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第65話 ✳︎

 21時頃に七瀬さんから返信があり、『22時近くになるけど、それでもいいなら風間君の家に行くよ。』ときたが、俺の家には常連さんの事があり落ち着いて話は出来ないと考えて『では、22時に七瀬さんの家に行っていいですか?』と送ると了承の返事が来た。  秋鷹の送っていくという言葉に甘えて七瀬さんの家まで車に乗せてもらう。 「じゃあ頑張れよ。」 「……うん。ありがとう。」  そう言って、秋鷹の車を見送ってから七瀬さんのアパートを見ると、七瀬さんの部屋の小窓から人影が見えた。室内の明かりが逆光になっていて顔は見えないけれど、七瀬さんだろう。秋鷹の車の音に気づいて見に来てくれたのかもしれない。ドキドキする気持ちを深呼吸で整えて、扉の前へ行くと呼び鈴を鳴らす前に扉を開けてくれた。 「な、七瀬さん……っ」 「……うん。こんばんは。」  七瀬さんの顔を見ると更に緊張した。ちゃんと話せるように、気持ちを落ち着かせたはずだがあまり効果はなかったようだ。  部屋の中にお邪魔しようと思ってたが、七瀬さんは玄関から動かずに俺を見ている。 (あれ…?中に入れてくれないのかな?)  どうしたんだろう。元気がないのも気になる。いつもの甘い笑みじゃなく、笑顔が固い。仕事終わりで、無理して会ってほしいと言ったので身体がキツイのかもしれない。 「急に会ってほしいって言ってすみません…。仕事で疲れてますよね。」 「いや、大丈夫だよ。…今日バイトは?」 「あ、今日は七瀬さんと話したくて、急遽休みを貰ったんです。」 「そっか……。」 「………えっと……。」 「……中に入る?」 「あ、はい、お邪魔していいですか…?」 「…うん。」  七瀬さんが中へ招き入れてくれた。でも前に来た時のような雰囲気ではなく、仕方なしに招き入れた感じがして俺は不安になる。何かしただろうか。まだ何も話してないのに、すごく話しづらい雰囲気で、気軽に七瀬さんに声をかけれない。  七瀬さんは俺をソファに座らせた後、隣に座らずにベッドの方へ腰掛けた。いつも隣に座っていてくれてたのに、急に距離を取られたみたいで俺は泣きそうになる。 「…なんで隣じゃないんですか……?」  泣くことを堪えて言ったら声が震えた。七瀬さんはそんな俺にびっくりしたようで、目を見開いている。 「……話って、別れ話じゃないの?」 「え…、別れ話……?」    何でそんな風に思われたのかわからないが誤解を解かないといけないと思ってしっかりと否定する。 「…違います。別れたいなんて思ってないです。何でそんな事言うんですか…?」 「え…、じゃあさっきの車は?」 「さっきの車…?秋鷹の車ですか?さっきまで秋鷹の家にいて、送ってもらったんです。」 「秋鷹君……。風間君の友達か……。」  七瀬さんはハァーと長めの溜息をついた後、俺に頭を下げてきた。 「ごめん。一人で別れ話だと疑って、突っ走ってた。」 「え……そうだったんですか?俺は別れ話しませんよ…?」 「そうみたいだね。急に話がしたいって言われて何か相談かなって思ったんだけど……、風間君の家じゃ駄目だって言われた後に、こんな夜遅く車で送って貰ってたから、別に好きな人が出来たんじゃないかって思ったんだ。」  七瀬さんが誤解していたのは俺の行動のせいだとわかり俺も慌てて謝罪する。 「それは俺が誤解させるような行動をしてしまったからで……、俺の部屋は今朝、常連さんが来てしまって、秋鷹に相談したら帰らない方がいいって言われたので…七瀬さんちに……。すみません…。」 「……ちょっと待って。常連さんが家に来たって言った?」 「あ……、えっと…、はい。だから、七瀬さんに頼った方がいいだろうって事になって……、でもそれなら、七瀬さんに監視の事確認しなくちゃいけなくて、どうしようってなって…。あっ!」 やばい。うっかり監視の事を口にしてしまった。ちゃんと気持ちを整えて聞きたかったのに。何してんだ俺。 「…………風間君。俺、しっかり話聞きたいんだ。よかったら順番に詳しく話してくれる?」 「あ………、はい…。」  七瀬さんは話を聞こうとじっと待ってくれたが、口を滑らせた事でテンパってしまった俺は、逃げたい気持ちが再燃してしまい上手く話せなかった。