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第63話
「昨日の夜から何も食べない?そりゃそんな顔色にもなるよ!ご飯すぐ作るからちょっと大雅と遊んでて!」
「は、はいっ!」
舞衣さんと大雅君は5時頃に帰ってきた。俺はあの後、七瀬さんには当たり障りのない文面しか送れず、そんな自分に落ち込んで更にグルグルと悩んで一睡も出来なかった。舞衣さんは俺の顔を見て心配してくれた後、ご飯を食べてないとわかった途端怒られてしまった。舞衣さんに従い、素直にご飯ができるまで大雅君と遊ぶ事にする。
「こんばんは。大雅君。一緒に遊んでいい?」
大雅君は子どもに人気が高い、パンアニメのキャラクターが機関車に乗っているオモチャで遊んでいた。
「パーパっ」
「パパ?」
「パンパっ、テンチャ!」
「え?パンパ?テンチャ?そうなんだ…?」
「ううーー!!」
にこにこで話しかけられたのに、よくわからなくて適当に返事を合わせてしまったらオモチャをバシバシと床に叩きつけて全身で違うと表らされた。
普段子どもと関わらない俺は、大雅君の感情の急激な変化に驚きながらも何とか一緒に遊ぶ。1歳ちょっとで話せるのは数個の単語とたくさんの喃語で、何を言っているのかわからないけれど、笑顔を見せたり、泣いたり、イヤイヤしたりと凄く表情豊かで、俺の頭を占めていた悩みを少しの間忘れる事が出来た。ブロックで電車の形を作ると、大雅君はとても上機嫌で笑ってくれて凄く嬉しくなる。
そうこうして遊んでいるとガチャと玄関から音がして秋鷹が帰ってきた。
「あ、おかえり〜。」
「パパ!」
大雅君がドテドテとお腹を突き出しながら玄関まで歩いていく。
「ん、ただいま。」
大雅君を抱き上げ、秋鷹が入ってきた。
「秋鷹、お疲れ様。布団ありがとね。」
「おう。どうだ?少し休めたか?」
「あ…、うん。ちょっと休めたかな。」
「……本当か?」
「う…、ごめん。寝てないです…。」
「やっぱな。そうかなっては思ったわ。まあいい、とりあえず飯食おう。」
「うん…、ありがと。」
眠れなかった事を見抜かれて、気まずく感じていたら程なくして机の上に料理が並べられた。たっぷりの千切りキャベツに生姜焼きが添えられ、具沢山の豚汁、ほかほかの白米。どれも家庭料理の優しい味つけで心が温まる。
幼児専用の椅子に座っている大雅君はスプーンを持つのが好きらしく、スプーンで白米を食べようとして口に入らずにエプロンにどんどん溜まっている。舞衣さんが「エプロンいっぱい食べてるね〜。」と笑いながら言ってる姿を見て、微笑ましくなった。
「舞衣さん、ご馳走さまでした。」
「お粗末様です。いっぱい食べてくれて良かった。じゃあ秋鷹、大雅の事はいいから風間君の話聞いてあげてね。」
「ああ、ありがと。じゃあ上の空き部屋使うわ。」
「はーい。」
秋鷹が2階へついてこいと言って階段を登り始める。俺は机の上の皿を片付けてくれている舞衣さんに声をかけた。
「舞衣さん、片付けもせずすみません。」
「いいのよ。気にしないで。それより早く悩み楽になったらいいね。前に仕事辞めた時みたいな顔してるよ。秋鷹ぐらいならいつでも貸し出してあげるから。」
「はい……、ありがとうございます。」
そう言ってくれる笑顔が温かくて、俺は深くお辞儀をして気持ちを返した。そして秋鷹の後をついていき、多分将来子ども部屋になるであろう空き部屋に入り、それぞれ床に腰を下ろす。下の方から大雅君と舞衣さんの楽しい声を聞きながら、俺はどこから話そうか思考を巡らせた。
「……直。言いにくいかもしれんけど、話せる範囲で話して。何か助言できるかもしれないし。」
「……うん。わかった。」
