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第41話
「お、もう6時だね。お腹空いてる?」
テレビ画面の左端には6時03分の文字が表示されている。
「ん〜…、お酒とおつまみでそんなには減ってないです。」
「おっけー。じゃあ軽めのにしようか。ナポリタンでもいい?」
「やったー!俺も何か、手伝えることありますか?」
「手伝ってくれるの?でもお酒2本空けてるけど酔ってない?」
「酔ってないですよー。とても楽しいです。」
ふふふと笑って台所に立つ七瀬さんのところに行く。少しふわふわはするが、よろけずに歩けるし、以前先輩と飲んでいた時よりもお酒は少なめなので、まだ悪酔いはしていない。
「でも顔の筋肉はゆるゆるになっちゃって…。」
「ゆるゆるですか?」
自分の顔を触ってみるがよくわからない。
「飲んだ状態で包丁は怖いから…、麺茹でるのと、炒めるのしてもらおうかな。」
「はいっ、頑張ります!」
俺がコンロの前で待機していると、七瀬さんは手際よくピーマンや玉ねぎ、ソーセージを切って、ケチャップなどの調味料を使ってソースを作った。俺は指示通り、お湯を沸かして塩を入れてパスタを茹で、渡された材料をフライパンで炒めた。ソースが麺と絡み合い、美味しそうなナポリタンが出来る。
「おお〜すごいっ。すごく美味しそう。」
「だね。温かいうちに食べよう。」
ナポリタンがお皿に綺麗に盛り付けられており、盛り付け方1つであまり減っていなかったお腹でも、食欲を掻き立てられる。腰を下ろすと、つけっぱなしのテレビでは芸能ニュースがあっていた。
「「いただきます。」」
手を合わせた後、口に含む。甘めのトマトソースが口に広がり、噛むと野菜の甘みとソーセージの脂が混じり合う。柔らかめに茹でてある麺がよくソースと絡み合っている。
「美味しいっ。」
「よかった。」
七瀬さんちでこうやって並んで食べていると思うと、食堂で食べるよりも嬉しい。
「風間君の美味しそうに食べる顔いいね。」
「えっ、だって本当に美味しいんですっ。」
「そっか。嬉しいね。」
食事に集中すると、カチャ、とフォークと皿が当たる音とテレビの音が鳴る。テレビ画面にはお笑い芸人と女優の結婚報告があっている。
「あ。これ、昼間もあったやつだ。」
「結婚報告か。どっちもよくテレビで見るし、注目されてるんだろうね。」
「へぇ〜…。」
芸能は興味が薄いので、確かに見たことのある顔だが、名前を見てもピンとはこなかった。食べながら見ていると、1つ聞きたいことが浮かぶ。
「そういえば、七瀬さんって恋人いないんですか?」
七瀬さんと恋愛について話す機会がなかった。一人暮らしなので結婚はしていなさそうだが、恋人がいたりするのだろうか。ナポリタンをフォークに巻きつけ、口に運ぶ。
「恋人?いないよ。」
「いないんですか。」
「いたら風間君と毎週火曜日出かけようとか言わないでしょ。」
「あ、そうですね。」
好奇心で聞いたが、恋人がいないと聞いて内心ホッとする。
「でも七瀬さんすぐ恋人出来そうですね。かっこいいし、料理出来るし、手先器用だし、ステンドグラスも作れるし、話も上手いし、歌も上手いし、運転も丁寧だし…いっぱい良いところありすぎですよっ。」
沢山の良いところが出てきて、七瀬さんの恋人になれる人は幸せだろうなと思う。でも七瀬さんが、恋人と並んで楽しそうにしている姿をふと想像してみると、もやっと嫌な感情が湧き出てきた。
(あれ…?またもやもやする……)
「くく、すごい饒舌……っ。いっぱい言ってくれてありがと。まあ俺は好きな人が振り向いてくれたら、すぐにでも恋人になりたいんだけどね。」
