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第76話
「一番に頼ってって……、言ったのは七瀬さんなのに……。なんで聞いてくれないの?」
「それは……」
「かーざーまー、手当てするぞ。痛いんだろ?」
但馬先輩が割って入ってくる。俺を見つめる但馬先輩の目が怖い。首や頬などの痛みが恐怖をさらに煽るが、七瀬さんの服をグッと握り、震える声で答える。
「いえ、七瀬さんと……話します。」
「先に手当てだろ?七瀬さんも言ってんじゃん。」
但馬先輩は俺と七瀬さんと2人きりにするのは嫌みたいで、全く取り合ってくれない。
「……但馬さん。風間君は俺に話があるみたいなので、席を外してくれますか?」
「救急箱ないの?風間んち、散らかってたからなー。どこ直したか覚えてないのか?」
七瀬さんが助け舟を出してくれたが、但馬先輩は七瀬さんの言葉を無視して俺に問いかける。有無を言わせない威圧的な雰囲気に、俺は言葉を発するのが怖くなった。
(でも……それじゃダメだ。七瀬さんに誤解されてたままになる。「違う」って言ったけど、何が違うかも言えてない……)
七瀬さんの店を去った後、ストーカーの人に出会って大変だったこと、但馬先輩が助けてくれて家まで送ってくれたこと、そして……但馬先輩に告白されて、断ったら首を絞められたこと……、起きたら身体を繋げていたこと……、暴力を振るわれたこと……。
でも但馬先輩がいたら多分俺は最後まで話せない。但馬先輩も今みたいに多分話させてくれない。但馬先輩が出て行きたくなるように、どうかできないかな……。この場に残りたくないように……。
「風間痛くて喋れなくなったのか?それは大変だ。救急箱もあるかわからないし、そうだ。七瀬さん、傷薬とか包帯とか買い出ししてもらえます?お金なら後で渡すんで。」
但馬先輩がニコリと七瀬さんに笑いかける。七瀬さんはどうしたらいいのかあぐねているようだ。話を聞こうともしてくれてるけど、怪我が気になるみたいで俺の顔を心配そうに見ている。
俺の顔は多分鼻血も出てたし、顔も腫れてるって言ってたから酷い顔をしてるんだろうな。少し動かすだけでも痛い。でも耐えれる痛さだ。骨折とかはしてなさそうだし、血も止まっているので別に手当ては後回しでいい。
このまま但馬先輩の言いなりになっていたら悪い方向に行く気がする。だから七瀬さんと一度2人きりになって、説明をしないと。但馬先輩が出ていきたくなるように何かないのかな…………あっ、そうだ!
1ついい事を思いつく。多分これなら但馬先輩も出ていきたくなって、七瀬さんと落ち着いて話せると思う。
俺はゆっくりと深く、1度深呼吸し、意を決して言葉を出す。
「ぼ、暴力を振るったのは、但馬先輩です。」
「え?」
七瀬さんの服の裾をぐっと強く握りしめた。まずはちゃんと但馬先輩がしたことだと言えた。胸がドッドッと馬が駆けるように早くなってくる。
七瀬さんは驚いた表情で俺を見た。俺はその顔をしっかりと見て目線を合わせる。
「……どういうこと?」
「……へぇ。ストーカーから助けた恩人に向かってそんなこと言うんだ?傷つくなー。」
七瀬さんの向こう側にいる但馬先輩の顔を恐る恐るみると、満面の笑みで俺を見ていた。場にそぐわない表情に身の毛がよだつ。
「え、エッチも……俺はしたくなかった。首を絞められて……起きたら……してて」
「……どういうことだ。」
七瀬さんは地を這うような低い声を出して立ち上がる。裾を掴んでいた俺の手をギュッと握りしめた後、俺の手は裾から離され、七瀬さんは但馬先輩に近づいていく。
但馬先輩はハァーと息を吐き、面白くなさそうな顔で七瀬さんを見た。
「あんたに浮気したのを知られたくなくて、風間がついた嘘だって言ってんじゃん。」
「……風間君は嘘はつかない。」
「はっ、なんだそれ。さっき俺が、風間は嘘ついてるって匂わせたときあんた信じてたじゃん」
「……っ」
七瀬さんは言葉を詰まらせる。俺はそのことに内心傷つくが、七瀬さんは言葉を続けてくれる。
「……それは信じれなかった俺が悪い。でも風間君の声ではっきりと違うと言ってくれて、しっかり目を見てくれた。嘘じゃない。貴方が嘘をついてるんだ」
七瀬さんが言うと、但馬先輩は舌打ちをしてガンをつけてきた。また殴られるかもしれないと身体が強張るが、七瀬さんが目の前に立ってくれているので、恐怖は軽減する。震えを抑えるように喉に力を入れて、ゆっくりと言葉を出す。
「但馬先輩がしたことは暴力です……。け、警察に言います……っ!」
言った。但馬先輩が出ていきたくなる言葉。詳しくは知らないけど、暴力を振るったなら警察に来られるのは困るはずだ。
但馬先輩が黙った。その沈黙が怖くて、シーツがシワになる程強く握る。
「ハハッ。」
但馬先輩が息を吐くように笑った。
「現行犯以外の暴行罪の証明って大変って知ってる?特にこんな誰も見ていない部屋での暴行。誰が風間に暴力を振るったのは俺だって証言するの?証拠あるの?暴力だけじゃない、セックスも強要だって訴えるのなら、起訴されるまでに根掘り葉掘り赤の他人に、セックスの話を何度も何度もして、被害状況を再現したりしなくちゃいけないんだぞ?風間に出来るのか?後日逮捕は不起訴ばっかで、ただの恥を晒すだけなのにな。あと俺だと決めつけてるけど、俺じゃなかったら冤罪だよ?それでも訴えるの?風間が負けたら俺は名誉毀損で訴えるよ。風間に勝てる?」
「…………」
饒舌に話す但馬先輩についていけず、俺も七瀬さんも何も言えなかった。そんな詳しいことは知らないし、そんなことまで考えてない。
沈黙が落ちた部屋の中で但馬先輩とパチリと目が合い、蛇に睨まれたように固まる。
「風間は俺のものだよな……?」
ゾワリと毛が逆立ち、手に汗を握る。極度の緊張が続いているためか口の中がカラカラになり、粘膜同士が引っ付きあう。こ、怖い。先程まで無理矢理されたエッチや暴力がフラッシュバックする。
逆らったらまたあの暴力を振るわれるかもしれない。身体が勝手に震えだし、歯がカタカタと小さく音をたてる。
俺が意を決して言った言葉も但馬先輩にとってはとるに足らない事だと痛感した。もうだめだ。七瀬さんとは話せない。誤解されたまま別れちゃうんだ。但馬先輩とは……これからもこの関係が続くのかな?何かあったら暴力を振るわれて……、したくないエッチをして……。嫌だ。嫌なのに……怖い。怖くて、やっぱり抗うのは出来ないんだと恐怖が襲ってくる。
「風間君は俺の恋人です」
身体も心も怖くて震えていた俺の中に、スッと風が通るような凛とした声が聞こえた。
食堂でいつも聞いていた、あの暖かい声が俺の耳に届き、恐怖に震える身体がピタリと止まる。七瀬さんの顔は見えないけれど、俺を撫でてくれた手が、俺を抱きしめてくれた背中がしっかりと見えた。
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