秋鷹はなかなか話し始めない俺をジッと待ってくれた。俺はそれに甘えてゆっくりと、ポツリポツリと話し始めた。常連さんの事、バイト先の状態、そして監視アプリの事……。頭の中がごちゃごちゃして話していると更に混乱して、話が全然まとまらなかったけれど、秋鷹は頷きながら、そして時折質問しながら最後まで聞いてくれた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「ん…、大体把握した。」
「…………。」
秋鷹はふぅ、と短く息を吐いて前屈みで聞いてくれていた体勢からぐっと背筋を伸ばす。そして一呼吸おいて話し始めた。
「確認だけど直はさ、誰かに恨みを買うような事した覚えある?」
「え……、恨み……?」
突拍子もなく物騒な単語が聞こえてきて、唖然とする。今回の相談で何か関係があるのだろうか?そんな疑問が出てきたが、秋鷹が俺の返答をじっと待っているのがわかり、答える為に記憶を巡らせた。
「……恨みを買うような事はしてないと思うけど……。でも俺の事嫌いな人は多分いると思う。ハヤナの人とか…。」
ハヤナの社員だったら、悲しいけどほぼ全員俺の事をよくは思っていないだろう。でも仕事辞めてから社員に会ったのは短期バイトでヘルプで入った清掃作業の時だけだ。とは言っても、あの時但馬先輩がバレないようにしてくれてたから実際辞めて会ったのは但馬先輩しかいない。全く会わない元社員の事を恨んだりすることがあるのだろうか。よく会う但馬先輩は個人的に苦手だけど、あんなにいっぱい誘ってくれるし、先輩から嫌われてる事はないと思う。他は考えてみたが心当たりは思いつかない。でも色んなバイト先に行ったり、もしかしたら過去に対応したお客さんから、知らずに恨みを買ったことがあるかもしれない。
「…他は今のところ思いつかないかな。」
「ハヤナの奴か……。確かに可能性は高いな。」
うーん…と顎に手を当てて秋鷹が考えている。そんな秋鷹の様子を見ていると今回の相談に関係があるのかと不安にあった。
「秋鷹…、何でそんな事聞くの?恨みとか怖いんだけど…。今回の相談と関係あるの?」
おずおずと問いかけると秋鷹は眉間に皺を寄せながら話してくる。
「俺な、ストーカーについて思いついたのは3つある。」
「え、…うん。」
「直はストーカーが連絡するって言ってたり、仕事場で話すなって言ってたのに見覚えがないって事だった。だから1つめは直が言ってるように誰かと間違ってるっていう可能性な。」
「う、うん。そうだね。」
「2つめはストーカーがおかしくて、妄想か何かで連絡を取ってると思い込んでる。」
「………そんな事もあるんだ?」
「精神疾患とかだとありえない話じゃないと思う。そして3つめ。誰かが直のフリをして、直を陥れようとしている。」
「………俺を陥れる?」
「ああ。何で直を陥れたいのかわからないけど、故意的に直のフリをして連絡をとって、直の情報を漏洩していた可能性がある。」
「そんな事ってあるの……?」
「わからない。この3つは俺の憶測でしかないし、違うかもしれない。でも合ってるかどうか答え合わせをするにはストーカーと直接話しするしかないと思ってる。」
「え………。」
ゾワリ、と鳥肌が立つ。ストーカー…、常連さんとまた話す…?今朝感じた、あの得体の知れない怖さと再び向き合わなきゃいけないということだろうか。会った時、怖くて震えてしまったのに、俺は普通に話せるんだろうか。思い出すだけで身体が逃げたがり、不安で顔が曇る。
「そんな顔すんな。直1人じゃないから。俺も一緒に話すんだ。」
「え。ほ、本当?」
「本当だ。何されるかわかんねぇのに1人で話させる訳ないだろ。で、直をストーカーしているのをやめるって話し合いで解決出来るならそれで終わり。終わらなかったら警察に相談する。」