そんな俺を見かねてか「性急すぎたね。少し落ち着こう」と七瀬さんは一旦空気を変えるために、冷蔵庫からお茶をついできてくれた。 「はい、どうぞ。」 「…ありがとうございます。」 「風間君…、俺は隣に座りたいんだけど、隣でも話せそう?」 「……はい。隣がいいです。」 「よかった。」  七瀬さんは俺の隣へゆっくりと座ってくれると、お風呂上がりのよい匂いがすした。カラカラに乾いていた喉をお茶で潤しながら、どう話したらいいのか考えてると七瀬さんが緊張で固く握りしめていた俺の手を包むように握ってくれる。 「七瀬さん……。」 「隣に座っていいなら、触れても大丈夫かと思って。緊張してると手が冷たくって知ってた?風間君の手、今すごく冷たい。緊張ほぐすには手を温めるといいよ。嫌じゃないなら、触れたままでいい?」 「……はい。ありがとうございます…。」  拳を握っていた力を緩めると、七瀬さんは撫でるように手に触れてくる。その手は俺よりも温かくて体温を分けて貰ってるみたいで、気持ちも温かく解れていく。七瀬さんの顔を見ると、いつもの、甘い顔で微笑んでくれて俺は嬉しくなった。逃げたくなる気持ちを奥底に閉じ込めて、緊張しながらも今日来た目的を七瀬さんに話し始めた。 「七瀬さん……。」 「……うん。何?」 「………七瀬さんは、俺の携帯に……、か、監視アプリを入れましたか…?」  言った。言ってしまった。聞くのが怖くて声が震えてしまう。触れてくれている七瀬さんの手をギュッと握りしめて、顔を見るのが怖くなって下に俯く。どう返答が来ても大丈夫。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。 「監視アプリか……。俺には身に覚えがないよ。」  その反応で監視アプリを入れたのが七瀬さんじゃなかったのが分かり、安堵と共に疑ってしまった罪悪感が襲ってきた。 「よかった…。そうですよね、違いますよね…。そうだとは思ってたんですけど、確信持つまではいかなくて…。すみません疑ってしまって。嫌な思いさせてしまいました。七瀬さんのこと信じようと思ったのに、結局信じれなくて…俺……ごめんなさい。」  俺は七瀬さんに嫌われたくなくて、自分の中から溢れるままに言葉を吐き出し、いっぱい謝った。疑った事を許してくれるか不安だったけど、許してほしくて、俺は夢中で七瀬さんに謝り続ける。 「…間君、風間君!」 「うあっ!……痛いっ!」  頭にゴンッ、と結構な衝撃が来て、ズキズキと痛み始める。顔を上げると七瀬さんの顔が近くにあり、頭突きされたんだと理解する。   「頭突きはごめん。手は風間君が離してくれなくて、声も届いてなかったから強行突破しちゃった。とりあえずちょっと落ち着いて。謝らないで大丈夫だから。それより、俺は風間君の状況をよく理解出来てないんだ。焦らなくていいし、俺に申し訳ないって気持ちは考えなくていいから、ちゃんと聞かせて欲しい。……いい?」 「……っ、はい……。」  七瀬さんも頭突きをしたので痛いはずなのに、真剣な表情で俺を射抜く。俺が落ち着くように手は握ったまま、優しく指で手を撫でてくれていた。俺は1番言いにくかった監視アプリの事を言った後で、その話を聞いても七瀬さんの態度が変わらないことに安心して、続きを話し始めることができた。  監視アプリが俺の携帯に入っていた事、このアプリは俺の携帯を触らないと入れれないから七瀬さんだと疑ってしまった事。そして今朝、以前七瀬さんにも話していた常連さんが俺の後をつけていて、俺の家の前で遭遇してしまった事、常連さんの中で連絡を取り合ってることになってるが俺は身に覚えがない事、そして秋鷹に相談して、七瀬さんと話せと言われた事…。説明をすればするほど七瀬さんの顔がどんどん強張ってくる。 「すみません……、俺の事なのに七瀬さんに迷惑かけて。」 「いや、迷惑なんかじゃない。寧ろ何も話してくれなかったら俺は怒るよ。俺は風間君の恋人だ。蚊帳の外になる方が辛い。」 「七瀬さん……。」  その言葉を聞いて本当に逃げなくてよかったと思った。秋鷹に背中を押してもらったおかげだ。  すると七瀬さんは俺を包み込むように抱き締めてくれる。心地の良い香りと体温に身体の力が抜けていく。 「怖いこと思い出させてごめん。説明してくれてありがとう。」 