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第61話

「風間さん大丈夫っすか?夜また夜勤でしょ?帰ったらとりあえず寝て下さいね。」 「うん……。ごめんね、迷惑かけて。」 「いいですよ!気にしないで下さい。じゃあ俺も学校あるんで帰ったら即寝ますよ〜。お疲れ様でした。」 「うん。ありがとう。お疲れ様。」 本間君の背中を見ながら気を使わせてしまった事を申し訳なく思い、俺も着替えて荷物を持って外に出た。空はどんよりと曇っており、雨は降っていないが、濃い灰色の雲は今にも雨を降ってきそうな雰囲気があった。 バイト中も監視アプリが気になってしまい、お客さんに言われた煙草の番号を間違えたり、清掃手順を逆にしてしまい、逆に床を汚してしまったりといつもはしないミスをしてしまい落ちこんだ。気持ちも空のようにどんよりしていて、本当はトボトボとゆっくり歩いて帰りたかったが、雨に降られるのは嫌で自分に喝を入れながら早足で帰路する。 バイト中もぐるぐると考えてみたけれど、信じたい気持ちと真実が自分ののぞむものじゃなかった時の怖さがせめぎ合い、答えが出なかった。 今日は金曜日。七瀬さんと会う日にはまだ時間がある。でもよくよく考えるとあと3日しかなく、その限られた時間で気持ちを整理できる自信が出てこない。 「どうしよう……。」 七瀬さんに会った時に今まで通りの接し方が出来るかな。疑って、変な態度を取ってしまう気もしてそんな自分が嫌で自己嫌悪してしまう。 自分で答えが出ないのなら誰かに相談しようかな……。兄は……、男の人であること伏せたら相談できるかもしれない。いつも頼りになって、俺に親身だ。……でも監視アプリ入れてるような人と付き合ってるのかと相談の前に詰問されそうなので、出来そうにないなと考えを改める。 「秋鷹なら相談乗ってくれるかな……。」 引っ越し業者で働く秋鷹は休みが不定期なので確認しないといつが休みかわからない。月曜日までに休みがあればいいなと思いながら、話しを聞いてくれる時間を作ってもらえるよう、帰ったらメッセージを送ってみようと思案する。 歩きながら色々と考えていると、いつの間にか自分の家の近くまで来ていた。 ざり。 少し後ろの方から道路と靴が擦れる音が聞こえ、その後も微かに足音が聞こえた。 (……最近よく一緒になる人がいるなぁ…。) そうやって気にはとめたが、家の前のゴミ置場にいつくかゴミがあるのを見て、今日はゴミの日だったことを思い出し、足音への注意は消えてしまった。 (あ、そうだった。忘れないうちにゴミ出しておかなくちゃ。七瀬さんが俺んちに来る可能性もあるから、綺麗にしておかないと。) さっき七瀬さんと会うのが気まずいと感じでいたのに、自然と会う方向に気持ちが向いてしまう。そんな自分に苦笑いしながら部屋に入る。 荷物を床に置いた後、机の上のゴミや排水溝のゴミをゴミ袋に入れて口を縛り、サンダルを履いてもう一度外に出た。 「あ。」 「えっ!」 こんな早朝にすぐ近くで声がしたことにびっくりして、思わず大きめの声が出てしまった。大袈裟な反応をしてしまった自分が恥ずかしくて、照れながらゆっくりと顔を上げ、声がした方向に向けて伏し目がちに大きな声を出してしまったことを謝った。 「すみません。俺、びっくりしちゃって大きな声を…….…。」 そう言いながら、俺の視界が目の前の人物を捉えた時、思わずそのまま固まってしまった。 「…………」 「…………」 目線が合っているはずなのに、お互いに何も言葉を発さずに沈黙が流れる。 切り出してきたのは向こうだった。 「……おはようございます。」 ぎこちなさそうに笑った顔を見た瞬間、今までに感じたことのないぐらいの悪寒が身体を走った。 「お、………おはようございます。」 俺は何とか声を絞り出し声として発する。 「ふふ……。嬉しいなぁ……。風間君が仕事の時は話しかけちゃダメだって言ってたから、話しかけなかったけど、ここはもう家だからいいよね…?僕、こうやって話せてすごく嬉しい…。メールのやり取りも好きだけど……。」 「…………。」 何を言っているんだろう。俺は仕事の時に話しかけないでなんて言ったことはないし、この人とはメールのやり取りもしてない。