた。忠犬ハチ公みたいで、可愛いなとは思ってはいたが、タイプじゃないので恋愛感情ではないだろうと高を(くく)っていた。    俺はゲイだ。小学校で担任の男の先生を好きになった。子どもの好きは特に問題視されず、逆によく可愛がってもらった記憶がある。 中学生では部活の先輩。身体のがっちりとした男らしい顔立ちだが爽やかな人だった。保健体育の授業で女性の身体について勉強していた時、身体の構造的には興味を持てたが周りの同級生が騒いでいるような性的な魅力は感じなかった。先生がちらりと同性を好きになる人もいると言っていて、俺はそうなのかもしれないと自覚したが、それを(はや)し立てる同級生を見て言ってはいけない事なのだと内にとどめた。 学校は出た釘は打たれる場所だ。俺は持ち前のコミュニケーションでゲイばれを回避して生きてきた。    うちの親は自分以外の価値観を許せない部類だった。お互い公務員で、社内結婚をし、特に人生の上がり下がりなく生きてきた人達だった。テレビで少し世間から外れた意見を言っている人を見ると、悪態をついていた。少数意見よりも多数意見が正しいに決まっている。そんな親の元で暮らすのは息が詰まった。 親がつけた正一(せいいち)と言う名前も好きになれなかった。正しい事が一つだと、両親の価値観が俺を縛り、ゲイは正しくないのだと名前から常に言われているようだった。  誤魔化しながら親とうまくやっていたが、30を過ぎても結婚もしない、恋人も連れてこない俺に痺れをきらした親からお見合いの催促がきた。子どもが結婚していない事を会社で何度も聞かれるのは嫌だ、孫の話をしたいなど自分のことしか考えていない親を相手するのが嫌になり、俺はゲイだとバラした。    最初は冗談だと思い、笑っていたが、真実だと悟ると、2人は罵声を俺に浴びせ、うちらの子どもがそんなはずはないとテンプレートな返答をした。受け入れてもらえるとは思っていなかったので、そこから実家には帰っていない。地元の友達にはバレたくなかったが、親があれだけ毛嫌いしているなら誰にも言わないだろうと安心した。 それを機に親と絶縁状態となり、一時は落ち込んだりしていた。そんな時、母親から生きてるの?とメールが来たことがあった。嬉しくて生きてるよと返したが次のメールには結婚は?と返事がきた。俺が言ってたことは伝わってないのかと悲しくなり、返信をあぐねていると、『孫の顔を親に見せたいと思わないのか』『悲しんでる両親の事を考えなさい』と似たような内容がつらつらと届き、吐き気に似た気持ち悪さを感じて最後まで読む事は出来なかった。息子と疎遠になっても自分が中心の親を見て俺は期待するのを諦めると共に落ち込むのもやめた。   ゲイである俺はそこそこモテた。 社会人になってからは車の営業でまあまあ金もあるし、顔も悪くないから一夜の相手には全く困らなかった。恋人もいたことがあるが、俺の時間は殆ど仕事が占めていたため、あまり会えずに別れることが多かった。  俺は漢くさい顔が好きだ。髭もあそこも濃くて立派な男を組み敷き、可愛く喘がせるのがバリタチである俺の好みだ。    風間君は幼く見えて、線も細い。髭も薄くて、見た目は草食系男子だ。俺のタイプとは真逆に近いが、ふとした会話の中で人の喜ぶことを言ってくれる素直な性格で俺もその分風間君が元気になればいいなと思って接していた。    風間君が短期の清掃業者のバイトを始めて、よく従業員の話をしてくれるようになった。事務以外は全員男で、みんないい人だと楽しそうに話す。  胸に広がるもやもやを最初は自分にしか懐いてなかったのが、他の人に懐いていくのが面白くないだけだと思っていたが、日を重ねる度に積もる焦燥と笑顔を見たときの胸のうるささはは強くなった。    そして今日。泣きながら「美味しいです」と言った顔に引力のように目線が引き寄せられた。心を満たしていく温かい水が容量を増やす。  他にお客さんもいたので、頭を撫でるだけにとどまったが、誰もいなかったら抱きしめていたと思う。 お会計の時に関君に頼んで、風間君の時だけ俺がさせてもらった。 お金を受け取り、お釣りを渡し終えるとゆっくりと、でも周りの雑音には負けない凛とした声で七瀬さんと呼ばれた。 「偶然だったけど、この食堂に来て、七瀬さんに出会えて俺本当よかったです。」 そう言って頬を赤らめながら笑う風間君はとても愛らしかった。    俺はこの先この気持ちをどうしていくか考えていかなくちゃいけなくなるだろう。 でも気持ちを伝えるにしても、黙っておくにしても先が明るいとは言えない。 「あー……、まさかこの歳になってノンケを好きになるとは。」     閉店後の静まりかえる食堂でカウンターに突っ伏しながら俺は一人ごちた。    

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