「えっ」
俺は食べる手を止めて、隣の七瀬さんに目線を向ける。
「七瀬さんって好きな人いるんですか?」
「…うん。いるよ。」
「そう…なんですか。」
恋人と歩く七瀬さん……、さっき想像だけだったのが、現実になるかもしれないのか。
恋人が出来たら先週行ったステンドグラスにも一緒に行ったり、お笑い見て一緒に笑ったりするのだろうか。なな食堂や七瀬さんちで美味しいご飯をこうやって食べるのだろうか。
…………何だろう。胸が痛い。
俺は七瀬さんと休日に会うようになっても、七瀬さんの交友関係は関君と工房の浅田さんぐらいしか知らない。女性の知り合いは聞いたことがないので、俺の知らない人なのだろう。お酒によるふわふわとした心地と、ズキズキと痛む胸に、二日酔いのような気持ち悪さを感じながらも、知りたいという欲求が大きくなっていく。
「…どんな人なんですか?」
「んー……えっとね…。素直で、表情豊かで、色々と辛いことがあっても、一生懸命頑張ってる子かな。」
「そうなんですか。」
にこっと笑った七瀬さんの顔をみると、いつもと違う感情がせり上がってくる。
笑ってる顔好きなのに、………今は笑って欲しくない。
「……嫌だな。」
俺はぽつりと呟いてしまった。お酒によって緩くなった口が思わず言葉を発してしまう。
「…何が嫌なの?」
真横にいる七瀬さんの耳には届いたようで、七瀬さんも食べるのを止めて、心配そうな顔で俺の方に意識を向けてくれる。
今まで俺が変な事を言っても、全て受け入れてくれていた七瀬さん。今も心配そうな顔で俺を気にかけてくれている。 何を言っても受け入れてくれるだろうという安心と、お酒による判断力の低下もあり、シラフの状態で同じ話題になっていたら多分言わなかったであろう言葉が、心の内から流れるように出ていく。
「七瀬さんに、恋人ができるの…。」
七瀬さんが少し目を見開き、俺を見つめる。でもその目には怒りや憤りなどの負の感情は感じなかった。
「…何で、俺に恋人が出来るのが嫌なの?」
「…なんか、七瀬さんが、恋人いるの想像すると、もやもやと嫌な気持ちになるからです。」
「嫌な気持ちになるの?」
「…はい。」
「そうなんだ。」
七瀬さんにひどいとこ言ってるのに、相槌をしてくれる七瀬さんの口調はやっぱり優しくて、続けて思いを口にしていく。
「……なんか、今だけじゃなくて、七瀬さん見てたら、最近もやもやする事が多くって。もやもやだけじゃなくて、変に緊張もするし、ドキドキもするし。」
七瀬さんがぐっと何かを我慢するように身体に力が入っているのがわかる。でも威圧感はなく、俺から目を逸らさずにずっと見てくれている。
「でも一緒にいるとすごく楽しいし、嬉しいし、安心もするんです。だからもし恋人が出来たらその時間が減っちゃうから嫌だな…。」
七瀬さんは何も言わなかった。何かを堪えるような表情を見て、ふわふわとした思考の中、言いすぎたんだと後悔する。
「あ、えっと。すごくわがままな事を口にして、七瀬さん困らせてしまってごめんなさい!俺との時間を優先してほしいなんて、友人にもなれていない俺がいうことじゃないですねっ。」
俺が呟くと七瀬さんの手が俺の方に伸びてきて、ゆっくりと肩の方に回される。
「え……」
部屋を満たしていた爽やかな香りが濃くなり、俺を包み込む。
服越しに感じる人肌と力強さと胸板の硬さ。
「風間君……」
さらに耳元で囁く声に、俺の神経は全て七瀬さんに集中し、ずっとつけてあるはずのテレビの音は俺の耳には届かなくなった。
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