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第58話

 さわっ。    顔に何かが触れる感触がして、微睡んでいた意識が徐々にはっきりしていく。  ゆっくり目を開けると、七瀬さんと目がぱっちりと合った。つり気味の目が放射線状に細くなる。   「おはよう。風間君。」 「おはよう…ございます。」    顔に触れていたのは俺が眠る時に握っていた温かい手。窓から日の光も入って、七瀬さんがお日様みたいだ。寝顔をまじまじと見られていたようで、羞恥がジワジワと襲ってくる。   「お顔ゆでダコになっちゃったね。」    ちゅ、と優しいキスをされる。それでもっと顔が赤くなった。   「朝ごはん作ろうと思うけど、起きれる?」 「はい…、起きれます。」    キッチンに向かうと、材料が切ってあったりと下準備がされていた。 「すみません、準備ありがとうございます。」 「いいんだよ。風間君のメインはお味噌汁作りだからね。」 いつも食堂でも七瀬さんの家に行ったときも、七瀬さんひとりで料理していることろを見ていたので、こうやって並ぶのは不思議な気分だ。 「じゃあ鍋にお椀で2杯分水入れて、昆布を入れてから火をかけるよ。」  七瀬さんは俺に味噌汁の作り方を教えながら、魚を焼いて、出し巻き卵を作っていた。手際の良さは流石料理人だ。ただの溶き卵からふわふわの出し巻き卵が出来る過程はまるで手品のような華麗さがある。    魚の焼けた匂いと出汁の匂い。鰹節を入れた時、鰹節がこんないい匂いを出すなんてびっくりした。いい匂いは食欲を刺激して、クゥーと空腹を主張する。   「お腹減ったね、早速食べようか。」 「はいっ。」    2人でローテーブルに並べていく。七瀬さんがお新香と金平ごぼうを冷蔵庫から取り出して一緒に並べる。   「余り物で良かったら食べて。」 「わあ…っ。料亭の朝ごはん見たいです。」  つやつやの白米、程よい焼き加減のサバの塩焼き、ふわふわの出し巻き卵、味の染みた金平ごぼう、塩気が少なめのお新香。もう目の前は眼福だ。   「いただきますっ。」 「いただきます。」    見た目だけではなく味も最高で、俺は全てを平らげ、お腹も心も満腹になった。      ✳︎ ✳︎ ✳︎   「ではお先に失礼します。お疲れ様でした。」 「お疲れ様でーす。」    今日も何事もなく無事にバイトを終えることができた。朝は大分冷えるようになってきて、朝日が登るのが遅くなっていくにつれ、冬が近づいてきているんだなと空を見上げる。晴れているが外は薄ら暗い。  徒歩で自宅へと足を向ける。車も人もまばらだが、車や人がいない朝の雰囲気は好きだったりする。ひんやりとした空気のおかげで澄んでいるように感じる。    ふと少し離れた後の方から、微かに足音が聞こえている。駅に向かう人とはいつも数人はすれ違うが、駅から離れて歩く俺と同じ道になる人は珍しいなと思いながらゆっくりと歩く。    後の足音の人は道沿いを見たりしているのか、時々足音が止まったり動いたりと不規則な動きをしているようだったが、俺が家に帰り着く少し前に足音は途絶えた。    (近くに住んでる人だったんだなぁ。)    俺は部屋の鍵を開け、シャワーをパパッと浴びた後、コンビニで買った梅おにぎりを1個食べて少し時間を置いて、七瀬さんにメッセージを送った後、布団に横になり身体を休めた。

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