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第62話

ドアの外から微かに車の音が聞こえてきた。ドアを見つめていると携帯が鳴り、慌てて出る。 「もしもし…っ」 『家の前着いた。周り誰もいねぇから、貴重品持って、戸締りしっかり確認したらこっち来い。』 「……っ、うん。わかった。」 再度緩みそうになる涙腺をグッと力を入れて我慢し、窓の施錠を確認する。玄関に置いてあったゴミを持って、扉を開けると目の前に黒の軽自動車に乗っている秋鷹が見えた。扉の鍵を掛けた後もドアノブを回して、鍵がかかっているかしっかり確認する。 「秋鷹……、ごめんっ、急に連絡して、来てもらって……。」 「気にすんな。いいから早く乗れ。」 「うん、ありがとう…っ。」 ゴミ置場にゴミ袋を置いて、助手席に回りこんで秋鷹の隣に座る。俺がシートベルトをしたのを確認し、秋鷹はアクセルを踏んだ。自分のアパートがどんどん離れていき、視界から消えるとホッと息をついた。 車の中は秋鷹が好きな洋楽が流れていた。洋楽は全く聞かないので誰だかわからないが、優しい女の人の声とリズムに身体の緊張がほぐれてくる。 「キツいならシート倒して横になっていいぞ。」 いつものぶっきらぼうな言い方だけど、気を使ってくれているのがわかる。 「大丈夫…。ありがとう。」 「……とりあえず俺は仕事が5時まであるから。舞衣も仕事で大雅も保育園だから家いないけど、気にしないで適当に過ごしてくれ。」 「え、2人とも仕事?ごめん!来てくれたから、秋鷹仕事休みだと勘違いしてて…。それなら何処かで適当に……。」 「馬鹿言うな。こんな酷い顔した奴ほっとけるか。仕事休みたかったけど、先に休んだ人がいたみたいで、仕事空けれなかったんだ。お前は俺の家で待ってろ。いいな。」 「う…、うん。ありがとう…。」 甘えてしまって申し訳ないと思いながらも、秋鷹がそう言ってくれてよかったと安堵する。 「……詳しい話は帰ってから聞くから。直はとりあえず横になって身体休めろ。俺んちなら絶対来ないから。」 「………うん……。」 嗚咽が止まらず途切れ途切れだったが、今朝の経緯を電話で簡単に説明していた。照れたように俺を見て笑った常連さんの顔がフラッシュバックし、ぶるりと身体が震える。 しばらくすると秋鷹の家に着いた。こんな朝早くからお邪魔して無礼だなと、申し訳なく思いながら中に入ると、既に舞衣さんと大雅君は家にはいなかった。 「秋鷹、俺が1人で居させてもらうのって、舞衣さんの了承は取れてるのかな?」 「言ってる。大丈夫だ。」 「そっか。よかった…。」 秋鷹はその後素早く客用布団と出して、早口で冷蔵庫とか食料庫の中の物は食べていい、適当に過ごしていいからと言って玄関で素早く靴を履く。 ふと玄関の置き時計を見ると08時07分を指していてた。もうバイトを終えて2時間も経過していたことに驚いた。 「あっごめん!仕事の時間が……」 「大丈夫。間に合うから。」 玄関を閉める前に頭に秋鷹の手が伸びてきて優しくポンポンと叩かれた。 「無理すんな。後でな。」 「………うん。ありがと。」 秋鷹が出て行くとバタバタしていた空気が一気にシン……ッと静けさに包まれ、自分の部屋よりも広い空間に心細くなる。動く気になれずしばらく突っ立っていたが、玄関の戸棚に目線を向けると置き時計の隣に家族写真が飾ってあったのに気づいた。前に家にお邪魔させてもらったときにはなかった写真で、3人ともすごくいい笑顔だった。その笑顔を見て、冷たくなっていた心が少し温かさを取り戻す。 ゆっくりと身体を動かして玄関から離れると、リビングにおもちゃがあったり、壁に大雅君の手形や家族写真が飾られていて、俺の一人暮らしの部屋とは違う家族の家だと感じる。 (なんか、実家思い出すな……。) 俺の実家にも兄と俺が昔描いた絵が飾られていたり、家族写真が棚に飾られている。食事の報告義務が終わった後も母と兄からは健康を気遣うメッセージがよく送られてきていた。でも実家には何かとと理由をつけて最近は帰っていなかったので今朝の件で自分の家に帰るのも怖いし、実家に帰りたい気持ちがふわっと出てくる。 (………でも、自分の家に帰らなくてもバイトに行ったら絶対来る……。) その事実にぞわりと悪寒が走る。 今日が金曜日だから後2日バイトがある。その2日間はあの常連さんが、話しかけずにコンビニに数十分滞在してレジに来る……。また今朝の事を思い出だして怖くなるのを、拳をぎゅっと握って頭の中で何度も落ち着けと唱える。 (バイト行きたくない。でも休んだら根津店長に迷惑がかかる…。) 1日なら休んでもいいかもしれないけれど、1日休んだぐらいじゃ多分状況は変わらないだろう。しかもバイトが1人増えたも店長がキツいのは変わっておらず、気軽に休みますとは言いにくい状況だった。そんな状況で常連さんが怖いなんて理由で休む度胸は俺にはない。 監視アプリの事、七瀬さんを疑ってしまっている事、常連さんの事、バイトの事……。 ここ2日間、急に悪い事が重なってきている。解決しようとして沢山考えたが答えは出ず、逃げ出したくなってきた。でもこのまま放っておいたら、もっと状況が悪くなる予感がする。以前も悪い事が起きた時、畳み掛けるように悪い事が重なったのだ。今回もそうなるとは断定は出来ないけれど、いい予感は全くしない。 1つの事だけだったら自分のペースでじっくり考えて、答えを出す事が出来たかもしれない。でも元々同時に作業したり、考えたりすることが苦手な俺にとって今の状況で答えを出す事はすごく難しい事だった。迷惑かけてしまうけど、誰かに頼らないとどうしようもない。そして、秋鷹しか頼れる人がいない……。秋鷹だけ………。 ふと七瀬さんの顔が浮かんできた。 「………七瀬さん。」 ぽつんと呟いた言葉は静かな部屋によく響いて、自分の耳に届く。自分の声は愛しさが含まれていた。 実は秋鷹に助けを求めて電話をかける時、七瀬さんの顔が浮かんでいたのだ。でもそれと同時に監視アプリの事も浮かんでしまい、電話を掛けれなくなってしまった。 (ああ、俺はどうしたらいいんだろう。七瀬さんの事。監視アプリなんて入れるはずがないって思ってるのに。ちゃんと信じたいのに。確認して違うって答えを聞きたい。でも信じてるはずなのに、そうだよって答えを聞きたくないって思ってる…。怖い…。でも七瀬さんが監視アプリ入れてるってなってもそれはすごく俺を好きって事だ。あれ…、監視アプリって悪い事なのかな?監視は好きだからするんだよね。好きな事が不安だから…。不安って事は俺は信用されてないって事になって……。) ピロン。 ぐるぐる考えていたらメッセージの新着を知らせる音が鳴り、携帯を見てみるとタイミングよく七瀬さんからだった。 『バイトお疲れ様。ゆっくり休んでね。俺は今から仕込してきます。』 いつものように俺を気づかう言葉と優しい文面。 「……………うぅ…っ」 画面がぼやけてきて、ポツポツと画面に水滴が落ちていく。何故涙が溢れ出てくるのかわからなかった。七瀬さんの優しい文面にホッとしたのだろうか。七瀬さんが監視アプリを入れたんじゃないかって疑ってる自分が嫌になったんだろうか。俺の不安や恐怖を何も知らない七瀬さんに悲しくなったのだろうか。 頭の中もぐちゃぐちゃで、どうしていいのかわからなくて、俺は携帯を握りしめたまま座り込み、ただただ涙をポロポロと零していた。

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