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第42話

「七瀬さん…っ?」  発した声は少し震えた。顔にぐっと熱が集まり、耳の奥で鼓動が大きく響く。  ふうーっと長く吐き出される息が俺の首元をなぞり、ぞわりと身体に甘い疼きを覚えた。   「襲ってしまいそうだから….、ちょっと待ってね。」   「え……っ、襲う……?」    どういうことだろうか。何か襲ってくるのだろうか。  よくわかっていないまま、さらにぎゅっと抱きしめられている力が強くなり、身体の密着度が上がった。呼吸に合わせて上下する硬い胸板が七瀬さんに抱きしめられている事を強く意識させる。 「風間君、こうやって俺から抱きしめられるの嫌……?」  お笑いの時にも声は近かったが、今の吐息混じりの声はさらに艶っぽく、耳に響き、顔が熱くなる。 「…嫌じゃないけど……、き、緊張してますっ…。」  先程から忙しなく動く自分の心臓の音が騒がしい。 「そっか。」 俺は緊張で身体を固く強張らせていたが、抱きしめられながらゆっくりと背中を撫でられると、七瀬さんに身体を預けるように少しずつ力が抜けていく。でも鼓動はドキドキと高鳴ったままで落ち着かない。どうしてこうやって抱きしめられているんだろうと、漠然とした疑問が頭に浮かぶ。 「俺ね、」 七瀬さんの話し方は優しく耳に響くが、少し固さを含んでいた。 「風間君が、好きだよ。」    抱きしめられているので、七瀬さんの顔は見えなかったが、発せられた言葉は確かに俺の耳に届いた。 (俺のことが好き……?) こうやって抱きしめられながら、好きだと言われるとまるで告白のように感じる。でも俺は男だし、それは成り立たない。 友人として俺のことが好きと言ってくれているのだろうか?じゃあ何で抱き合ってるんだろう?  答えが出ず、ぐるぐると考えてしまい俺は言葉が出てこなかった。七瀬さんはそんな俺を見兼ねてか、顔を少し離して俺の顔を見つめる。眉毛が下がり、悲しいような顔をしていた。 「俺ね、ゲイなんだ。」 「………ゲイ?」 「うん。恋愛対象が男。女の人は好きになれない。」 「え…、あ……。」  七瀬さんの恋人になるのは女性だと思い込んでいたので、男の俺を好きだと告白されても、意味がわからなかった。 けれど、ゲイと聞いて、俺は先程の違和感が消え、答えが繋がる。 「そうなんですか……。」  少しずつ、鈍い思考で理解していく。 「………気持ち悪い?」 「え?」 「風間君ノンケだよね?俺がゲイって聞いて、今こうやって抱きしめられているの気持ち悪いって感じた?」  前半の言葉の意味がよくわからなかったが、後半は理解できた。 「いえ、気持ち悪くないです。」 こうやって抱きしめられながら話しても全く嫌悪感はない。 「そう……よかった。」    七瀬さんはそう呟くと、俺の肩に頭を乗せて、ふぅと息を吐き静かになる。俺はその間どうしていいか分からなかったが、所在なさげだった自分の両手をそっと七瀬さんの腰に手を添えた。  七瀬さんがそれに気づき、手を包み込むように指の長い手が被さってくる。指先が触れ、するりと撫でられるように触れると、敏感になったようにぴくついてしまう。 「あの……ノンケってなんですか?」 少し早い鼓動を自覚しながら、俺はよくわからなかった言葉を質問した。 「そっか…。ノンケって言われてもわからないか……。異性が恋愛対象の事。風間君は男だから女の人が好きでしょ…?」 「え…あ、……はい。」  過去を遡ると、彼女は1人いた。大学の時に同じ学部の女の子に告白されて、3ヶ月付き合った。彼女とはキスはしたけれど、そこから先はどうしたらいいかわからなかったので、デートすることを繰り返していたら、つまらないと振られてしまった。俺が好きだと思ったのは今まで女性だったし、付き合ってた彼女の事を好きかと聞かれたら多分好きだった。今まで男性を恋愛対象として考えたことはなかったので恋愛対象は女性だろう。 「でも!え、えっと……」 俺のことを好きだと言ってくれた七瀬さんに向かって恋愛対象が女性だと言ってしまい、傷つけてしまったのではないかと内心焦りを覚えた。何かを続けて話した方がいいと思い、言葉を考えるが、戸惑いや、困惑、衝撃……色んな感情が混ざり合ってうまく出てこない。    七瀬さんがゆっくりと顔を上げる。表情は愁いを含む笑みだった。やっぱり傷つけてしまったんだと胸が痛む。 