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第25話

 10時時50分。待ち合わせの10分前に準備中の札が出ているなな食堂前に来た。  友達や先輩と一緒にご飯を食べたりはしていたが、2人きりで何処かに出かけるのは友人と随分前にしたきりだ。しかも今回は初めて七瀬さんと出かけるので、緊張やら不安やらでそわそわしてしまう。   「風間君。」 「うわっ!あ、はい!」  道路の方から来るだろうと思っていたが、後ろから声が聞こえて俺はびくっと体が跳ねた。 「急に声かけてびっくりさせちゃったか。ごめんね。」  後ろを振り向くと七瀬さんが俺を見下ろしている。モカのサマーニットに黒のスキニーパンツ、黒のキャンバスシューズで、髪も軽く後ろに撫でるよにワックスでセットしており、いつもの雰囲気と違っているせいか、俺の胸がコトコトと揺れる。 「七瀬さん、すっごくおしゃれですね!」 「う…ありがと。何か張り切ってるみたいで恥ずかしくなるね…。」 「え。七瀬さんが恥ずかしかったら、俺の格好の方が恥ずかしいです!」  今日の俺はいつも使ってる白のTシャツに上から水色のシャツを羽織り、紺色のアンクルパンツを履いて、白のスニーカー、茶色のショルダーバッグを掛けている。楽なのでよく同じ格好で出かけ、食堂にも着て行ったことがある。 「風間君肌が白いから、水色のシャツとかよく似合ってるよ。」 「うう、ありがとうございます。」  かっこいい格好した人に褒められるとお世辞に聞こえるが、お世辞でも言ってくれるだけ嬉しいやと気持ちを切り替える。そういえば何で七瀬さん後ろから来たんだろ。   「七瀬さん何でこっちから来たんですか?」 「ああ、店の裏側に駐車場借りてるから車向こうなんだ。ちょっと狭いけど、ここ通るよ。」   「そうなんですね。」  食堂と隣のビルの間にある細い路地を指差す。七瀬さんの後をついていくと一本奥の道に出て、左手に月極駐車場があった。何台か車が停まっている。七瀬さんは黒色の軽に近づき鍵を開ける。 「ちっちゃいけど、安全運転だから安心して乗ってね。」  おちゃらけて言う七瀬さんにどうぞと言われ、車の助手席にお邪魔した。    七瀬さんが乗り込むと、思いの外近い距離に緊張する。俺はシートベルトをぎゅっと握りしめて車が動くのを待った。食堂で2人きりの時もそんなに緊張していなかったのに、何故だか今日は気持ちが(せわ)しなく動く。そういえば昨日もいつもと違うように七瀬さんを感じた。なんでだろう。あ、丸一日一緒なのが初めてだからかな。長くても1時間ぐらいしか一緒にいたことないから。まあ、初めて遠くに出かけるから変に緊張してるんだろう。 頭の中で思案していると発進した車の中からテレビで聴いたことのある曲が流れる。 「この曲って…」 「あ、曲そのまんまだった。これ70年代の懐メロ集なんだ。聞いたことないでしょ?」 「あ、いえ、テレビで前に聞いたことあります。」  確か懐メロ特集か何かだった。随分前に見た気がするが、昔の曲は不思議と耳に残りやすいので覚えていたのだろう。 車がゆっくりと動き出す。安全運転と言っていたように、無理なハンドル操作もなく安心して乗れる。 「20代でも知ってるのか。まぁ俺も70年代は生まれてないけど、懐メロ好きで70〜80年代は良く聴くんだよね。」 「えっと…、特に好きな曲とかってあるんですか?」 会話を繋げようとあれこれ考えて言葉を出す。なかなか緊張は解けずに、手は握りしめたままだが、七瀬さんがたくさん話してくれるので気まずい雰囲気にはならずに済んでいる。 「好きな曲?んー色々聴くけど…あ。松日聖子ちゃんの歌歌えるよ。聖子ちゃん知ってる?」 「はい。名前は聞いたことあります。歌は…聴いたらわかるかも。七瀬さん、女性の歌歌えるんですか?」 「歌えるよ。聴く?」 「えっ。えーと…聴きたいです。」 俺は歌は上手いと言えないので人前で歌うのは苦手だ。さらりと歌うと提案できる七瀬さんに驚く。 「おっけ。美声に聴き入っちゃうかもね。」  すると七瀬さんはカーナビの画面の音楽を操作した。曲を選ぶと何となく聴いたことある音楽が流れてくる。  曲と共に七瀬さんが歌い始めると、横から聴こえてくる裏声に俺は瞠目した。七瀬さんは運転しながら時々俺に振りつきで目線を流す。よく知らない歌だったけど、フリのキレや予想以上に上手い歌声と、いつものしっかりとしている七瀬さんとは思えないおちゃらけぶりに、目が合う度俺は吹き出してしまった。しかしせっかく歌ってくれてるのでちゃんと聴かなくちゃと思い、笑いを堪えて涙目になる。 「どう?上手いでしょ〜。」  一番が終わり、七瀬さんが細く微笑んだ。俺は堪えていた笑いを落ち着くまで吐き出し、目に溜まった涙をぬぐった。 「凄いですね!裏声もですけどフリのキレがびしっとしてて。」  俺はいつの間にか握りしめていたシートベルトを離して、笑顔で七瀬さんに話しかける。 七瀬さんは俺を見てホッとした表情をした。 「俺のカラオケのネタだからね。凄いでしょ。」 「ネタじゃなくて本気で歌ったらめっちゃうまそうですね。気になります。」 「この流れはもう一曲歌う流れだなー。じゃあ俺の十八番を歌わせてもらおうかな。」 「えっ是非!」  俺は最初に感じていた緊張が自然となくなくなる。 いっぱいお互いに話して新たにわかったことがあった。七瀬さんの誕生日が5月10日であること、好きな食べ物はチョコレートケーキ。作ると匂いで食べる気がなくなるから、作ったりせずに買っていること。また関君の影響でお笑いに詳しい事を話してくれた。七瀬さんの知らない一面を知ることができて、俺は嬉しくなった。 俺の事もいつくか話した。誕生日が2月17日であること、好きな食べ物は親子丼であること、先輩に言われたので2日かけて部屋掃除をしてゴミ袋4つ分のゴミが出たことなど色々と話した。 「…先輩って元いた会社の人?」   「はい、そうです。前話したことのある、俺を助けてくれた先輩なんです。この前のバイトの助っ人で偶然会って、その後飲みに行ったんですけど、潰れた俺を家まで送ってくれて。」 恥ずかしいので、詳しくは言わずに黙ってしまったためか、会話が途切れて車内に音楽だけが流れる。 「そっかあ。いい先輩だね。」 「はい。また今度飲みに行こうってなってます。」 その場の雰囲気に違和感を覚えるが、次の話題に移ると違和感はなりを潜めた。 約1時間の車の旅はあっという間に過ぎていった。      

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