「いえ…、大丈夫です……。」 「…………」  七瀬さんは黙ったまま、俺を力強く抱きしめてきた。その力強さに胸が高鳴る。俺も抱きしめ返すと七瀬さんが頭を撫でてくれる。俺が怖がってると思ってるのだろうか。確かに話す時も思い出して少しだけ怖くなったけれど、七瀬さんが手を繋いでくれていたので怖さは殆ど無かった。でも抱きしめられるのが心地よくて俺は何も言わずに七瀬さんの胸の鼓動に耳を傾けていた。すると、ポツリと七瀬さんが聞こえるか聞こえないかの小さい声で呟いた。 「…出来れば俺を1番に頼って欲しかった…。」 「……七瀬さん。」  七瀬さんの表情は抱き締められているので見えないけれど、まるで独り言のように呟いた声は憂いを含んでいた。俺が意気地なしだったせいで、七瀬さんが悲しんでる。 「あ、…ごめん。俺、何言ってんだろうな、風間君辛い時に。なんだか……、さっき別れ話されるかもって思ってたからか、不安になってポロっと言っちゃったみたいだ。気にしないで。」 「そんな……。」 七瀬さんは気にしないでって言ったけれど、思わず言ってしまったということは本当の気持ちって事だ。しかも不安にさせた原因は俺…。 「それよりも、常連の人の事とアプリの事話し合おうか。」 「…………。」 七瀬さんはもうさっきの発言は流そうとしてる。これも七瀬さんの優しさだと思う。自分が思ったことには触れずに俺を優先してくれてる。…でもさっき言ってくれたのは七瀬さんの気持ちだ。それを蔑ろにして話を進めるのは違う気がした。 「……七瀬さん。」 「ん?……他に何か伝え忘れてた?話せるなら話してくれる?」 「いえ、そのことじゃなくて……。本当は常連さんと会った後に、秋鷹に相談する前に七瀬さんの顔が浮かんだんです。」 俺が真実と向き合う覚悟がなかったせいで、七瀬さんに嫌な思いをさせてしまった。今まで沢山頼りになって、嬉しい気持ちも沢山くれた人なのに。 「……そうなんだ?そう思ってくれてたんだね。ありがとう。」 俺は少し身体を離して七瀬さんの顔を見た。七瀬さんは優しい顔で微笑んでるけれど、何だろう。しっくりこない。 「…今の俺の言葉で、七瀬さんの不安はなくなりましたか…?」 「うん。ありがとう。大丈夫だよ。」 「…………。」 違うよね?と俺は内心問いかけた。何だか距離を作られてる気がする。優しい物言いだけど、これ以上この会話はしないよっていう雰囲気がある。この話は七瀬さんは嫌なのかな。何で嫌なんだろう。何で俺に話したくないんだ。 (あ……。不安な気持ちを俺に話したくない…?) そう考えると七瀬さんが会話を逸らそうとしているのも納得がいく。七瀬さんは俺が気づかなかっただけで、過去にもこうやって気持ち我慢してたのかもしれない。 「…七瀬さんは我慢してるんですか?」 「え?」 「俺、さっき七瀬さんが大丈夫って言ったの、大丈夫だって感じには聞こえなかったです。俺に我慢してないですか?」 「…………それは、」 七瀬さんの返答が詰まったということは俺の考えたことが当たったのかもしれない。そういえば、俺は七瀬さんに助けてもらってばかりで、辛いとかキツいとかそういう事を聞いたことがなかった。 「七瀬さんは今までも俺に対して何か我慢してましたか?」 「……いや、そんな事ないよ。それよりも風間君の事を…、」 「……嫌です。七瀬さん言って下さい。言われないの嫌です。…隠されてるの悲しいです……。だって我慢させてるの俺のせいですよね?」 「それは……、」 「俺、付き合った経験殆どないんで、至らないところ沢山あると思います。でも七瀬さんと出会ってからすごく楽しくて、嬉しくて…付き合ってからも俺が幸せな気持ちになってるのは、七瀬さんが我慢してくれてるからですか?俺の幸せは我慢してもらってあるんですか?…そんなの嫌です。七瀬さんにも同じように幸せな気持ちになってほしいです…。」 「風間君……。」 俺は感極まってポロポロと涙を流してしまった。朝から泣いてしまって、涙腺も緩くなってるようだ。でも七瀬さんが俺との付き合いで我慢していた事がわかって、すごく悲しい。俺が気づけなかったのが悔しい。 「風間君泣かないで…。」 「うぅ……っ。」 涙を手の甲や指で拭いてくれるが俺は次々と涙が溢れて止まらない。七瀬さんは観念したように心の内を話してくれた。 「………ごめん。