「風間君は今、恋人いる?」 「いえっ、いません…っ」 「よかった。」 触れ合っている手が熱く感じる。 「…俺ね、さっきも少し言ったけど、風間君が辛い時も前を向いて頑張ろうとしているところとか、思ってる事が顔に出るところとか、美味しそうな顔をしてご飯食べるところとか、他にもたくさん好きなことろがあるよ。…これからも風間君にこうやって触ったり、抱きしめたり、キスしたいと思ってる。風間君さえよければ付き合いたいんだ。」  「あ……え、…えっと…」  好きとただ告白された時よりも、具体的に好きなところ、どうしたいかを言われ、ドキドキと胸が高鳴る。 最近七瀬さんに対して、ドキドキしたり、もやもやしたりするのは俺も好きだからだろうか? でも七瀬さんを好きと言うことは、俺は男の人でも恋愛対象になるのだろうか? 今まで男の人を好きだと思ったこともないのに? あれ…… なんだ? よくわからなくなってきた……。 でも言葉にしないと。七瀬さんが好きって言ってくれているんだから。 好きですって言ったらいいよね…? 七瀬さんのことは本当に好き。俺の好きなところ、こんなに言ってくれた人は初めてだし、こんなに助けられたのも初めて。 でもそれは恋愛対象として本当に好きなのだろうか? 尊敬として憧れていると思っていたのに…? 七瀬さんの告白、ゲイだと言うこと、自分の七瀬さんに対する感情の答え、告白された今の自分の気持ち。 宇宙空間を漂う小惑星のように、ふわふわと沢山浮いたままで、うまくまとまらない。 頭の中は忙しないが、七瀬さんに抱きしめられている俺は言葉を発さず沈黙してたようで、「困らせてごめんね。」という七瀬さんの声によってハッと思考の海から帰ってくる。 「あ、いえ!そんな…困ってないです!ごめんなさい、何か頭の中が整理出来なくて……」 「うん。いっぱい考えてくれてるね。ありがとう。」 すると背中をとんとん、とゆっくり叩いてくれる。リズムが心地いい。 「風間君、どう答えていいかわからないのかな?」 「………はい。」 お酒のせいだろうか。考えても考えてもさっきから答えが先に進まない。 「じゃあ……俺話すから、答えられそうな時だけ、答えて?」 「あ、…はい。…わかりました。」 七瀬さんはまた俺の肩に顔を乗せて、目線が合わないようになる。 「俺の気持ち聞いて嫌悪感は?」 「…ないです。びっくりして、よくわからないけど…。」 「よかった。今まで男の人からこうやって告白されたことある?」 「い、いえ、七瀬さんが初めて…」 「そっか。同性に告白されるから驚くよね。…本当はね、風間君に俺の気持ちは伝えないつもりだったんだ。慕ってくれているのすごくわかるし。でも、風間君が俺に見せる表情とか言葉とかが可愛くて…、まぁ遅かれ早かれ言うことになってたと思う。」 「………」 顔が熱くなってくる。こんなに思ってくれているのがすごく嬉しい。 「……俺、これからもさ、火曜日風間君と色んなところ行きたいんだ。」 「…はい。それは、俺も七瀬さんと行きたいです。」 「ありがと。じゃあ……、これから一緒にいる時ね、俺の事を意識してほしい。」 「意識………?」 「…うん。恋人になれるかどうか。俺なりに風間君にアピールすると思う。嫌がることはしないけど、もし嫌な時は言ってほしい。無理強いはしないから。」 「……はい。」 「よかった。」 少しの沈黙の後、「風間君、後どれぐらい抱きついてていい?」とその場の雰囲気が変わるような、明るい声のトーンで七瀬さんが言ってきた。 「え、どれぐらい…?」 「俺的には、ずっごく気持ちがいいから、このまま朝までコースでもいいんだけど、どう?」 「朝までコース…?!」 急に明るくなった雰囲気を感じ、俺の声も大きくなる。 「くく、冗談だよ。まさか、告白終わるまで、抱きしめさせてくれるとは思わなかったから大満足です。」 すると、七瀬さんの身体がぱっと離れていく。「ナポリタン冷えちゃったね。あとちょっと食べちゃおっか。」と七瀬さんの明るい声が耳に届く。触れ合っていたところは熱がこもっており、クーラーの風がなびくと、ひんやりと汗が蒸発するのを感じる。俺はその冷たさに寂しさを教えながら、七瀬さんが横で食べているのを真似、胸の高鳴りの余韻を感じながらも、残りのナポリタンを口に含んだ。        

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