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第67話 09:38
七瀬さんが仕事に行って、俺は部屋で1人ポツンと残った。昼食まで作って、冷蔵庫に保管していてくれていて、至れり尽くせりな恋人に感謝しかない。家主の七瀬さんがいないと部屋に居るのは落ち着かず、ソファでそわそわとしていたが、少し考えて七瀬さんの匂いに包まれるベッドで横になることにする。布団に包まれながら深呼吸を繰り返すと、肺の中が七瀬さんの香りでいっぱになった。
「んふふふ……」
1人だと思うと変な声を出しても何も言われないので、俺は残り香を思う存分堪能してしまう。七瀬さんの前では絶対引かれるので出来ない背徳感がドキドキする。
プルルルル……
しばらくして机の上に置いていた携帯が鳴った。兄さんが渋々納得していたので、折り返し電話を掛けたのかもしれないと思って手に取ったが、画面には『但馬先輩』からの着信だった。
「はい、もしもし…。」
『おっ、風間か?今大丈夫か?』
「あ、はい。大丈夫です。」
『なら良かった。今、風間1人か?』
「はい、そうですけど。」
『そっか、ならよかった。彼女と本当大丈夫だったか心配になってな。電話したんだ。』
「そうなんですか…。わざわざありがとうございます。先輩は今日仕事休みですか?」
『ああ、単発休みだけどな。彼女には聞いたんだろ?どんな風になったんだ?』
「あ……、えっと、か、彼女じゃなかったんで、誰かが入れたんだろうって事になってます。」
但馬先輩は常連さんの事も知らないし、言って色々と詮索されるのも嫌なので触れないように話していく。
『え……風間は彼女じゃないって信じたのか?』
「はい。でも他に入れるような人が思い浮かばないんですが…。」
『思い浮かばないんだろ?それなら彼女が嘘ついたとかはないのか?』
「嘘……ですか?」
『ああ。だってバレたら隠そうと嘘つくんじゃないか?嫌われるとわかったら、嘘ついて取り繕うんじゃないか?』
「…………。」
七瀬さんの事を知らないくせに悪く言われたのが悔しくて、唇を一直線に閉めてグッと我慢する。七瀬さんと昨日話した時の事を思い出すけれど、俺の事を大切に思ってくれているのがわかったし、嘘をついているとは思えなかった。以前但馬先輩から言われて、七瀬さんへの気持ちが揺らいだ自分とは今は違う。七瀬さんは決してそんな嘘をつくような人じゃないと自信をもって言える。
「嘘つくような人じゃないです。取り繕うような人でもないし、七瀬さんは俺の事を思ってくれてます。」
『七瀬さん…?』
「え……」
『七瀬さんって彼女の名前?』
「えっ、あっ、いや…っ」
一時的に感情が高まったせいか、さらりと名前を口に出してしまった。訂正しようとしただけで、隠していた事を話すなんてただの馬鹿だ。自分の言動を悔やむ。本当、何をやってるんだろう。
『そうか。七瀬さんか。女の子では知らない苗字だな。あ、そういえば風間と前に行った食堂の店主の苗字が七瀬だったな。』
「……っ!そ、そうですね…。」
『その人の妹とか?』
「いえ……、」
『じゃあお姉さん?』
「いえ、違います…。」
『あ、それか店主本人とか?』
「………っ!!」
よく考えれば、この時妹と姉を聞かれた時と同じ反応をしていればバレてなかったと思う。俺は無言の肯定をしてしまっていて、但馬先輩は鋭く切り込んできた。
『え、マジか。冗談のつもりだったけど。風間男いけるの?』
「い、い、いえ…、違いますよ。」
『隠さなくていいぞ。俺は偏見ないし。』
「え……そうなんですか…?」
偏見がないと聞いて少しホッとするが、俺のこの反応はさらに七瀬さんが彼氏だと言うことを肯定していることになっていた。
『そっかそっか〜。いいじゃん。愛は性別関係ないって事だろ?』
「えーっと……、そうなんですかね…?」
『いいね。風間のそういうところ、凄く良いと思う。……あ。そうだ。風間今日時間ある?』
「今日ですか…?」
『うん。折角休みだし、ちょっと付き合って欲しいんだ。バイト夜ならまたバイト前どう?』
「えっと…、今日はちょっと…」
常連さんの事があり、昨日の今日で出かけようと思わなかった。秋鷹から連絡あるかもしれないし、外に出たら常連さんに会う可能性もあるかもしれない。
『駄目?えっとねー、俺さ、明日姪っ子の誕生日が控えてるんだけど、その子一歳の男の子なんだよ。でも俺そんなちっちゃい子に何買っていいかわからないんだよね。』
「あ、そうなんですね…。」
『風間の友達の……えっと秋鷹君だっけ?子ども同じ年齢だったよな?その子が好きそうなのわかるんじゃないか?最近遊んでないの?』
「えっと、遊びましたけど…、でも俺、参考になる自信は…」
『遊んだんだ?じゃあ付き合ってよ。俺本当に何買っていいかわからなくて。1〜2時間でいいからさ。今日駄目って事は一日中用事あるの?夜バイトあるのに?』
「え、えっと……そうじゃないんですけど…」
丸一日中の予定なんてない。特に何もする予定はなく、実際は家にいるだけなので、先輩の困っている声を聞いていると行かないようにしている自分がバツが悪くなってしまった。
『マジ?じゃあ昼と夜どっちがいい?』
「う………」
『本当にお願い!明日だから今日しか時間ないんだよ。頼めるの風間しかいないし!』
「えっと……。」
『先輩の頼み聞いてくれねぇの…?』
「うぅ……。」
こんなに言われると俺は断れない。断固として出かけたくないと言う訳でもないため、俺は出掛けるしかないなと嫌々ながらも決めていた。秋鷹から連絡は来ていないけれど、夜には仕事が終わるし、夜空けておいたがいいだろう。しかも土曜日で人は多いし、昼間なら賑わっている。
「昼で……。」
『あ、昼いい?じゃあ11時駅前集合で。』
「え、駅前は、ちょっと…」
『じゃあまた後で〜。』
ブチ、と通話が切れてしまう。駅前はバイト先のコンビニが近いので行きたくなかった。昨日の夜バイト行ってないし、店長に会ったら気まずいし、常連さんがいる可能性もある。
「でも駅前なら…、人はいっぱいいるから大丈夫かな…。」
人で溢れているので、俺がいてもわからないだろう。漠然とした不安の中、携帯画面を見つめた。
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