「えっ!け、警察…?」
ものすごくおおごとになってる。まさか警察に相談するなんて。
「そこまでしなくてもいいんじゃないかな?実際家に来て話しただけだし…。」
すると秋鷹は盛大に溜息をつけて、呆れた顔で俺を見てくる。
「お前……。今朝あんなに怖がってたのに、なんでそんなに甘っちょろい判断するかな。テレビの何かの特番でストーカー行為はどんどんエスカレートするって言ってたぞ。直、ちゃんと考えてみ?家知られてるって事はストーカーはいつでも訪ねてこれるって事だ。24時間。いつでもだ。直が望んでなくてもだ。」
「うっ…………。」
「エスカレートしたら話すだけでは済まないかもしれない。相手は多分直に好意を持ってるし、しかも男だ。ヒョロヒョロの直なんて、簡単に襲われるぞ。襲われるって意味わかるか?ヤられちまうかもしれないんだぞ?得体のしれない奴に触られるって思うと怖くないか?ストーカーと会うだけで怖い思いしたんだからしっかり考えて早めに対策しないと、これから先キツくなるのは直だ。甘く考えるな。」
「………うん。ごめん。」
「ん、わかればいい。」
今までぐるぐると沢山考えてたけれど、秋鷹が言ってくれたようなとこまで全然考えがつかなかった。秋鷹の話を聞いていると、行為が悪化する前に早めに対応しないといけないんだと思う。
「ということで今日のバイト休め。」
「え…、早く対応した方がいいのはわかったけど、…でも今日一日休んだぐらいじゃ変わらないんじゃない?常連さん毎日来るし、店長も忙しいし…。」
「店長が忙しいのは一旦置いとけ。まずは自分の事だ。」
「うっ、…はい。」
頭を軽くチョップされる。そうだよな。ちゃんと自分の事なんだから自分で考えて解決していかなきゃ。
「そのストーカーは直がバイトしている曜日は多分把握してると思う。実際に『また明日』って言ってたみたいだし。それなのに、休んだとなればどうしたのかと思って、また接触してくるかもしれねぇ。」
「え。じゃあ明日会うの…?」
「いや。物準備しなきゃいけないし、ちょっと厳しいな。準備できたら直の方からいつ会うかバイトの時にメモを渡して、しっかり時間を決めてくれたがいい。俺もずっとは会社休めないし。」
「メモを渡す……。うんわかった。物準備って何を準備するの?」
「ああ、ICレコーダーだ。」
「ICレコーダー?」
「音声録音できるちっちゃい機械。ちゃんと証拠取っておかないと言い逃げされたら嫌だからな。」
「へぇ……秋鷹すごいね……。」
「政治家の汚職事件の時とかニュースでよく出てくるからさ。ストーカーにも証拠として使えるだろうなって思って。」
言われてみると自分も目にした事があったが、それを利用すると考えた事もなかった。先の見通しが立ち、秋鷹に頼ってよかったなと改めて思う。
「でも準備する間にストーカーが接触してくる可能性があるだろ。バイト中に関しては、まず店長にストーカーの事言って夜勤の時にストーカーが来た時は絶対に2人っきりにならないようにしてもらう。元々コンビニの中じゃ話しかけないってストーカーの中では掟があるから大丈夫と思うけど念の為な。そして、直は自分ちには帰らないようにする。」
「え、家帰らないの?俺も帰りたくはないとは思ってたけど…。じゃあ実家から通おうかな…。」
「いや、七瀬さんのところにいていいか聞いてみろ。」
「えっ!七瀬さんち?」
「そうだ。」
気まずくて、メールすら返すのも精一杯なのに、七瀬さんちにお邪魔するなんて難易度が高くて出来る気がしなかった。
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