風間君が言うように、我慢してた時はあるよ。」 「………っひく、やっぱり……っ」 「俺ね、結構嫉妬深いみたいで。」 「………っふ、……嫉妬?」 「…うん。今までの恋愛は結構淡白だったんだけど、風間君みたいに大事に…、ゆっくり関係を築いていく恋愛は初めてでさ。何か些細な事でヤチモチ焼いてしまってて…。今回も、俺より先に秋鷹君に先に相談してた事に嫌な気持ちになって。元々風間君が俺に相談してくれたのがきっかけで仲良くなったから、俺の中で勝手に風間君の相談役は俺って決めてたみたい。…俺の事で悩んでたら、それは相談出来ないってのはわかってるんだけど…。いい大人がこんな風に思ってダサいね。ごめん、反省します。」 七瀬さんはそう言うと、頭を下げて謝ってきた。 「頭、上げてください…っ。それは、俺が……覚悟がなかった所為で…っ。」 「いや、俺が風間君の立場なら、風間君に相談しないよ。悪くない。」 「……っ、」 そう言ってもらえて安心するが、我慢していた時があったという事は過去にもあったという事だ。 「じゃあ…他に我慢してる事教えて、下さい…。」 「え……、」 「教えて下さい……っ。」 「…………えっと。」 七瀬さんはすごく困った顔をしていたけれど、俺はジッと話してくれるのを待った。待っている間に涙が止まる。我慢してたって、嫉妬してたって言ってくれたなら、もう、全部聞きたい。 「……小さい男だなぁって幻滅させるの嫌なんだけどな。」 「恋人同士が……、続いていくのは嫌な事があったときに一緒にいたいと思えるかです。俺は七瀬さんとこれからも一緒にいたい…。聞いたら幻滅するかもしれないけど……、絶対、一緒にいたい気持ちは変わらないです。」 俺は秋鷹が言っていた言葉を使わせてもらった。今の俺と七瀬さんには必要な言葉だと思ったから。 「………参った。恋愛の先生みたいだね。風間君はすごいな。」 そう言って七瀬さんは眉毛を下げて笑った顔はすごく魅力的だった。俺に軽いキスをする。 「我慢していたことね……、今思いつくのは、俺に一番に頼って欲しい。何でも言って欲しい。あとは……もっとキスしたい。触りたい。エッチしたいかな。」 「………っ!」 エッチしたいと言われて俺は顔に熱が集まってきた。俺から言わないと、エッチな事は先に進まなかったのに七瀬さんもしたいって思ってくれてたんだ。 「でも、今まで、俺から言わないとエッチな事、先に進まなかったじゃないですか…。」 俺は不安に思っていたことを七瀬さんに伝えた。したいと思ってくれてたのに、どうして七瀬さんから先に進めてくれなかったんだろう。 「それは、風間君ノンケだし、AVで見るのと実際ヤるのは別物だからゆっくり進めようとしたんだ。でも風間君の方から言ってきてくれるから……すごく助かった。」 「あ………そうだったんですか。」 七瀬さんはゆっくりしてくれようとしたけど、俺がエッチしたいって急いでたって事…?それ、すごく恥ずかしい気がする。真っ赤になっていると、七瀬さんからキスが降ってきた。軽く唇が触れ合うだけだったけれど、手で髪をかきあげられたり、顔の角度を変えて徐々に深いキスになる。頭を手で固定され、濃厚に舌が絡み合う。俺を求めてくれるような、噛み付くキスをされると身体が歓喜に震えてしまう。 「…ん、……っふぁ」 「俺のこと幻滅した…?」 「……あ、…してません…っ。」 「…よかった。」 「んんっ、……はぁ…っ」 「……俺ね、今すごく風間君に触れたい。」 「え……っんあ!」  服の中にするりと手が入ってきたかと思うと、乳首をギュッと摘まれて俺は声を上げてしまう。 「本当は解決策話し合わないといけないのはわかってる…。でもごめん。エッチな事してもいい…?」 「あっ……」  情欲した目で見つめられ、俺も下腹部が熱くなっていくのを感じた。七瀬さんが俺を求めてくれている。 「はい…。七瀬さん……。好き。好きです…。」 「風間君…好きだ。大好きだよ…。」  離れていくかもしれないという不安がなくなって、今まで知らなかった気持ちも聞けて、前よりももっと七瀬さんを近くに感じた。不安や恐怖などの負の感情を塗りつぶすように、ソファからベッドに移り、お互いに愛を紡ぎながら身体を触れ合った。

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