また誰かと間違えてるんじゃないだろうか。でもさっき風間君って呼んでるのを聞いたばかりだ。しかも勤務の日はいつもコンビニで顔を合わせているのに、人間違いをすることもあるのだろうか? 混乱して言葉が出てこず、俺は名前の知らない常連さんを見つめる。俺の家の前にいるなんて信じられなくて、何で家の前にいるのか、俺の家を知っているのか訳がわからなかった。現実逃避したくて見たくないけれど目を離すのも怖くてジッと目を合わせる。 「あ……。ごめん。本当は会うつもりはなくて家に無事に帰るの確認したら、すぐ帰るつもりだったんだ。今日具合悪そうだったし、大丈夫かなって……。でももう少し近くで見ておきたいなって思ってたら風間君が外に出てきてくれたんだ。」 ゴミを出そうとしていた数十秒前の自分に後悔した。親しそうに話しかけてくる雰囲気が逆に恐怖を煽る。 「あ………。」 こわい。 ゴミ袋をぎゅっと指が白くなるぐらい強く握る。それでも手の震えは治らずに、その震えは全身に広がっていく。 「仕事で疲れてるよね。いつもお疲れ様…。だからゆっくり休んで。明日も会えるの楽しみにしてるから……。あ!もちろん話しかけないよ。約束だからね。」 こわいこわいこわい。 随分前に話しかけた後、話してこなかったのは話しかけないでと言われたから?で、でも、俺、一言も言ってない。言ったかもしれないと思って何度も思い出そうとするけれど、そんな記憶は思い当たらない。どうなってるんだろう?ドッペルゲンガーでもいたのか? 「……風間君……?」 ざり。 俺の反応がないことに痺れを切らしたのか、道路と靴が擦れる音を出して、ズイ…と一歩俺に近づいてきた。 こわいこわいこわいこわいこわい。 「だっ…、大丈夫です!じゃあま、また…!」 脈絡がない返事をしてしまっている事には俺は気付かず、何とか出てきた声は震えていた。変に思われないように俺はゆっくりドアを閉める。 「あっ!風間君!」 「…………っひ」 閉めようとしたドアから、にゅっと指が伸びてきて扉が閉まるのを阻止されてしまう。 時間にして数秒の出来事なのに、まるでホラー映画のワンシーンを引き延ばしたみたいにすごくゆっくりに見えて、でもゆっくりに見えるだけで、拒むような行動は全く出来ず、ただ手を凝視するしか出来ない。 「ゴミ……捨てなくていいの?」 手に持っていたゴミ袋が一気に重たく感じ、その存在を俺にアピールしてくる。 俺からは顔は見えず、相手の手しか見えない。 だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ……。 必死に言い聞かせて、俺は扉越しに言葉を出していく。 「………ゴ、ゴミを……入れ忘れたのがあったのを、…思い出して……。」 「あ……そうなんだ。引き止めてごめんね。」 スッと消えていく手を確認して、俺は緊張しながらゆっくり、ゆっくりと扉が閉まるのを待ち、ガチャンと言う音を聞いて、すぐに鍵とチェーンをかけた。 茫然としながら扉を見つめていると、ガタガタと何故か身体揺れていた。するとガクッと足の力が抜け、玄関に尻餅をついてしまう。 「は……はっ……。」 揺れは足が震えてしまったせいでなったいたようだった。 扉を閉めて鍵もかけているが、どうにかして中に入ってくるかもしれないと有り得もしない想像で扉から目が離せなかった。 ……どれぐらい経っただろう。時間が過ぎて何も起きなかったので、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。 ゆっくりと腰を上げて、おそるおそる扉のスコープから外の様子を見る。 丸く形どられた狭い視界の中では人は見えずに、ホッと息を吐く。 足元にゴミ袋が当たり、そうだ、ゴミを出さないとと思い、気持ちはゴミを出そうとしたが、身体は言う事を聞かず外へ動いていかない。 「…………っ」 ゴミ袋を持っていた手を離し、俺はうまく動いてくれない身体を動かして鞄に入っていた携帯を取り出して電話画面を開く。 プルルルル……… 『もしもし?』 「あ………、秋、鷹……っ」 声を聞いた瞬間ホッと力が抜け、俺は目からポロリと涙が出てきてしまった。

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